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Lone wolf  作者: 片栗粉
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告発者

どっちへ行きたいかわからなければ、

どっちの道へ行ったって大した違いはない。


~ルイス・キャロル~

昏々と眠る零の顔を見ながら、藤田はミネラルウォーターのボトルに口をつけた。開け方は『てれび』とやらを見て覚えた。


あの切り取られた四角い世界は、驚くほど膨大な量の情報に満ち満ちていた。


異国の事情や、天気、この国で起きているありとあらゆる出来事が分かるというのは便利でもあるが、其れがどこか無機質で味気ない物にも感じた。最初に見たときはこれが何かも分からず、映るものすべてに警戒していたものだった。


(このてれびとやらを見ていると、どこか芝居を見ているような感覚にすら感じてくる。いや、神代の神々が、天上から現世を見下ろしていると言ったほうが正しいのか…)


天気予報が終わり、備え付けの小さなテレビが海外のニュースを映し出す。それは、はるか海の向こうで行われている戦争の事のようだった。


砂塵が舞い、崩落した建物が並ぶ街の中を、頑丈そうな厳つい鉄の車が走り、その脇では砂色の戦装束を来た異人の兵隊達がスペンサー銃などより遥かに性能のよさそうな鉄砲を提げ、隊列を組んでいた。


異国では、今も信仰の為に戦をしている輩がいると零がニュースを見ながら言っていた。


昔も今も変わらない。人を救うとのたまう教義の為に人を殺すなど、本末転倒ではないかと思ったが、根本の所はかなり深い所にあるようだ。


ふと、少し前に零が国に仕えていたとこぼしていた事を思い出した。


女の身であのような世捨て人同然の暮らしを選んだのは、余程の事情があったのだろう。


何故か、胸につまされるものを感じた。自らもかつては国のために刀を振るい、忠を尽くした身なのだ。喩えそれが敗者の側であろうとも、自らの選択に後悔はない。


車中で、零は自らを捨てられた猟犬のようなものと揶揄していた。猟犬は、主がいてこそ真価を発揮する。牙を突きたてるには獲物と、其れを導く猟師が必要なのだ。


だが、捨てられた猟犬は、山野で野垂れ死ぬか、殺処分されるしか選択肢がないと。前を見据えながらどこか悲しげな眼でそう言った零の眼差しは、最期まで志の為に生きた彼の眼に少しだけ似ていたような気がした。


しかし藤田はその思考を無理矢理振り払うように舌打ちした。


「いや、俺は何を考えている。まったく、あの人に少しでも似ていると思うなど…馬鹿げているな。」


この異常な世界に放り込まれて、怒涛のような出来事の連続だった。あの家で過ごしたのはほんの数日だったが、今の状況に比べれば遥かに良かったと思える。


正体不明の敵に襲われ、何の心の準備もすることなく、逃げるように此処まで来てしまった。


新選組の斎藤一として幾多の修羅場をくぐり抜けた経験から、些細なことではまるで動じない胆力があると自他ともに認めてはいたが、全てが見知らぬ物ばかりの世界で、唯一自分の素性を知っている人間は今銃弾を受け死んだように眠っている。さすがの藤田も不安と焦りが募る。


どうすれば元の時代に帰れるのか、何故ここに来たのか。そして、最後に土方は自分に何を言おうとしたのか。考えれば考えるほど思考は堂々巡りを繰り返す。


穏やかな呼吸を繰り返す零の姿を横目で見る。無数の傷の中に、新たに巻かれた包帯が痛々しい。細身だが、鍛え抜かれた躰だ。普通の女の幸せを捨てた、戦いを生業とする人間の姿だった。


本当にこの女は信用できるのか。あの時の襲撃者共は全員が手練れだった。先ほど自分に襲いかかってきた時も思ったが、零の戦闘能力はかなりのものだし、頭も回る。自分の部下だったら、さぞや優秀な密偵になったことだろう。


吉村零という女がどういう経緯で追われているのかは分からない。が、凍死しかけていた自分を自宅に運び、食料と寝床を提供してくれたのは紛れもない事実だった。だがもしも、零が自分の思うような人間ではなく、その対極の側の人間だとしたら…。


その時は…… 斬るまでのことだ。


藤田は険しい表情で飲み終えたペットボトルをぐしゃりと握りつぶした。


――――――――


狭い部屋の中で、甲高い電子音が鳴り響いた。


びくり!と体が動いたのと同時に、反射的に腰に伸びた左手が空を切った。今は帯刀していないことを思い出して舌打ちする。電子音は未だ鳴りやまず、藤田は音の出所を探ろうとした。


「…私の携帯か…今出ます。」


ベッドから掠れた声が聞こえたと思ったら、零がのそりと起き上がった。鬱陶しそうに手でぼさぼさになった長い髪を払いのけると、サイドボードに置いた携帯電話を手に取ってディスプレイを見た。途端に眠そうだった眼が鋭いものに変わった。


通話ボタンを押し、はい。と日本語で答える。


『すぐに出国しろ。次の暗殺ユニットがお前の元へ向かっている。』


聞こえてきたのは、早口の英語だった。くぐもった男の声で、注意深く聞かねば聞き取りにくい。


「おまえは誰だ。何故この番号を知っている。」


相手が英語を話すと判り、こちらも英語で応じる。このプリペイド式の携帯電話は、こちらからかけるだけの目的で持っているものだ。しかも一定の期間で廃棄し、新しいものに取り換えている。この携帯電話は取り換えて二か月も満たないし、自分以外の誰かがこの番号を知っているはずがない。


『そんなことはどうでもいい。私は君のことを知っている。そして君の敵ではないとだけ言っておく。CIAラングレーが動き始めた。そこが見つかるのも時間の問題だ。』


「CIAだと?今更何の用だ。既に私はMIA(作戦行動中行方不明)で処理された身だ。いきなりウェットチーム(殺戮部隊)まで寄越して殺す価値など今の私にはない。」


『恐らく内部にもぐらが潜んでいる可能性がある。君が生存しているという情報が流れているからな。今、君はテロリストと同義の存在として見なされている。政府はフェイルセイフ・プロトコルを発動した。時間がない。いいか、敵を見誤るな。彼らは単なる役者に過ぎない。黒幕シナリオライターは別にいる。黒幕を探し出せ。そいつこそが6年前、ソマリアで君を罠に嵌めた張本人だ。』


「待て、フェイルセイフ・プロトコルだと?何の話だ。それにあんたを信用できるという保証がない。」


『いいから聞け。17時間前、ニューヨークで男が射殺された。名前はブライアン・ロイド。デイリータイムスの記者だ。君は既に6年前に出会っている。』


「何だと?6年前…?どういうことだ。」


『もし、真実を知りたいのなら、ニューヨークへ行け。だが…これまでと同じく野良犬のように逃げ続けるのなら、この場で電話を切れ。』


束の間、重々しい沈黙が部屋を支配した。切断のボタンを押す電子音は、聞こえない。


『…いいだろう。薄野駅の4番出入り口の公衆電話へ行ってみろ。そこに鍵がある。コインロッカーのカギだ。少しは足しになるだろう。後はNYに着いたら連絡する。』


「おい、ラングレーが私を追っているのを知っていてNYへ行けというのか。矛盾しているんじゃないのか?蜂の巣に自分から飛び込むようなものだ。」


『君ならば可能なはずだ。私は君の能力を信頼している。』


「『信頼』ね…。随分と過大評価されているんだな。あんたの事は何て呼べばいい。ディープ・スロートとでも呼ぶか?」


『悪いが私はペテン師ではない。……そうだな。ハーミットとでも呼んでくれ。』


「HARMIT(隠者)だと?ふざけた名だ。……解った。だが、あんたをまだ信用したわけじゃない。忘れるな。」


『それでいい。君の健闘を祈ろう。【クラフトマン】。』


「おい!待て!…クソッ!」


その言葉を聞いた途端、零に戦慄が走った。聞き返すが、携帯からは切断音が虚しく響くだけだった。FU●Kと吐き捨て、忌々しそうに携帯をベッドに放り投げた。



「知り合いか…?」


やり取りを見守っていた藤田が、零のただならぬ雰囲気に声をかけた。が、零はその言葉も耳に入らない様子で、虚空を睨み据えたままだった。


(奴は、私の【名前】を知っていた。何者だ…?あの口ぶりでは恐らく6年前の事も知っている……かなり上位のアクセス権限を持っている人間だ…。)


ハーミットが何をさせようとしているのか、解らないのが不気味だ。だが、CIAが動き始めているというのは事実なのだろう。


現に暗殺ユニットに襲撃されたのだ。もしも次の手を打ってくるというのなら、何時までもここに留まっている時間はない。


しかし、奴の言うことを信用してもいいのか解らない。今ニューヨークへ行くのは自殺行為だ。


それに、藤田五郎という厄介な連れもいる。最初とは状況が違う。CIAが動くということは自分を殺すための刺客が何時襲ってくるかもわからないという事だ。


藤田がいようといまいと奴らには関係ない。狼を狩るのに森ごと燃やし尽くす。それが奴らのやり方だ。


藤田さん…。私はこれからニューヨークへ行きます。敵の正体を掴むために。これ以上一緒にいると貴方まで危険が及ぶかもしれない。でも、もしも既に奴らに貴方の存在が知られていれば、此処にいても危険な可能性があります。貴方の意思で選んで欲しい。此処で別れるか、一緒に来るか。」


ひた、と藤田の目を見据え、零はゆっくりと告げた。藤田は鋭い目で零を睨みつけ、口を開いた。


「フン。愚問だな。…俺は貴様と共に行くと言ったはずだ。足手まといと感じたら、捨て置けばいい話だろう。」


意外な返事に零は驚いた様に目を見開いた。


「…勘違いするな。俺は貴様に守られるほど柔ではない。俺は俺の意思で貴様についていくと言ったんだ。だが、これだけは覚えておけ。もしも貴様が畜生にも劣る人間だと判断したら、その時は俺がこの手で斬り捨てる。」


素直じゃない藤田の答えに、思わず零は吹き出した。


「くくっ。ええ。解ってます。いざとなれば貴方は私の切りジョーカーになってもらいますから。」


彼は奴らに顔を知られていないのだ。彼がハーミットの寄越したスパイという可能性は低かった。奴は彼のことに言及しなかったからだ。それに、日本人ならば空港や街中で怪しまれることもそうそうない。それは大きな利点だ。いいカムフラージュになるだろう。彼はこの絶対的不利な状況で、切り札となり得るかもしれない要素を持っている。


「じゃあ早速準備に取り掛かりましょう……あ、これは大事なことです。藤田さん、パスポートとか免許証は持っていますか?」


「何だそれは。」


「は?」


前言撤回。ニューヨークまでの道程は非常に困難なものになりそうだ。零はこの世間知らずをどうやって随行させればいいか、これから先の事を思うと、頭が痛い。

怪訝な顔で自分を見るいい年をした男を見上げながら、零は大きなため息を吐いた。




長くてごめんなさい…そして遅くてごめんなさい。

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