11~16 Side Akito 01話
会議が終わると十一時を回っていた。
舌打ちをしながらメール作成画面を起動する。
まだ起きていてくれるといいんだけど……。
起きているかを尋ねるメールを送ると、すぐに返信があった。
車に乗りこみ電話をかける。と、メールの返信が早かった割には通話に応じるまで間があった。
そこで思い出す。自分の着信時に流れる曲の設定を。
今、彼女の携帯からはカーペンターズの「Close to you」が流れているだろう。それは、彼女が洋楽で一番好きな曲。
「どうして?」って首を傾げながら聴いているだろうか。
そんなことを考えていると、
『はいっ』
女の子らしい少し高い声に頬が緩む。
なんていうか、会議で男の声ばかり聞いていた耳には新鮮すぎた。
「遅くなってごめんね」
『いえ』
「……なんか、笑ってる?」
『着信音に大好きな曲が流れて』
「知ってる。だから僕の着信音に設定したんだ」
『秋斗さんは今、お仕事を終えられたんですか?』
こちらを気遣う声音は耳にも心にも優しく響く。
少し蒼樹が羨ましく思えた。
こんな子が妹だったらそりゃ猫かわいがりするだろうよ……。
「そう。頭の固い年寄り相手の会議は疲れるよー……。ところで、翠葉ちゃんの体調は?」
『大丈夫です』
「じゃ、明日は少し早くても平気かな?」
『でも、それじゃ秋斗さんがつらいんじゃないですか? 片道二時間もかかるのでしょう?』
「大丈夫。明日、朝八時には迎えに行くね。少し肌寒いかもしれないから長袖も用意しておいて」
言って癒しの電話を切った。
明日、彼女はどんな格好をしてくるだろう。
先日、司の大会で会ったときは白いふわっとしたワンピースだった。
蒼樹が、「それはもう天使か妖精のようにかわいいです」と言ったのも頷けた。
俺は何を着ていこうかな。
そこまで考えて、
「あれ? 俺、意外と楽しみにしてる?」
少し驚いた。
「……ま、こんな年下の女の子と出かけるなんてそうそうないしな」
いつもとは違う相手に新鮮さを覚えているんだろうと納得した。
家に着いたのは十二時前。
軽く夕飯を食べシャワーを浴びたら時計は一時を回っていた。
もともとが夜型人間のため、この時間をつらいとは思わない。が、さすがに明日の朝はどうだろう。
普段は七時過ぎに起きれば仕事に間に合うが、明日はそれより早く起きる必要がある。
「……ある程度余裕を持って出るとすれば、六時過ぎには起きてるようかな」
それでも四時間以上は眠れる。なら問題ないか……。
念のため、目覚まし時計のほかに携帯のタイマーもかけて寝た。
翌朝、予想していたよりもすっきり起きれた自分を意外に思いつつ、コーヒーメーカーをセットする。
どんなに時間がなくても朝はコーヒーを飲まないと頭が起きた気がしない。
一通り身支度を済ませてコーヒーを味わう。
パソコンを起動させ、ツールバーに目をやるのは最近の日課。
朝起きてバイタルチェック、仕事を始める前にバイタルチェック、昼休みにバイタルチェック……。
ことあるごとに画面右端にある彼女の鼓動を気にせずにはいられない。
「俺も蒼樹のこと言えないか……」
あまりにも心配症な蒼樹のために作った装置だったけど、今となってはそれも定かではない。
ただ、自分が気になって仕方ないから作ったような気すらする。
単なるバイタルチェックなら、あんなに凝った装飾品にする必要はなかった。
けれど、付けていることを負担に思ってはもらいたくなかったし、どうせ付けるなら喜んでもらえるものにしたかった。
だから、普段はやらないデザインなんてものまでがんばって――自分、どうしたかな。
疑問はそのままに、かわいいお姫様を迎えに行くことにした。
幸倉までは渋滞にはまることもなく、八時ぴったりに彼女の家に着いた。
インターホンを鳴らすと、よく知った顔に出迎えられる。
再従姉の栞ちゃん。
そういえば、静さんの紹介で御園生家の手伝いに来てるって言ってたっけ……。
看護師の栞ちゃんが彼女に付いていてくれるなら安心だな。
「翠葉ちゃーん、秋斗くん来たわよー!」
栞ちゃんがリビングへ向かって声をかける。と、蒼樹とふたり揃って玄関へやってきた。
「蒼樹、その顔面白すぎるけど……」
「秋斗先輩、翠葉にだけは手ぇ出さないでくださいね」
男にしておくにはもったいないきれいな顔に凄まれる。
俺は蒼樹が手にしていた荷物を受け取り、
「きっと大丈夫」
と、曖昧な返事をした。
……どうしようもないシスコンだな。
でも、牽制される理由はわからなくもない。玄関に現れた彼女は本当にかわいかったから。
彼女は淡い水色のロングスカートに白い生成りのシャツを合わせていた。
優しい水色が彼女の雰囲気をより柔らかに見せる。
そうだな……今日一日、俺専属の妹になってもらおうか。
「じゃ、翠葉ちゃん行こうか」
「はい!」
彼女の家から高速道路のインターまでは五分とかからない。
藤倉からだと二十分はかかるうえに、いつも渋滞している国道を抜けなくてはいけないため、下手すれば三十分以上かかる。
「ここら辺はいいよね。緑も多いし大きな公園もある。高速道路に乗るのも国道に出てすぐだし」
「そうですね。でも、私に関係あるのは緑が多いことと、公園があることくらいです」
「まぁ、そうだね。車の運転はしないもんね」
今日のお相手は十六歳高校生――肝に銘じておこう……。
高速道路に乗ってから、彼女がずっと自分を見ていることには気づいていた。
初めて会ったときにも思ったけど、本当に人を観察するのが好きな子だと思う。
しかも、こっそり見るのではなく、普通に見てくるあたりがなんとも言えない。
これが司相手なら、「何?」と言われてすぐに観察が終わってしまうだろう。
そんなことを考えながら、彼女の視線を甘んじて受けることにした。
しばらくすると視線は外れ、彼女が何かしているのを視界の端にとらえる。
さすがに百キロ近い速度で運転しているともなれば、そうそう余所見はできないわけで……。
ちら、と見たら首にかけてある懐中時計を見ていた。
「懐中時計?」
「はい。蒼兄から誕生日プレゼントにもらったものなんです」
声がとても明るく嬉しそうに聞こえた。
蒼樹のシスコンも度を越えているけど、翠葉ちゃんのブラコンもそれなりだと思う。
「あぁ、翠葉ちゃんはアンティークのものが好きだもんね」
自分に蓄積されている翠葉ちゃん情報を披露すると、彼女は恥かしそうに笑った。
「今日はまたかわいい格好をしているね」
俺のこんな言葉にすら彼女は頬を赤く染める。
「普段、ジーパンとかはあまりはかなくて……。どうしようかな? って悩んだんですけど、結局スカートにしちゃいました」
「うん、よく似合ってるよ。翠葉ちゃんはスカートとかワンピースってイメージだよね」
何気なく言った言葉だけど、彼女の視線が張り付いて剥がれない。
「どうかした?」
声をかけると、
「いえ……ただ、サングラスしてると雰囲気変わるな、と思って……。それに今日は白衣じゃないし……」
なるほど……。
見られているとは思っていたけど、俺の服装や格好を観察していたのか。
これは面白い。ひとつからかうネタができた。
「惚れてもいいよ」
軽く口にすると、
「秋斗さんを好きになったら色々と大変そうだから嫌です」
クスリと笑って即刻却下。
「その意図は?」
「まず第一に競争率が高そう。それに、女の子に対しては誰にでも優しいからヤキモキしちゃいそう。でも……どうなんでしょうね? 人を好きになるのって想像できなくて……実際はどうなんだろう」
そういえば先日、初恋がまだって言ってたっけ……。
あり得ないこととは思わないけれど、恋を知らない子を助手席に乗せるのは初めてだ。
……やっぱり天然記念物よりも絶滅危惧種に思える。
「……どうかしましたか?」
尋ねられたので、思ったことを正直に口にする。
「先日聞いてはいたけれど、やっぱり驚きが隠せなくてですね……。こんな天然記念物がいたのかと……」
「うわ……またその話ですか?」
「そりゃ、衝撃的でしたから?」
思わず笑うと、彼女は拗ねてしまったようだ。
「じゃぁさ、今日は翠葉ちゃんにとって初めてのデートだったりする?」
からかいの割合は半分くらい。もう半分は"期待"かな?
だって普通に考えて嬉しいでしょ? こんな子の初デートの相手だと言われたら。
けれど、
「……デート。これ、デートなんですか?」
きょとんとした顔で尋ねられた。
「少なくとも僕はそのつもり」
彼女は少し考えてから、
「蒼兄以外の人とお出かけするのは初めてです」
「そこでデートとは言ってくれないんだ?」
少しいじめたくて口にすると、
「……"初デート"は、好きな人ができるまで取っておくことはできますか?」
そんな質問すらがかわいく思える。俺は笑って、
「夢は大切だしね。じゃ、そういうことにしておこう」
その話を終わりにしてあげた。
日曜日の朝八時台だというのに道はさほど混んでいない。
平均して九十キロから百キロで走っているのだからいいほうだろう。
一時間ちょっと走るとサービスエリアに入って休憩することにした。
車を降りて軽く伸びをすると、自分にカメラを向けている彼女がいた。
気づいたと同時にシャッターを切られる。
「あ、撮られた。僕もあとで撮らせてもらうよ?」
胸ポケットに入れてあったコンデジを取り出し見せると、
「ダメですっ。私、レンズ向けられると固まっちゃうから」
言うなり背を向けられる。
「そうなの? でも、それはフェアじゃないからダメ。固まろうと何しようと撮るよ」
「困ったな……。あっ――」
彼女ははっとしたように俺を見上げた。
「そういえば、秋斗さん疲れてないです? 昨日遅かったし、今朝は早くに迎えに来てもらったし……」
昨夜の電話でもそうだったけど、この子のこれは癖なのかな。
いつだって相手のことを気遣う。
単純に人の目を気にしているようにも見えるけれど、これはこの子の思いやりだと思う。
まだ十代なんだから、そんなにいたるところにアンテナ張りめぐらせてなくてもいいんだけど……。
いや――それらをスルーできる子じゃないからバングルを作ったんだ……。
「大丈夫だよ。ひどいときは徹夜で次の日も仕事だったりするし。それに、今日は癒しアイテムが一緒だからね」
癒しアイテムは君だよ、と思いをこめて彼女の頭に手を置く。
にこりと笑みを向けたら、
「今日、その笑顔使ったら反則と見なしますからねっ」
顔を真っ赤にして言う様がかわいすぎた。
本当に男に対する免疫がないんだな。兄の蒼樹とはあんなにも仲がいいというのに。
クスクス笑っていると、「秋斗さん、ひどい……」といじけてしまった。
これはなんてかわいい生き物だろうか。
しっかし……人目を集める子だな。
彼女と同年代の男はもちろんのこと、二十代そこそこの人間ですら通り過ぎては振り返る。
こういうの見ちゃうと、蒼樹が必死で守ってきたのがわからなくもない。
その彼女がじっと俺を見ているから、
「何かな?」
笑みを添えて尋ねると、
「……秋斗さんが格好いいから、さっきから女の人の視線が痛いです」
困ったように言われたけれど、
「それは僕も同じなんだけど……」
彼女は「なんのことですか?」というような顔をしてすぐに、意味を解したような表情になった。しかし、そのあとじとりと見られたのはなぜだろう……。
……なんとなくだけど、俺の言葉はきちんと伝わっていない気がする。
"俺も同じ"イコール、"女の視線が痛い"と思われている気がする。で、じとりと見られたのは自業自得っていう視線だったのだろうか。
違うから……。君に集る男の視線が痛いって話だから……。
観察力はあるほうなのに、こっち方面はてんで疎くて困った子だな。ま、そんなところも含めてかわいいわけだけど……。
「さ、そろそろ行こうか」
車に乗り込み、残り半分の道のりを行くことにした。




