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光のもとでⅠ 第三章 恋の入り口  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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09~06 Side Tsukasa 02話

 図書棟を出たところにある自販機でコーヒーを買うと、翠はミネラルウォーターを購入した。

 本当に自販機で飲めるのはミネラルウォーターだけなんだな、と思いながら見ていると、

「桜香苑に行きませんか?」

「よくあそこにいるけど、どうして桜香苑?」

 昨日不思議に思ったことを訊いてみる。と、「森林浴が趣味なんです」という答えが返ってきた。

「ふーん……変わってる」

 珍しい趣味だと思いつつも翠にはしっくりくる気がしていた。

「外は外でも緑の中で風を感じたり、葉っぱ同士の擦れる音が聞こえるほうが気持ちよくありませんか?」

「それには同感」

 あまりにも嬉しそうに話すのを見て、頬が緩むのを感じる。

 いつもの場所までくると、翠はベンチではなく芝生に腰を下ろした。

「いつも床とかに座るけどなんで」

「椅子に座っているのもつらいというか……。一番楽な体勢が寝ていることだとしたら、次はこれなんです」

「あぁ……椅子に座ってるだけでも血が下がって心臓に戻ってこないのか」

 なんとも翠の体質らしい答えだった。

 昨日から翠には質問ばかりしている気がする。

 でも、その疑問ひとつひとつに答えをもらえることがどうしてか嬉しかった。

 わからないことが理解できる喜びとは何か違う感情として。

 いつもとは違う感情を自分が抱いていることに気づきつつ、翠が何を見ているのかに意識を移す。

 翠は遠くの芝生を眩しそうに見ていた。

 小道の向こう側はスプリンクラーが回っていて、水に光が反射していた。そして、水を浴びた芝生もまたキラキラと光って見える。

 それをどうしてこんなに嬉しそうに見るのか。

 不思議に思いつつ、翠が作り出す和やかな雰囲気を心地よく感じていた。

 自分以外の人間と一緒にいて目障りだとも不快だとも思わないことが意外だった。


 会話のないのどかな時間を遮ったのは自身の携帯。

 ディスプレイを見れば母さんから。

「ちょっと悪い」

 翠に断りを入れ、少し離れたところで電話に応じる。

「はい」

『司? 明日の夜、会食に付き合ってもらえるかしら?』

「明日?」

『えぇ、急で悪いのだけど……。柏木さんの件、妹の桜さんの夏休みの家庭教師で落ち着きそうなの』

「あぁ、その件……。夏休みの間だけなら。――ただし、場所と日程はこっちで指定させてもらうから」

『それは先方にお伝えしてあるわ』

「わかった。あとは帰ってから聞く」

 面倒だとは思いつつ、これで事態が丸くおさまるのならば兄さんと父さんに恩を売っておくのも悪くない。

 そう思いながら翠のもとへ戻ると、翠が不思議そうに俺の顔を見ていた。

「何?」

「……眉間にしわ」

 翠の細い指が俺の眉間を指していた。

「あぁ……」

 翠はぼーっとしているように見えて、ぞんがい観察力はあるのかもしれない。

「明日、何かあるんですか?」

「家絡みの付き合いみたいなもの」

「……なんだか大変なんですね」

「別に」

 詳しく話すつもりはなかった。

 でも、これ以上追求してこないであろうこともわかっていて、もう少し自分に関心を示してほしい気もする。

 そのまま、何を話すでもなく翠の言うところの森林浴を満喫した。

 翠は光を浴びて、ただそれだけで嬉しそうにしている。嬉しそうというか、非常に穏やかな表情。

 たかが森林浴でなんでそんな満たされたような顔をする?

 これも訊いたら答えをくれるのだろうか。

 そんなことを考えていたら御園生さんがやってきた。

「翠葉、もう帰れるのか?」

「うん。でも、荷物は図書室にあるの」

「じゃ、一度図書室に行こう」

 三人揃って図書室へ戻る途中、俺は少し後ろを歩き、仲のいい兄妹を眺めていた。

 年齢差がある割に仲がいいというか、離れているから仲がいいのか……。

 うちとは全然違うし、知らない人間が見たら兄妹には見えないかもしれない。

 まるで恋人同士が歩いているようにも見える。

 兄妹だと知っているのに、そんな錯覚を起すほど。

「明日は? 早いの?」

「秋斗さんが夜に会議って言っていたから、それが終わる時間しだいで出発の時間を決めようって。だから、まだ決まってないの。たぶん、寝る前にはわかると思う」

「そうか」

 なんの話……?

「明日、秋兄とどこかに行くの?」

「明日、森林浴に連れていってもらえるんです」

 それは初耳。

「……あ、そう」

 なんでもないふうを装って答えたものの、面白くない。

 どうしてかすごく面白くない。

 俺は明日、面倒な会食に行かなくてはいけないのに、なんで秋兄が翠とふたりで出かける?

 さっきだって携帯が鳴らなければもう少し――。

 ……もう少し、何? 今、何を考えた?

 ――ふたりの時間を満喫できたのに……?

 これじゃまるで、俺が翠を好きみたいじゃないか――。


 図書棟に戻ると、秋兄が出かけるところだった。

 この時期だと経営計画会議だろうか。

 俺も御園生さんも完全スルーで、

「翠葉ちゃん、夜に連絡入れるから」

 足早に出ていく。

「あの人、今絶対俺のこと視界に入ってなかった自信があるんだけど……。翠葉、どう思う?」

「どう思うも何も……。急いでいただけでしょう?」

 翠に視線で同意を求められたから、「さぁね」と答えて図書室へ入った。

 実際はどうだろう。

 あの秋兄が普通に恋愛をするとは思えないし、その相手に翠を選ぶとも思えない。

 そんなわけはない――そうであってほしくない。

 次々と湧いてくる自分の感情が理解できなかった。

 明日、ふたりが出かけようと知ったことじゃないしかまわない。俺にはなんの関係もない。

 そう思おうとしても、気になって仕方がない自分が前へと出てくる。

 翠が視界に入らなければこんな考えに囚われることはないだろう。翠はすぐに帰る。

 そう思っていると、

「あ……先輩、お手伝い……」

 背後から翠に声をかけられた。

 そうだった……。課題を終わらせたら手伝えと言ったのは自分だった。

「来週からでいい。テスト前、午前授業になるから午後になったらここに来て」

 もともと手伝ってほしいと思っていたわけじゃない。咄嗟に口をついた交換条件のようなものだった。

 でも――手伝いに来れば一緒にいる時間が取れるだろうか。

「え? 何、翠葉ちゃん手伝ってくれるの!?」

 会長が翠に声をかける。

 でも、とくに何を思うわけでもなかった。

「はい。今日、里見先輩と司先輩に英語を教えていただいたので、そのお礼にお手伝いです。少しは役に立てるといいんですけど……」

「大丈夫! 翠葉ちゃんは写真を見る目があるから」

 会長はかなり翠の腕を買っている。

 そんな話は先月からよく耳にしていた。

「正直、猫の手を借りたいくらいに大変だから助かるよ」

 朝陽が声をかけ、嵐は「目が疲れた」とテーブルに突っ伏す。

 このメンバーが翠に声をかける分にはなんとも思わない。

 ……俺は何をそんなに気にしている?

 そこに御園生さんの間の抜けた声が聞こえてきた。……というよりも、ただ"翠葉"という響きに反応しただけのような気もする。

 未履修分野の課題が終わったのか、という問いに、翠は「うん、やっと終わった」とにこりと答えた。

 突如、テーブルに突っ伏していた優太と嵐が起き上がる。

「えっ!? 翠葉ちゃん、未履修分野の課題って、あの全十二冊のやつ!?」

 優太が訊くと、

「……はい、そうですけど……?」

「ちょっと待ってっ!? 優太、今日何日っ!?」

 嵐が携帯のディスプレイで日付の確認をする。

「五月八日って……あり得なくない!?」

 優太と嵐が顔を見合わせた。

 俺の隣では茜先輩が不敵な光を目に宿している。

「私たちも外部生だから、あの課題の大変さはよぉっく知ってるけど――かつて、一ヵ月半かからずに終わらせた人間いないって話よっ!?」

「俺も二ヶ月でギリギリだったけど!?」

 驚愕するふたりに、

「計算スピードはずば抜けてるそうよ? ね? うちに欲しいでしょう?」

 茜先輩がにこりと笑って見せた。

「それってそんなにすごいことなの?」

 朝陽が要領を得ない顔をしていたため、テーブルに置かれたままの問題集を手に取り、

「これが全教科十二冊」

「あらま……。外部生は最初の二ヶ月が大変って話は聞いていたけど……。翠葉ちゃん、すごいね?」

 珍しく朝陽の表情から笑みが消えた。

「蒼兄……」

 こういう状況に陥ると御園生さんに逃げるのは癖なんだろうか。入学式の日もそうだった。

「いや、すごいことだと思うよ。俺も一ヵ月半はかかったからね」

「でも、それは部活をやっていたからでしょう? 私は週に一度しか部活ないもの……」

 翠の謙虚さは時に嫌みのように思える。なのに、そこに計算も何もないから性質が悪い。

 毒になりそうな純粋さ――ふとそんな言葉が頭をよぎった。

「翠葉ちゃん、過去にも翠葉ちゃんみたいに週一の部活にしか入っていない生徒もいたけど、それでも一ヵ月半を切る記録はないよ? 久しぶりに記録更新!」

 会長が嬉々として記録更新を喜ぶ。

「テストはいつ受けるんだ?」

 御園生さんが訊けば、みんなが興味津々で返答を待つ。

「中間考査の午後に先生の時間をいただけたら……」

 その言葉に茜先輩が立ち上がった。

「すごい突破の仕方!」

 ……本当にどうかしてる。

 普通、中間考査になんてかぶせないだろ……。そうは思うが、

「前代未聞だけど合理的」

 翠が合理性を重視しているのかは別として。

「……いるんだねぇ、こういう子」

 次々と声をかけられる翠を見ていて、自分の気持ちを認めざるを得ないところまできていた。

 こんなに人が気になったことも、目を放せないと思ったことも、今まで一度もなかった。

 明らかに翠を意識している。

 ……俺は、たぶん翠が好きだ。

 まいった――こんなふうに人を好きになるとは思いもしなかった。

 自分は色恋沙汰とは無縁だと思っていたし、結婚をするつもりもなかった。

 最近ちらほらとくる見合い話も片っ端から断っている。

 明日の会食の相手だって、家庭教師の契約期間が過ぎれば会うつもりなど毛頭ない。

 手に入れたいものってこういうことを言うのか……?

「司、気づいた?」

 隣でペットボトルのレモンティーを両手で持つ茜先輩に尋ねられる。

「自分の気持ちに気づいた?」

 にこりと笑われ、先日の会話を思い出した。

 そう、この人は俺にこう言ったのだ。

 ――『あの子はただ見守ってるだけじゃ気づかないわよ? 言葉にして伝えても怪しいかもしれないわね』と。

 あのときは意味がわからなったが今ならわかる。

 ため息をつくと、

「やっと気づいたみたいね? もうライバルは動いてるかもしれないわよ?」

 それは秋兄のことを指しているのだろう。

「そう思いますか?」

 自分に確固たる確証はない。

「まだなんとも言えないけど、司が惹かれたのと同様、あの人が惹かれる要素は持っている気がするわ」

 明日、翠は秋兄と出かける。

 それだけが気がかりだが、明日でどうこうなるとは思えない。

 何しろ相手は翠だから。

 風のようにするりと俺の心に舞いこんだ人間。俺はその風をつかまえることができるだろうか――。

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