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光のもとでⅠ 第三章 恋の入り口  作者: 葉野りるは
本編
15/46

15話

 ホテルの絨毯はふかふかしていてなんだか地に足がついていない気がする。

 秋斗さんがエスコートしてくれていなかったら歩くこともままならない気がした。

 それにしても、これはいったいどういうことなのだろう……。

 あまりにもスペシャルな待遇すぎて動揺せずにはいられない。

 地上四十階にエレベーターが止まると、ドアが開くなり上品なグレーのスーツに身を纏った人に出迎えられた。

「秋斗様、お待ちしておりました。翠葉お嬢様、本日は当ホテルにお越し頂き光栄に存じます。私、総支配人の澤村と申します」

 丁寧にお辞儀をされびっくりしていると、

「さ、お姫様。こちらへどうぞ」

 秋斗さんにエスコートされ廊下を進む。

 案内されたのは広さ六畳ほどの個室で、窓からの夜景がとてもきれいなお部屋だった。

 ウィステリアホテルには何度か家族でも来ている。でも、未だかつて、こんなに緊張を強いられたことはなかった。

 携帯に目をやった秋斗さんがこちらを見る。

「翠葉ちゃん、緊張しすぎ。血圧が百超えてるよ?」

 ディスプレイを見せられて唖然とする。

 百十の六十九って誰の血圧だろう? 脈拍なんて九十近い。

「……誰のせいだと思ってるんですか」

「僕、かな?」

 秋斗さんは満足そうに答えた。

「でも、きれいだ。ドレスも髪型も似合ってる」

 そんなことを言いながら最上級の笑みを向けるのはやめてほしい……。

「翠葉ちゃんは赤くなると、首どころか体全身が赤くなっちゃうんだね」

 言われて、露になっている肩や首を押さえたけれど、しょせん、手で隠しきれるものではなかった。

 本当はテーブルに突っ伏してしまいたかったのだけど、テーブルはきれいにテーブルセッティングがされているため、突っ伏す場所がない……。

 恥かしさに悶絶していると、コンコン――。

 ドアをノックする音に意識が逸れる。

「食事が運ばれてくるには早い気がするけど……」

 言いながら、秋斗さんが「どうぞ」と声をかけるとドアが開いた。

 そこに立っていたのは――。

「静さん……?」

 ほかの誰でもない、藤宮静さん。このウィステリアホテルのオーナーだ。

「翠葉ちゃん、どうして静さんのこと――」

「なんだ、そういうことか……。秋斗が初めてプライベートで予約を入れたと聞いて顔を出してみたんだが……。お相手は翠葉ちゃんか」

 言ってにこりと微笑んだ。

「……静さん、翠葉ちゃんとお知り合い?」

 きょとんとした秋斗さんが静さんに訊くと、

「彼女には、現在建設中のパレスガーデンのラウンジに飾る写真を提供してもらうことになっている」

「そうだったの!?」

 秋斗さんは相当びっくりしているようだ。

「……どうしてか、そういうことになっているようです」

 あまりにも信じがたいことをかろうじて肯定する。と、

「おやおや、先日私と交渉していた翠葉ちゃんとは思えない返答だなぁ」

 静さんはクスクスと笑い、秋斗さんはさらに驚いたような顔をした。

「静さんと交渉って……!?」

「彼女は意外としっかりしたお嬢さんでね、この私が少々譲歩したくらいだ。あと、彼女は秋斗と同じでうちのホテルのフリーパスを持っている。ふたりとも、美味しいものを食べていくといい。帰りは秋斗がきちんと送り届けるのだろう?」

「それはもちろん」

「では、邪魔者は退散するとしよう」

 そう言うと、静さんは部屋を出て行った。

 どうやら、挨拶をしに顔を出しただけのようだ。

「もう、やです……。今日は色んなことがありすぎて、私いっぱいいっぱい……」

 情けなく声を出すと、

「翠葉ちゃん、あの静さんに写真提供って本当?」

 真面目な顔で改めて訊かれた。

「はい……。あまりにも高額な報酬すぎて食い下がったんですけど、結局は間を取られたうえに、ホテルのフリーパスを発行されてしまいました……」

「それ、すごいことだよ?」

「え?」

「あの人、仕事においては妥協を一切しない人なんだ。それに、藤宮の人間でもフリーパスを発行されている人は数え切れるほどしかいない」

 改めてことの重大さを認識させられてしまった。

 肩を落としていると、

「不思議な子だね」

 と、笑われた。

 そうこうしているうちに料理が運ばれてきた。


 前菜から、食べるペースに合わせて一品ずつ出てくる。それらはどれも少量で、食べるのが苦にならない分量だった。

「どう? 美味しい?」

「とても美味しいです。いつもなら途中でお腹いっぱいになっちゃうのに……」

 不思議に思っていると、

「僕を褒めて?」

 え……?

「このディナーは翠葉ちゃん用にオーダーしたものだから、分量も少なめだし薄味なんだ」

 嬉しそうに種明かしをしてくれたけれど、私は驚きに言葉を失っていた。

「……驚かせてばかりでごめんね」

 そうは言うけれど、秋斗さんはとても嬉しそうに笑っている。

「……秋斗さんずるいです。お詫びって言っていたけれど、これじゃお詫びどころの話じゃないです……」

「そんな困った顔しないで? 喜んでもらいたくてしてるんだから」

 そうは言われても困惑せずにはいられない。

「翠葉ちゃん、笑って? 僕は翠葉ちゃんに笑ってほしい」

 この人はどうして困ることばかり言うのだろう。

 ……うまく笑える自信など微塵もない。それでも、口もとを引きつらせながら笑顔を作ると、

「がんばってくれてありがとう」

 と、笑われてしまった……。

 本当にひどい――。


 食後のお茶も私にはハーブティーが運ばれてきた。

 ミントとレモングラスの爽やかなお茶。

 秋斗さんにはコーヒー。

 ほっと一心地つくと、

「それ、トップを外すとストラップになるんだ」

 胸元を指して言われる。

 私の胸元には、先ほど園田さんがつけてくれたネックレスがあった。

「これ……秋斗さんからのプレゼントって……」

「うん、気に入ってくれた? これが携帯につけるストラップ部分」

 と、胸ポケットから藤色の小さなジュエリーケースを取り出した。

 受け取って開けると、シルバーの繊細なチェーンが入っていた。

「トップは取り外しがきくから、そこに通してストラップとして使ってもらえると嬉しい」

「なんだか、こんなにしてもらって恐縮してしまいます……。でも――すごく嬉しいです」

 言うと、

「その顔が見たかった」

 と、にこりと笑顔を向けられた。

「じゃ、そろそろ八時だから帰ろうか」

 先に席を立った秋斗さんに手を差し伸べられ、今度は戸惑うことなくその手に右手を預ける。

「秋斗さんはエスコートし慣れてるんですね?」

「そう見える?」

「はい」

「そう思ってもらえて嬉しいよ」

 どこか上手にはぐらかされた気がした。

 でも、気にしない。

 今日一日、びっくりすることばかりだったけれど、とても楽しかったことに変わりはないから。

 今日はいくつのびっくり箱を開けたかな、と思いながら個室を出る。

 エレベーターへ向かって歩くと、一組前の人たちがエレベーターホールでエレベーターを待っているところだった。

 両親に連れ添われ、ピンクのワンピースを上品に着こなしている女の子と、同じく両親の後ろを歩く――。

 え……?

 思わず足が止まる。

「翠葉ちゃん?」

 シンプルなスーツを身に纏っているのは――。

「……司、だね」

 やっぱり、司先輩なの……?

 エレベーターが着くと、司先輩が女の子の手を取ってエレベーターに乗った。

 なんだろう……。どうしてこんなに胸がざわざわするんだろう。どうして……。

「翠葉ちゃん、大丈夫?」

「……はい。大丈夫、です……」

「とりあえず、ドレスを着替えに二階へ行こう」

 そう言うと、また手を引かれてエレベーターまで歩き始めた。

 エレベーターに乗っても、何かを考えるということができなくて、当然、秋斗さんと話すこともできなかった。

 ポーン、と少し篭ったような高い音が聞こえ、二階に着いたことを知る。

 先ほどと同じショップに入ると、

「園田さんお願いね」

 と、私の手を園田さんに引き渡した。

「翠葉お嬢様、お帰りなさいませ」

 先刻と同じように柔らかな笑顔を向けてくれるけど、それに応える余裕もなかった。

 フィッティングルームに通されカーテンを閉められると、ペタリとその場に座り込む。

 今の自分がよくわからない。

 なんで? どうして胸がぎゅって苦しいの? 何、これ……。

 思わず携帯を取り出しディスプレイを見る。

 血圧に異常はないし、体温も普通。ただ、脈拍だけが異様に速かった。

 とりあえず深呼吸をしよう、深呼吸――。

 十回ほど深呼吸を繰り返すと、少し脈も落ち着き始めた。

 その合間を縫ってドレスを着替え、フィッティングルームを出る。

 園田さんにドレスを渡し、秋斗さんのもとへ戻ると、

「翠葉お嬢様、またいつでもいらっしゃってくださいね」

 と、言葉を添えられて見送られた。


 先ほどと変わらず、秋斗さんにエスコートされるまま地下駐車場へ下りる。

 車に着くと、秋斗さんに促されるままに助手席におさまり、ドアを閉めてもらった。

 秋斗さんは運転席に乗り込むと、携帯を取り出しどこかへかける。

「蒼樹? あのさ、ものは相談なんだけど、あと少し翠葉ちゃんを借りてもいいかな? 九時までには返すから」

 驚いて時計を見る。と、まだ時刻は八時を過ぎたところだった。

「そうなんだけど……。――うん、わかってる。じゃ、またあとで」

 秋斗さんは携帯を切るとこちらを向いて、

「翠葉ちゃん、もう少し付き合ってね」

 私の返事は必要ないらしく、車を発進させると幸倉へ向かって走り出した。

 車内に会話はなく、ただ音楽が流れているだけ。

 私はまださっきの動揺から立ち直れておらず――。

 あ、れ……? 私、動揺したの……?

 ふとすれば、私はそんなこともわからなくなっていた。

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