馬車の中で
「この、のろま!起きろ――!出発するぞ!」
日が昇り早朝の温度が急激に上昇する頃、薄鉄をすり合わせたような声が響く。
リントは馬車を蹴飛ばすとぐらりと車体が揺れ、ぐっすりと寝ていた驚きマグスは飛び起きる。頭を天井にぶつけ眼に火花が飛び散った。白馬も声を上げる。
昨夜、ジャカランに着くまで姫の護衛を約束し、スープをすべてたいらげたマグスは馬車内で一晩を明かした。
「っ……うっせーぞ、このチビ助!頭打ったじゃねーか。つーか、狭すぎんだよ、この馬車は!」
「ずべこべ言うな。砂漠に放り出すぞ」
……このガキ。いつか服従させてやる。……ちっ、まあいい。ジャカランの街に着くまでの我慢だ。
馬車の中から外を覗くともうテントは片付けられていた。眼の前には小生意気な顔と、遠目にラプラとラルが荷物をまとめている。
マグスは左脚に違和感を感じた。痛みはなく片布も取れてそっと指で傷口をなぞると裂傷していた筈のキズが塞がっていた。
……なんだ?どういう事だ。一晩で回復するようなキズじゃないはずだが。
「おはよーマグス。よく眠れたー?」
「ああ、つめたい木板の上で最高の寝心地だったぜ」
明朗な笑顔でラプラは元気そうに手を振っている。
マグスは緑色に薄汚れたボロボロのローブをまとい馬車から降りた。
厳しい顔をしたラルが近寄って来る。渋面した表情はまだマグスを警戒している様子だ。
「マグス……と言ったか。武器を返してやる。馬車の下に埋めてあるから自分で掘り起こせ。ただし、妙な気は起こさぬ事だ」
「わかってる。一晩世話になったんだ。そんな気は起こさねぇ」
「ふん、どうだか。胡乱な貴様の事だ。姫様の許しがなければ殺していた。姫の慈悲に感謝するんだな」
――熱された砂漠の中を一行を載せた馬車が流浪している。
マグスば小刻みに上下する振動の中でラルに指示を出し、ジャカランの道のりを教えていた。
「ラル、西南方向に二つの山が見えるだろう。そこへ向かってくれ」
アイボリー色のローブを着ているラルは、無言で手綱を握って白馬にまたがっていた。
「エラそうだぞオマエ!バイク捨てろ!」
馬車の中にバイクと女二人男一人と、馬の食料やテントがすし詰めになっている。
顔を真赤にしたリントは馬車の中で暴れだすとマグスに蹴りを入れてきた。
「暑い、狭い、臭い!キサマは馬車から降りろ!」
「……いってえなガキ。暑いのは俺のせいじゃねぇだろうが。……そういや、姫さんよ。昨日、俺が寝ている間に何かしたか?」
「ん?ラプラでいいよ。昨日、脚を怪我してたでしょ。クスリ塗っておいたから治ってるハズ。調子はどお?」
「こんな……深いキズが一晩で治るクスリがどこにあるんだ。また、術式ってやつを使ったのか?」
「うーん、術式も使うけど……私の国には病気を治癒するクスリの調合が書かれた古書がたくさんあるから、キズ程度だったらすぐに治せるよ?」
……すぐにキズはふさがった。ならば古書とやらに妹の病気を治す事が書かれているかもしれない。こりゃ願ったりかなったりだ。
「たのむ!ラプラの国まで連れて行ってくれ。妹が重い病気にかかっているんだ。金ならいくらでも出す。治すクスリがあるなら全財産をくれてやってもいい!」
「アホか、オマエ。ジャカラン法王の謁見の方が重要に決まってるダロ。オマエの妹など知るか」
マグスは憤怒の形相でリントを睥睨し剣に手を掛ける。
蒼白になったリントは両手を頭に抱え狭い車内で小動物のように身を縮ませた。
「ひえっ……冗談だ!冗談!ぶらっくユーモアというやつだ!」
「まったくユーモアになってねぇだろうが……それでどうなんだ、ラプラ」
「結論から言うと無理かな~。謁見を済ましてまた旅に出なきゃいけないし……国へ帰るのは旅が終わらないとね」
「じゃあ、場所を教えてくれ。ラプラの国へ行く」
「ムリだな。普通の人間が行ける場所じゃない。ホレ結界があったダロ。あれが大陸中に張られていて、探してる間にオマエ老死するぞ」
リントの説明にラプラは頷いて「そのとおりだよ~」と言った。
暗澹したマグスは腕組みをし、深い吐息を漏らすと少しの間、眼を閉じた。
―――黄金色の砂漠ははバーミリオン色に染まり、ジャカランの街が蜃気楼の合間に見え隠れしていた。