西の国の女王
結界の中へ入ると三角テントが張られて中央にぼんやりと明かりが灯っていた。
現代では珍しい馬車がいて、白い馬がひっそりと静かに佇んでいる。近くでは煙が上がっていて空腹を鳴らすにおいが周辺に充満していた。
「なんでいまどき馬車なんだ。車両があるだろ」
「うっさいぞ、黙ってろ。……オマエの名は」
「……マグスだ」
言ってる事が無茶苦茶だ。このガキ……。今すぐ口を塞いでやろうか。しかし、腹減ったな……食いもんあるかな。なんとか泊めてもらって食い物を分けて貰うか。
三角テントの前でリントは脚を止めると「リントです!」と金切り声で叫ぶ。
中から女の「入れ」という意志の強い声が聞こえた。リントはマグスに「少し待ってろ」と小声で囁くとマグスは独り取り残されてしまう。
食いもんのにおいがする……。たまらん、ちょっと顔を覗かすか。
マグスはテントの煙が上へ昇っている場所まで行くと、栗色の長い髪の女が半裸で身体を拭いているらしき場面に出くわした。
女はマグスを見て銅像のように固まっている。
「……よ、よう。その、見るつもりはなかったんだ。ただ、ウマそうな匂いがしてな」
「そうですか……あの、遺言とかあります?」
「……なんだ、遺言?ねえな」
―――暗転した。
時を経て、マグスの眼にぼんやりと柔らかい光りが差す。身体の節々が強い力で押さえつけられたように動かない。パラライズとは違う何かに重圧されている。
口も開かない、動いているのは五感と心臓の音だけだ。
「目が覚めたか。ならず者め……。姫様を覗き見るなど万死に値する」
赤髪のショート髪の女がマグスに強烈な敵意を向け凝視している。リントと同じような異型の黒色の衣服をまとっていた。
女はマグスの首元に小型のナイフを突き立てる仕草をすると、
「リント!貴様の目は節穴か!こいつはこの場で殺してやる」
リントは小さく「ごめんなさい……」と小声で言い、テント内の隅で花が枯れたようにしょぼくれていた。
「ラル、ちょっと待って。……エヘヘ」
……この声。さっきの女か。
テント内に白い衣服と白いローブを着た照れ笑い顔をした女が入ってきた。
マグスはそば耳を立て様子をうかがう。
「―――姫様」
「ごめん、さっきは突然で気が動転しちゃってさ、ちょっとやり過ぎちゃったんだよね。その男を開放するから。ラル、我慢して」
「姫様、しかし……」
「お、ね、が~い~」
涼やかな甘えた声がテント内に響く。
ラルという女は震えた声で「わかりました……」と渋々了承した。
マグスの眼の前にパッチリとした碧眼の整った容色をした白皙の女が顔を出す。あまりにも美形で天使にすら見えた。長い栗色の髪がマグスの顔に掛かる。
「今から解いてあげる。暴れないでね」
一瞬だった。マグス身体が軽くなり四肢の感覚が戻ると、即座に立ち上がりドスの利いた声を出した。
「おい、何者だおまえら!とにかく食いもんを出せ。さもないと……」
身構え剣に手を掛けると空を切った。鞘もナイフも武器はすべて抜かれている。
為す術のないマグスは「……くそっ」と小さな声を出した。
「さもないと、なんだ?」
ラルという名の女が両手を前に出している……その中心で炎がくすぶっていた。
炎はメラメラとゆれて、熱風がマグスまで伝わってくる。
「業火に焼かれて死ぬがいい。ならず者め……」
「まあまあ、ラル。話しでも聞いてあげましょうよ。ここは平和的に、ね」
姫と呼ばれる女がラルをなだめ、炎は小さくなっていった。
マグスは平和という言葉に戦意を消失しその場に座り込む。
「わかった、悪かった。そこの白いの。一応、礼とわびを言っとく。名は?」
よく見ると白いローブを着た女の服装に、宝石や細かい刺繍がされているのに気づく。装飾品の特徴がないラルやリントの服装よりも気品がある。
「貴様、白いのとはなんだ!無礼であろう!」
「ラル、落ち着いて。……私はラプラ。西の大陸から来たのよ、あなたは?」
「……マグスだ。あんたら一体何者だ。目的はなんだ。俺を抑えるなんて尋常じゃねえ」
「私たちは海の向こうの大陸から来たのよ。ジャカランの法王に謁見する為にね」
「ジャカランに行くのか。丁度いい。俺も連れて行ってくれ。護衛くらいにはなる」
「……オマエの手など借りなくても余裕だ。汚れ戦士め」
テントの隅からリントが口を挟むと外へと出て行く。
一呼吸を置いて、鋭く眼を尖らしたラルがマグスに忠告をする。
「リントから貴様の力は聞いている。いいだろう。魔獣が出たら働いてもらう。それとお前は馬車で寝ろ。いいな」
「ラル。だから、大好きよ。よろしくね。マグス」
ニコリとラプラが笑顔になると手をあわせて喜んでいる。
リントがテント内へ戻ってくると食べ物のかおりが漂いマグスの腹の音が鳴った。
「はしたないヤツだな。オマエは。ほれメシだ。食え」
マグスは手渡されたスープを、ガツガツ食べあっという間に完食した。
「リント、もう一杯頼むわ。……そんで、ラプラ。おまえは何者なんだ。どう見ても普通の人間じゃねーだろ」
「――私?一応、西の国で女王やってま~す。いいでしょ」
ラプラのあっけらかんとした態度にマグスは「そうかい」と肩を落とした。