ヴィーナス召喚
ラルは苦渋の表情を浮かべながらじっとラプラを見つめて話し始める。
「姫様…………。死した人間を生き返えした前例は、幻影大陸でも訊いた事がありません。……古書の歴史の中でも1293年メディシン戦争時、優秀なソーサラーが死人を操り、シャーマンの侵略を阻止した。などとしか書いておりませんでした」
古書を諳んじるようにラルは言った。
ラプラはラルの説明に耳を傾ける様子はなく、懸命に腹の穴を塞いでいた。手のひらから光彩が放たれ、マグスの腹の細胞が集まると砂のように落ちてゆく。
幾度も回復を試みるが一行に修復される事はなかった。
「……ラル。これ……なんだろう。目から水がどんどん溢れて……」
「姫様。それは……涙です。……悲しい時に人間は涙します」
ラプラの目から大粒の涙がポロポロとマグスの顔へと落ちる。
「わからない……意味がわからないよぉ……。―――ねえ、ラル。最後にお願いがあるの」
「はい……」
「あたしね……生まれた時からインフェルノ封印の術式ともう一つ……サモンの術式を知ってたの。もちろん、サモンは使った事ないけど……」
「……召喚ですか……先の戦闘ヘル・デーモンも召喚トラップでしょう」
「うん、でもね、それは地獄のサモン。あたしのサモンは……神々のサモンなの」
「神々の……サモン……。まさか……!」
「あたしはこれからそれを使う。……あたしはどうしてもマグスを……」
「姫様!それを使ってはいけませんっ!神を呼ぶなど、世界に歪みが出てしまいます!あなた様の命も消え……」
「ごめんね……ラル、リント。……だから、最後のお願いなの。あたしのわがままを許して――――――」
―――辺りは輝きに包まれ、ラプラの背から白翼がこつ然と現れる。羽毛が一気に放たれるとマグスを白翼が包んだ。
空気は震え、木々がざわめき始める。
ラルとリントは夢想のような感覚に襲われていた。
ラプラの上空に浮かぶ聖なる女神―――ヴィーナスが光を放ち佇んでいる。羽毛が上空へと舞い上がって行き、ラプラの身体の輝き更に増していく―――。
空は青く澄み渡っていた―――
頸動脈がドクンドクンと波打ち
肺に空気が送り込まれる
草のにおいと鳥の声
自分ものでなく他人の心臓の鼓動が聴こえる
口の中の血の味が妙に気持ち悪い
胸の辺りに温かさを感じる
いい香りがする―――
どこかで香った記憶のあるものだ
「ぁ……ごほっ…ごほっ……ラプラ……」
マグスは咳き込むと乾いた口中を唾で潤した。
胸の上で栗色の髪が優しい風にさらわれフワリと舞う。
ラプラ……眠っているのか……。なぜ、俺は生きている。……いや、そんなはずはない。身体中の痛みと喉に詰まっている血の塊は夢じゃない。
手をそっと動かすとラプラの肩へと置いた。
身体が動く……あたたかい……こいつはなぜここにいる。…………ラル?
「目覚めたか……。眼をよく見せてみろ……死人の眼ではないな。成功……というわけか」
「ぁぅ……」
マグスの小さくかすれた声はラルへと届かない。
「まだ喋れなくて当然だ。―――リント、マグスと姫様を馬車へ載せる。これから街へ行くのは無理だ。引き返すぞ!」
「わかったのだ。…………姫サマ、大丈夫なのか」
「……私にもわからん。だが―――最悪の事態だ。考案を練らねば……」
重傷のマグスと動かないラプラを載せ、馬車は来た道を駆けて行った。
ラルは予想外の展開に同様を隠しきれなかった―――