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Fランク荷物持ちのバズりキャンプ飯 〜無能と追放され最深部でヤケクソ配信したら、ラスボス神獣が餌付けされました〜  作者: 伊達ジン


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第36話 限界オタクカメラマンの合流

 キャンプサイトから十分ほど森を歩き、眼下に青白く光る湖の全景が見渡せる高台。


 手頃な太さの倒木に腰掛けた琴美は、ヒロトから渡された木製のマグカップを両手でぎゅっと包み込んでいた。カップからは、カモミールと少量の蜂蜜を合わせたハーブティーの甘く優しい香りが立ち昇っている。

 彼女の肩には、ヒロトの厚手のマウンテンパーカーが掛けられていた。そこから漂う微かな焚き火の匂いとスパイスの残り香が、彼女の心臓を早鐘のように打たせ続けている。


「少し落ち着いたか? 胃袋に重いものを詰め込んだ後だからな、消化にいいものにしてみた」


 ヒロトは琴美の隣に少し距離を空けて座り、自分用のブラックコーヒーをすすった。


「あ、ありがとうございます……すごく、ホッとします」


 琴美はマグカップに口をつけ、温かい液体を喉の奥へ流し込んだ。カモミールの清涼感と蜂蜜の自然な甘さが、冷え切っていた胃袋の底からじんわりと熱を広げ、強張っていた筋肉をゆっくりと解していくのを感じる。

 隣に座る巨漢の横顔を、琴美は丸眼鏡の奥から盗み見た。

 本物だ。画面の向こうでずっと見ていた、私の推しが、すぐ隣でコーヒーを飲んでる。

 限界オタクとしての理性が再び吹き飛びそうになるのを、琴美は唇を噛んで必死に押さえ込んだ。ここでただの痛いファンとして終わるわけにはいかない。彼女には、どうしても彼に伝えなければならないことがあったのだ。


 琴美はマグカップを膝の上に置き、深く息を吸い込んだ。


「ヒロトさん。私……『真眼』というスキルを持っています。対象のステータスや、隠された魔力の流れまで視覚化できるスキルです」

「真眼……。なるほど、だから俺の生活魔法のデタラメさに気づいたってわけか」

「はい。でも、それだけじゃないんです。私、動画の編集にも少し自信があって……」


 琴美の震えていた声に、少しずつ熱がこもり始める。


「ヒロトさんの魔法の緻密さ、料理の手際、そしてこの最深部の信じられないような光景。それをただ定点カメラで流しておくのは、あまりにももったいないです。もっとライティングを調整して、適切なアングルで抜いて、必要な情報をテロップで補足すれば、ヒロトさんの配信は今の百倍……いえ、千倍の価値を生み出せます!」


 琴美は立ち上がり、ヒロトに向かって深く頭を下げた。


「お願いします! 私を、ヒロトさんの配信の総合ディレクター……専属カメラマンにしてください!」


 静寂が落ちた。高台を吹き抜ける風の音だけが聞こえる。

 琴美は心臓が口から飛び出しそうだった。Aランクパーティーにすら荷物持ちとして疎まれていた男だ。いきなり押し掛けてきたEランクの小娘の提案など、鬱陶しがられるかもしれない。

 だが、ヒロトは短く笑い声を漏らした。


「なるほどな。あの狂ったようにクオリティの高い切り抜き動画、お前が作ってたのか」

「えっ……ご存知、だったんですか?」

「ハナから少し聞いてた。あの動画がなきゃ、俺はただの変なオッサンとして片付けられてたかもしれない。恩人だよ、お前は」


 ヒロトは立ち上がり、琴美の頭にポンと大きな手を乗せた。


「俺は配信のことは素人だ。カメラの画角も、見せ方もわからん。お前がそこまで言ってくれるなら、全面的に任せるよ。よろしく頼む、ディレクター」

「……っ! はいっ!」


 琴美の大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。


★★★★★★★★★★★


 その日の午後。

 ヒロトがいつも通りに夕食の下ごしらえを始めようとすると、キャンプサイトの周囲に三機の最新型魔導ドローンカメラが羽音を立てて展開した。


「ヒロトさん! もう少しだけ、手元を右のカメラのほうへ傾けてもらえますか? あ、そうです、その角度です!」


 タブレット端末を片手に、琴美が鋭い指示を飛ばす。彼女の指先が画面を滑るたびに、ドローンカメラの位置が滑らかに動き、完璧なフォーメーションを構築していく。

 一機はヒロトの包丁さばきを捉える手元の寄り。もう一機は焚き火の炎越しにキャンプ全体を映すシネマティックな引きの構図。そして最後の一機は、ヒロトの足元でゴロゴロしているハクの愛らしい仕草を逃さず追従する専用カメラだ。


 ヒロトが夕食用の分厚いベーコンブロックを取り出し、等間隔に切り分けていく。そのナイフの流れるような軌道に合わせて、琴美のドローンが絶妙な角度から刃先の動きと肉の断面のテリを捉え続けた。さらに、焚き火にかけられたダッチオーブンから漏れ出す湯気すらも、疑似太陽の西日に透かしてドラマチックな映像へと昇華させている。

 岩の上に置かれた配信用のメインモニターには、リアルタイムでスイッチングされた映像が映し出されていた。


『え、画質ヤバ!? 映画かよ』

『急にシネマティックになったぞ』

『手元の寄り完璧すぎるだろ。おっさんの包丁さばきエグい』

『カメラワークにプロの犯行を感じる』

『ハクちゃんのあくびアップきちゃー!!』


 視聴者の驚愕のコメントが滝のように流れ、同接数のカウンターがスロットマシンのように回り続けている。


「すげえな……。お前、本当にただの探索者か?」

「ふふっ、これくらい当然です。ヒロトさんの魅力を世界中に伝えるのが、私の使命ですから!」


 琴美は丸眼鏡を押し上げ、誇らしげに胸を張った。自分の推しが、自分の手によって最高のアングルで世界に発信されていく。限界オタクにとって、これ以上の至福は存在しない。


★★★★★★★★★★★


 翌朝。

 朝食の片付けを終えたヒロトは、石造りのかまどの周囲に落ちた灰を箒で掃き集めていた。

 エミリアやユジンたちは日課の鍛錬と未踏エリアの探索へ出かけており、キャンプサイトには穏やかな静寂が漂っている。


「おい、ハク。そこはさっき掃いたばっかりだ。灰の上を転げ回るな」


 ヒロトが呆れたように声をかけると、子犬のように小さく縮んだ真っ白な神獣が、灰だらけの背中を見せて「ワフッ」と短い声で鳴いた。

 ハクは短い尻尾をちぎれんばかりに左右に振りながら、ヒロトが動かす箒の穂先に向かって前足を伸ばし、じゃれつこうと必死にダイブを繰り返している。そのせいで、せっかく集めた灰がパフッと宙に舞い、ハクの鼻先をうっすらと黒く染めた。彼はくしゃみを一つしては、また灰の山に飛び込むというエンドレスな一人遊びを満喫している。


「お前なぁ……神話の魔獣としての威厳はどこに置いてきたんだよ」


 ヒロトが箒をひょいと持ち上げて躱すと、ハクは勢い余って地面にごろんと転がり、そのまま仰向けになって無防備な腹を見せた。「撫でろ」という明確な意思表示だ。

 そのキャンキャンとまとわりつく無邪気な姿は、子供の頃に近所で飼われていた雑種犬の『ポチ』と全く同じだった。

 ヒロトは苦笑しながらしゃがみ込み、ハクの柔らかい腹をワシャワシャと撫でてやる。ハクは目を細め、気持ちよさそうに喉の奥でグルグルと音を鳴らした。


「……随分と、平和な光景ですこと」


 背後から、優雅で鈴を転がすような声が聞こえた。

 振り返ると、ハイブランドの特注ダンジョンウェアに身を包んだクロエが、日傘代わりの豪奢なパラソルを肩にかけて立っていた。今日は常に背後に控えている私兵たちの姿がない。


「クロエか。お付きの連中は?」

「彼らにはテントの警備と、少し離れたエリアの魔物間引きを命じましたわ。たまには、静かな時間を過ごしたい気分でしたの」


 クロエはパラソルを閉じ、ヒロトの足元で腹を出しているハクを見下ろした。その端正なダークスキンの顔立ちが、微かに緩んでいるのがわかる。


「ヒロト。少し、わたくしと歩きませんこと?」


 それは命令形でありながら、どこか誘うような、柔らかい響きを持っていた。


★★★★★★★★★★★


 二人と一匹は、青白く発光する湖畔に沿ってゆっくりと歩いていた。

 足元の地面からは淡い青の燐光が滲み出し、歩を踏み出すたびに星を散らしたように明滅する。湖面を吹き抜ける風が周囲のシダ植物を静かに揺らし、どこからか甘い花の香りを運んでくる。クロエはヒロトの歩幅に合わせ、急ぐこともなく、ただ景色を楽しむように歩を進めている。

 ハクは二人の少し前をトコトコと歩き、時折青く光る蝶を追いかけては明後日の方向へ走っていく。その度にクロエの視線が釘付けになるのを、ヒロトは横目で見て密かに笑っていた。


「ここに来る前は、アビス最深部なんて血と殺戮にまみれた地獄だと思っていましたけれど……貴方といると、まるで避暑地のグランピングリゾートにでも来ている錯覚に陥りますわね」

「飯と寝床さえしっかりしてれば、どこだって住めば都さ」


 三十分ほど歩き、湖に突き出た見晴らしの良い平らな岩場を見つけると、ヒロトは立ち止まった。


「少し休むか。お茶にする」


 ヒロトはアイテムボックスから、折り畳み式の小さなテーブルと二脚のキャンピングチェア、そして携帯用の魔導コンロを取り出した。手慣れた動作でセッティングを終えると、さらに厚手の鉄板をコンロに乗せて火をつける。


「あら、こんなところで何を作るおつもり?」

「ちょっとしたオヤツだ。昨日の夜に生地を仕込んでおいた」


 ヒロトはタッパーから、寝かせておいたクレープ生地をお玉ですくい、熱した鉄板の上に薄く広げた。トンボを使って手早く円形に伸ばしていく。

 生地の表面がふつふつと乾き始めた絶好のタイミングで、ヒロトはフランス産の高級発酵バターであるエシレバターの分厚い塊を、惜しげもなく生地の中央に落とした。

 ジュワッという音と共に、芳醇なバターの香りが周囲の空気を一気に支配する。

 そこに、たっぷりのグラニュー糖を振りかけ、生地を四つ折りに畳み込んだ。


「シュガーバタークレープだ。熱いうちに食え」


 紙に包んで手渡すと、クロエは少し驚いたようにそれを受け取った。

 星付きレストランの繊細なデザートを食べ慣れている彼女にとって、あまりにもシンプルで無骨なスイーツ。だが、焦げたバターと砂糖の暴力的なまでに甘く香ばしい匂いが、彼女の鼻腔をくすぐり、食欲を強く刺激していた。


 クロエは小さく口を開け、クレープの端をかじった。


 唇に触れた瞬間の、サクッとした小気味良い食感。鉄板でキャラメリゼされたグラニュー糖と生地の端が、香ばしい焼き菓子のような歯触りを生み出している。

 しかし、そのすぐ内側は驚くほどもっちりとしていた。噛み締めた瞬間、生地に染み込んだたっぷりの発酵バターがジュワリと溶け出し、芳醇なミルクの香りを凝縮したような濃厚なコクと上品な塩気が、砂糖のストレートな甘さと完璧なバランスで舌の上を蹂躙していく。


「……っ!」


 クロエの目が大きく見開かれた。


「な、なにこれ……。ただバターとお砂糖をかけただけですのに……っ、止まらない……!」


 クロエはもう一口、さらに一口と、熱々のクレープにかじりついた。口の端に少し砂糖がついても気にする素振りを見せず、憑かれたように生地を頬張る。バターの塩気が溶け出した直後に追いかけてくる強烈な甘みに、彼女の理性が吹き飛んでいるのがわかった。

 ヒロトは深煎りの豆で淹れたブラックコーヒーを紙コップに注ぎ、彼女の傍らに置いた。


「シンプルなものほど、素材と火加減がすべてだからな。外で食うと、また一段と美味く感じるだろ」

「ええ……はむっ……本当に……」


 あっという間にクレープを平らげたクロエは、コーヒーを一口飲み、小さく息を吐き出して湖の水面を見つめた。

 彼女の肩の力が抜け、いつも背負っている張り詰めた空気が和らいでいるのがわかる。


「……ヒロト」

「ん?」

「悪くないデートでしたわ。また、わたくしをエスコートしなさいな」


 クロエはクレープを包んでいた紙をきれいに畳みながら、ヒロトに向かって柔らかく微笑んだ。

 足元では、ハクがクレープの甘い匂いに釣られて「俺にも食わせろ」とヒロトのズボンの裾を引っ張っている。


「わかったわかった。お前には砂糖抜きのやつを焼いてやるよ」


 ヒロトが再び魔導コンロの火力を上げると、ハクは嬉しそうに短い声で鳴き、ちょこんとその場にお座りをした。

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