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Fランク荷物持ちのバズりキャンプ飯 〜無能と追放され最深部でヤケクソ配信したら、ラスボス神獣が餌付けされました〜  作者: 伊達ジン


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第30話 神獣の怒り

 紫色の転移ゲートがシュガッと空気を裂くような音を立てて閉じ、レオンたちの姿が最深部から完全に消え去った。

 強制退場に使われた空間魔法特有の、焦げたようなオゾンの匂いが風に流れていく。だが、彼らが踏み荒らしていった泥と下層魔物の悪臭、そして何より、ヒロトを「ゴミ」「オッサン」と見下したあの傲慢な声の余韻が、湖畔のキャンプサイトに重く冷たい空気を沈殿させていた。


「……信じられない連中ですわね。わたくしたちの至福の時間を土足で踏みにじった挙句、あのような下品な悪臭を残していくなんて」


 クロエが忌々しげに扇子で鼻を覆いながら、傍らに控える白銀の霊獣に視線を送った。主人の意を汲んだ霊獣が小さく息を吐き出すと、微かな浄化の風が巻き起こり、不快な残り香を森の奥へと吹き飛ばしていく。


「全くよ。次に会ったら、急所を外して一千回くらい斬り刻んでやるわ……」


 ユジンはキャンピングチェアに深く腰掛けたまま、不機嫌そうに長い足を組み替えて舌打ちをした。

 エミリアは持っていたナイフとフォークを皿に置いたまま、普段の無邪気さとは裏腹の冷ややかな碧眼で、ゲートが消えた虚空を静かに睨みつけている。籐子と久美子も、それぞれのやり方で明確な苛立ちを発散し、周囲の気温が数度下がったような錯覚すら覚える。

 ハナは通信端末をスーツのポケットにしまいながら、深く重いため息をついた。激務の果てにようやくありつこうとしていた極上の晩餐を、よりにもよって自国の探索者の見苦しい不祥事によって邪魔されたのだ。その絶望と深い恨みから、眉間に深いシワを刻んだまま、こめかみを強く揉んでいる。


 そして何より、足元のハクの怒りが凄まじかった。


「……グルルルルルルッ……!」


 豆柴サイズに縮んだ小さな体から、ギシギシと空間を軋ませるほどの濃密で重圧な魔力が立ち昇っている。その背後には、月光を遮るほど巨大なフェンリルの幻影が陽炎のように揺らめき、黄金の瞳が虫ケラを噛み殺すような冷酷な光を帯びていた。

 誰よりもヒロトの作る飯を愛し、毎食を心待ちにしている神獣にとって、自分に極上の食事を与えてくれる飼い主を蔑まれ、静かな食卓の時間を台無しにされたことは、自身の逆鱗を力いっぱい撫で回されるに等しい、万死に値する行為だったのだ。対象が強制退場させられた後でも昂ぶった怒りのやり場がなく、低い唸り声が風もない湖面を波立たせ、周囲の巨木を震わせている。


「おいおい、お前ら。何いつまでもピリピリしてんだ。せっかくの飯が不味くなるぞ」


 そんな殺伐とした空気の中、俺は一人、どこ吹く風でかまどの火加減を調整しながら声をかけた。

 足元で唸り続けているハクを見下ろし、エプロンのポケットから小さな丸い物体を取り出す。暇つぶしに『極・生活魔法』でアビス・ウッドの端材を削って作ってやった、野球ボール大の木の球だ。


「ほらよ、ハク」


 俺がボールを湖畔の平地に向かって軽く下手投げで放り投げると、ハクの背後に揺らめいていた恐ろしい幻影が、ポンッと間の抜けた音を立てて弾け飛んだ。


「ワフッ!?」


 怒りよりも狼としての本能が勝ったのか。ハクは短い歓喜の声を上げ、短い尻尾をプロペラのように振り回しながら、転がっていくボールを追って短い四肢をフル回転させてトテテテと駆け出した。

 途中で勢い余って青白い発光苔の上ですってんころりんと転がったが、すぐに体勢を立て直し、短い足で器用に踏み切って空中で見事にボールをキャッチする。そして、胸を張ったドヤ顔で再び俺の足元へと戻ってきた。


「よしよし、偉いぞ。すっかり上達したな」


 しゃがみ込んでその小さな頭をわしゃわしゃと撫でてやると、ハクは目を細め、喉の奥からグルグルと気持ちよさそうな音を鳴らして俺の手に頭を擦り付けてくる。

 先ほどの空間を歪めるほどの怒りは完全にどこかへ吹き飛んだらしい。神話級と恐れられる存在の面影はどこにもなく、どこからどう見ても、飼い主に甘えるただの愛くるしい子犬のそれだった。


 少し離れた岩の上に固定された配信端末の画面では、この凄まじいギャップを見せつけられた視聴者たちのコメントが、恐ろしい速度で濁流のように押し寄せていた。


『神獣の怒りのオーラで画面越しにチビりそうだったのに、ボール一個で解除されたww』

『チョロすぎる』

『世界一尊いボール遊び』

『発光苔でコケた瞬間、俺の心臓が止まった』

『あのAランク連中、マジでギリギリで命拾いしたな……』


「……よし、ソースの乳化もこれで完璧だな」


 俺はハクの首筋を撫でながら立ち上がり、ダッチオーブンの中身に全神経を集中させた。

 分厚い耐熱グローブをはめ、慎重に重い鉄蓋を持ち上げる。

 途端に、赤ワインの芳醇な香りと、肉の焼けた香ばしい匂いが、最深部の澄んだ空気の中に爆発的に広がった。


 香味野菜の甘みと牛骨から取った出汁を極限まで煮詰めたデミグラスソースが、ハンバーグから溶け出した牛肉の強い脂と見事に調和し、艶やかな漆黒の輝きを放ち始めている。

 ふつふつと湧き上がる気泡が弾けるたびに、ぶどうの酸味と焦がしバターの深いコク、そして数種のスパイスが織りなす複雑な香りが周囲の空間を満たし、冷え切っていた空気を一変させていく。まさに今、すべての素材が渾然一体となり、味が最も深く馴染むピークを迎えていた。


「待たせたな。過去最高の仕上がりだ」


 俺が木べらを持ったまま振り返り、笑顔で声をかけると、女性陣の顔に張り付いていた苛立ちが、ふっと春の雪解けのように霧散した。


 俺はそれぞれの銘々皿に、大人の拳二つ分はあろうかという巨大な煮込みハンバーグを取り分け、たっぷりとソースを回しかけた。横には、ツヤツヤに炊き上がった白飯をこんもりと盛り付ける。


「はいっ! いただきまーす!」


 エミリアがナイフも使わず、フォークで直接巨大な肉塊の中心を無造作に切り崩し、大口を開けてかぶりついた。

 表面が割れた瞬間、中からトロリと黄金色に溶けたチーズが、肉汁と共に溢れ出してデミグラスソースと混ざり合う。噛み締めた途端、粗挽き牛肉の野性味あふれる強い旨味が弾け、彼女の頬が蕩けたように緩んだ。


「んんんっ……! お肉の味が濃いぃ! リクエスト通り、チーズがたっぷり入ってます! このチーズのコクが赤ワインのソースと絡んで、もう……お行儀悪いですけど、ご飯に全部かけて食べたいです!」

「ちょっとエミリア、口の周りにソースをつけすぎですわよ。……でも、確かにこの深いコクは格別ですわね。赤ワインの酸味が絶妙で……ああっ、ユジン! 貴女、わたくしのバゲットを勝手にソースにつけようとしましたわね!」


 クロエが優雅さを保ちつつも、扇子の柄でユジンの手をピシャリと叩く。


「ケチね。私の分じゃソースが足りないのよ。あと、おじさん、もう少し辛味が欲しいわね。マイハバネロソースを足しても……」

「やめなさい! この完璧な味覚の調和をジャンクな辛味で壊すなど、言語道断ですわ!」


「……温度、粘度、香気成分の揮発バランス、すべてが規格外よ。このソースだけで独立した魔力機関が作れそう……熱っ!? ちょっと久美子! 私が冷めるのを待ってた端っこのお肉、いつの間に食べたの!」


 ゴーグルを下ろしてブツブツと成分を分析していた籐子が、自身の皿の異変に気づいて金切り声を上げた。


「……ん。早い者勝ち。これ、すごく美味しい。濃厚なソースがお肉の脂を優しく包んで、いくらでも胃袋に入る」


 久美子は気怠げな表情のまま、器用にフォークを操って自分の白飯と一緒に奪った肉を咀嚼している。


 そんな騒がしいやり取りを完全に背景のノイズとしてシャットアウトし、ハナは一人、静かに涙ぐみながらハンバーグと白飯の幸福な往復作業に没頭していた。

 フォークの背に乗せたご飯を、漆黒のソースがたっぷり絡んだハンバーグに押し当てて「バウンド」させ、肉汁とソースを米粒の限界まで吸い込ませてから口に運ぶ。激務で荒んだ胃袋と精神に、脳髄を直接揺さぶるような濃厚な旨味が染み渡っていく。彼女はもはや言葉を発することすら惜しいのか、ひたすらに目を閉じて咀嚼を続けていた。


 足元では、ハクが専用の大きな木桶に顔を突っ込み、顔中をデミグラスソースだらけにしながら、短い尻尾をプロペラのように振り回してガツガツと音を立てている。


「おいおい、そんなに急いで食わなくても、鍋にはまだたっぷりあるぞ」


 俺は賑やかで混沌とした食卓を見渡し、苦笑しながら自分の分の皿に手を伸ばした。

 熱々のハンバーグを切り分け、チーズとソースをたっぷりと絡めてから、白いご飯と一緒に掻き込む。

 牛と豚の合い挽き肉が持つ脂の甘さと、とろけるチーズのまろやかさ。それを、少しほろ苦い大人のデミグラスソースが完璧に引き締めている。俺自身の胃袋もまた、この圧倒的な旨味の奔流に屈服し、すぐさま次の一口を要求し始めていた。


「おじさん! 私、ご飯おかわりです! 特盛りで!」

「私も! 今度はソース多めでお願い!」

「わたくしにもバゲットの追加を!」


 四方八方から口々に飛んでくるリクエストに応えるため、俺は慌てて残りのハンバーグを飲み込み、炊飯用の土鍋の蓋へと手を伸ばした。

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