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断罪が五年前に終わっていたので今さら何をすればいいかわかりません  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第2話 宮廷魔導師と修繕メモ


「宮廷魔導師です」


 返却カウンターの向こうで、あの常連はあっさりと身分を明かした。


 私の手が止まる。


 ──宮廷魔導師。王立学術院に所属し、魔法の研究と教育と軍事支援を担う国家資格。社会的地位は貴族に匹敵する。つまり、王宮の人間。


(王宮の、人間)


 血の気が引くのがわかった。


 五年前の断罪。公爵家の爵位剥奪。婚約破棄。両親の病没。──この体に刻まれた記憶が、王宮という言葉に反応して軋む。前の魂のエレノーラが受けた仕打ちの全てが、王宮から降ってきた。


 私は転生者だ。前の魂のエレノーラとは別の人間だ。


 でも、この体は覚えている。


「……それで」


 声が平静を保てているのが自分でも不思議だった。司書の職業的笑顔というのは、クレーム対応で鍛えられるものだ。前世の遺産にしては、ずいぶん役に立つ。


「それで、宮廷魔導師さんが、なぜうちの修繕メモを?」


 カイルは外套のフードを下ろした。薄い銀色の目が、書架の奥──修繕メモの棚がある方向をちらりと見る。


「魔力痕の分析に応用できる修復手法が記載されている」


 短い。そしてわかりにくい。


「魔力痕……古い文書に残った魔力の痕跡のことですか」


「ああ。古文書の紙や羊皮紙には、書いた人間の魔力が微量に残る。それを読み取るのが俺の仕事の一つだ。だが、痕跡を読む前に原本を修復しなければ、そもそも鑑定ができない」


 なるほど。修復が先で、鑑定が後。だから修復技法を学ぶ必要がある。


 理屈は通る。


(……でも、それなら王都の修復師に訊けばいいのでは?)


 その疑問は、飲み込んだ。訊いたら藪蛇になる。宮廷魔導師がわざわざ辺境の図書館まで来る理由を深掘りすれば、会話が「あなたは何者ですか」の方向に転がりかねない。


 それだけは、困る。


「なるほど。ご事情はわかりました」


 にっこり。司書スマイル。前世で培った最強の防御壁。


 カイルが一瞬、目を細めた。笑ったのか、眩しかったのか、判断がつかない。


「──三十七ページ」


「は?」


「修繕メモ第三集、三十七ページ。酸化抑制のための環境管理の手順。あの発想は見たことがない」


 唐突だった。


 でも、その言葉に、体が反応してしまった。


「あ……あれは、リン布紙の繊維構造が酸性に弱いことに気づいて、保管環境の湿度を──」


 止まれない。


 修繕メモの三十七ページ。あれは前世の酸性紙問題への対処法を、この世界のリン布紙に置き換えて試行錯誤した記録だ。書いた時のことを鮮明に覚えている。マルタに「また夜更かしして」と叱られた。蝋燭を三本使い切った。配合比率を四回やり直した。


 ──好きなのだ。この仕事が。


 気づいたら、書架の前で足を止めていた。


 いつの間にかカウンターを出て、カイルと並んで修繕メモの棚の前に立っている。私が手を伸ばして第三集を引き抜き、三十七ページを開く。


「ここです。湿度を一定に保つために、木炭と乾燥ハーブを組み合わせた吸湿剤を自作して……いえ、そもそもの前提として、この世界の紙は魔力を微量に含んでいるので、酸化の進行が通常の──」


 口が止まらない。


 専門の話になると歯止めが利かなくなるのは前世からの悪癖だ。職場の飲み会で和紙の繊維構造について三十分語って同僚を全員眠らせたことがある。


(いやこれ完全にオタクの早口……いえ、何でもありません)


 慌てて口を閉じた。顔が熱い。


「す、すみません。つい……」


 カイルは黙っていた。


 その視線が、私の手元──修繕メモを開いた指先に落ちているのに気づく。何かを確かめるような、値踏みとは違う、もっと丁寧な目つき。


「悪くない」


 ぽつりと、それだけ。


 声の温度が、ほんの少しだけ変わった気がした。低く、乾いた声が、そこだけ角が取れたような──


(……気のせいだ)


 気のせいだろう。宮廷魔導師が辺境の司書の早口に感銘を受けるはずがない。


     ◇


 午後。窓の外で子どもたちが走り回る声がする。


 カイルが帰った後、カウンターに戻ると、マルタが窓辺で茶を淹れていた。


「あの人、また来てたね」


「ええ。……実は、宮廷魔導師だそうです」


「知ってるよ」


「知って──」


「最初に来た時、身分証を見せてもらったからね。図書館の利用登録、身分確認は必須でしょう」


 それはそうだ。三ヶ月前の登録時に確認済みだったのだ。前の魂のエレノーラが対応していたから、転生後の私には記憶がなかった。


「……心配しなくていいよ」


 マルタの声が、少しだけ低くなった。


「あの人、お前の過去のことなんて一度も訊いてこなかった。利用登録の時も、名前を見て少し考え込んでたけど、それだけ」


 名前を見て考え込んだ。


 ──そうか。エレノーラ・フォン・アッシェンバッハ。元公爵令嬢の名前は、王都では侮蔑の代名詞だ。宮廷魔導師なら知っていて当然。


 知っていて、何も言わなかった。


 三ヶ月間、ずっと。


「それよりノーラ」


 マルタが顎で窓の外を示した。八百屋のグレッグさんと肉屋のハンスさんが、図書館の前で立ち話をしている。


「さっきグレッグが言ってたよ。『ノーラさんの常連さん、今日も来てたな。あの人、ノーラさん以外とは口きかないんだよな』って」


「え?」


「ハンスも『愛想のない兄ちゃんだけど、ノーラさんの前だとちょっと違うんだよな』だって」


 何がどう違うというのだろう。あの人はいつも同じだ。無表情で、素っ気なくて、必要なことしか言わない。


 マルタが茶を渡してくれた。湯気の向こうで、少し皺の寄った目が笑っている。


「何ですか、その顔」


「べつに。──あの子は五年前にボロボロで来た時から、ずっと真面目に働いてきたんだよ。本を直して、棚を整えて、住民に頼りにされて。それだけでいい」


 急に話が変わった。いや、変わったのかどうかもわからない。マルタの話は時々こうだ。


「王都で何を言われてるか知らないけどね。ここじゃお前はうちの司書さんだ。それ以上でも以下でもない」


 茶が、温かかった。


 手のひらから、じんわりと。


     ◇


 閉館間際。


 カイルが今日二度目の来館で返却に来た。午前中に借りた修繕メモの第五集をカウンターに置く。


(一日で読み切ったの……? あれ、百二十ページあるのに)


「返却します」


「ありがとうございます。……もう全部お読みになったんですか」


「必要な箇所は把握した」


 必要な箇所。宮廷魔導師の読書速度と記憶力は、どうやら一般人の尺度では測れないらしい。


 本を受け取り、貸出票を処理する。カイルが背を向ける。


 扉に手をかけたところで、足が止まった。


「──この修繕メモには」


 振り返らないまま、低い声が落ちた。


「この世界にない知識が、混じっている」


 心臓が跳ねた。


 でもカイルの声は、追及の色を帯びていなかった。責めるでも、疑うでもなく──独り言のような、呟くような。学者が面白い論文を見つけた時の、あの声に似ていた。


 前世の大学図書館にいた教授たちが、たまにそういう声を出した。


 扉が開いて、閉じた。


 カイルの背中が夕暮れの中に消える。


 私は一人、カウンターに立ったまま動けなかった。


 この世界にない知識。


 ──気づかれたのだろうか。いや、気づかれたとして、何に? 前世の記憶? 転生? そんなもの、この世界の人間が想像できるはずがない。


(でも、あの人は「知識の出自」じゃなくて「知識の質」を見ていた)


 三十七ページの酸化抑制処理。あれを読んで、技法の異質さに気づける人間が、この世界にどれだけいるだろう。


 怖いはずだった。王宮の人間に正体を嗅ぎつけられるかもしれないのだから。


 なのに、指先に残っているのは恐怖よりも、修繕メモの話をしていた時の──あの、胸の奥がほどけるような感覚だった。


 専門の話を、ちゃんと聞いてくれる人。


 五年間、一人もいなかった。

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