ep.5
暗闇の中、母を呼ぶ小さな少女の声が響く。
泣きそうになりながらも必死にこらえて母を呼ぶ。
いくら呼んでも返事が返ってこないことはわかっていた。
それでも呼ばすにはいられない。
声も枯れ果てた頃、遠くに小さな明かりが見えた。
きっと母だと思い、一生懸命に走ってやっとの思いで明かりの傍にたどり着いた。
だがそれは烈々と燃え上がる火柱のような炎だった。
揺らめく炎の中から、黒い人影がこちらに手を伸ばしてくる。
その手が、炎が、暗闇が、幼い少女には恐怖でしかなかった。
ゆっくりと瞼を開ける。
柔らかい日差しが窓から差し込んでいる。
見慣れない天井をぼーっと眺めているとすぐそばで声がした。
「起きた!!どう?体、痛いところとかない?」
最近知り合った、ちょっと…いや、かなり派手な女性は私の顔を心配そうにのぞき込んでいた。
少し離れたところに長い黒髪の色白の女性が立っている。
「千陽、シューカさん気が付いた。」
部屋の奥から椅子を引きずるような音が聞こえ、くるくるした茶色の髪の青年が近くに歩いてきた。
「わたし…たしか夜に…。」
「昨日の深夜、現場を直接見たわけではありませんが、おそらく暴力を受けていたのだと思います。」
あぁ、そうだ。人目のつかないうちに町にある材料を採取しにいこうとして…それで…。
「色々聞きたいことはありますが、まずは安静にして傷を…」
「いえ、大丈夫です…。最初から事情を話していなかった私が悪いので…。知ってしまえば、皆さんに危険が及ぶかもと思い隠していました。けど、それが逆に巻き込んでしまう形になってしまいました。」
ごめんなさいと体を起こし、頭をベッドに押しあてる。
「いやいやいやいや!顔をあげてよ!シューカさんは被害者なんだから悪くないでしょ!」
わたわたと慌てた様子でレイはシューカをなだめた。
「違うんです!私が…悪いんです。」
荒げた声は、かすかに震えていた。
「理由があるのですね。お話していただけますか?」
千陽の声は穏やかで聞いていて心地がよく、気分が少し落ち着く。
うつむいたまま小さく頷いた少女は、暫くの沈黙の後ぽつりぽつりと話し始めた。
ワーフと呼ばれるこの町にやってきたのは母が若い頃らしい。
この町は小さいながら、よく船が往来する活気にあふれた街だった。
いろんな人たちが訪れるせいか、母がこの町に来た時も町の人たちは快く受け入れたらしい。
町には薬師がいなかったことも一つの要因なのかもしれない。
あまり裕福でない人たちには安価で薬を渡し、時間があるとよく町の子供たちといろんな遊びをしていた。
そんな母が町の人たちからとても愛されていたのは、物心がついた私にもよく伝わっていた。
いつも出掛けると泥だらけで帰ってきて、部屋にこもっては薬草を煎じていた。
「シューカ、おいで」
顔に似合わずかけている大きな眼鏡を手の甲でくいっと押し上げながら、母、ジーアが手招きをする。
シューカは彼女が作ってくれたお手製の踏み台に足をかける。
少し斜めになっているが、慣れるとなんてことはない。
「ほらこれを混ぜてね…。」
ジーアは手際よく数種類の薬草を鍋に放り込んでいく。
しばらくすると、鍋の中のお湯は綺麗な薄い紫色に変わった。
「マンマ、すごい!まーじゃみたい!」
ジーアは得意げに魔法みたいでしょと言い笑う。
小さいシューカにはジーアが教えてくれることはよくわからないことが多かったが、この笑顔が大好きだった。
決して裕福ではないが、シューカもジーアも幸せだった。
少し大きくなり一人で町を歩くようになったシューカは、ジーアにおつかいを頼まれることが多くなった。
町の人たちはみんな優しく、シューカの知らない外の話をよくしてくれた。
その日は、いつも行く時間より遅くに出かけていた。
雑貨店の前を通ると船乗りと店主の話し声が聞こえた。
「……って、船……きざ……娘…」
小さい声で話しているようで部分的にしか聞こえずよくわからなかった。
「すみませーん!いつものください!」
シューカの声に船乗りがびくっと反応し慌てた様子で振り返る。
店主は、ちょっと待ってねと店の奥からパンパンに膨れた紙袋を持ってきた。
お代を払い、店を後にする。
帰り際、こちらをちらちら見ながら小さい声で船乗りがボソッと呟いた。
なぜかシューカにはよく聞こえた。しばらく耳の奥で何度も繰り返されていた。
「あの捨て子か。」




