ホワイト革命の末路
肥大化する女権へのレジスタンス。非モテ男がそこかしこで搾取した女たちへの逆襲を始めた。非モテ男達の狂気は連鎖し、週に一回は若い女性の殺害事件が日本を騒がせた。そんなことも時間が経つにつれてごく普段通りの日常と化し、特段センセーショナルな話題でもなくなってしまったのが、2040年代の世相である。
21世紀の中盤の世界は「多様性の時代」と呼ばれる大きな潮流に飲み込まれていた。あらゆる文化、思想、価値観が交錯し、人々は「違い」を尊重し、受け入れることが美徳とされていた。社会は一見、平和で調和が取れているように見えた。しかし、その表層の下には、深い亀裂が静かに広がっていた。
「ホワイト革命」と呼ばれる運動の一端を垣間見れはじめたのは、そんな時代の始まりの頃だった。当初は、多様性をさらに推し進めるための「純粋な平等」を求める運動として始まった。人種、性別、宗教、あらゆる違いを超え、誰もが同じ権利と機会を持つべきだという理念は、多くの人々の共感を呼んだ。しかし、その運動は次第に過激化し、行き過ぎた平等主義へと変貌していった。
「違いを認めることは差別だ」というスローガンの下、個人のアイデンティティや文化的背景を強調することさえもが「不平等を助長する」として批判の対象となった。歴史的な記念物は「特定の文化を優遇している」として撤去され、文学作品は「特定の価値観を押し付ける」として修正を余儀なくされた。人々は「違い」を隠し、均質化された社会の中で息を殺して生きるようになった。
しかし、そのような抑圧的な平等主義は、やがて人々の心に反発を生み出した。特に、ホワイト革命の過激派たちが「正義の名の下」に行った「粛清」は、社会に大きな衝撃を与えた。不倫した芸能人や、不同意性交の疑いをかけられた有名人、政治家たちが次々と「血祭り」に上げられた。SNSやメディアは彼らの私生活を暴き、世論は一瞬にして彼らを「社会的に抹殺」した。
ある有名な俳優は、10年前の不倫が暴露され、一夜にして仕事を失い、社会的生命を絶たれた。ある政治家は、過去の性的なスキャンダルが再燃し、辞任に追い込まれた。彼らは「ホワイト革命」の理念に反する「罪人」として扱われ、誰もが彼らを糾弾することを求められた。しかし、その背後には、単なる正義ではなく、嫉妬や妬み、そして権力闘争が渦巻いていた。
「私たちはもう、違いを隠すことに疲れた。違いこそが私たちの誇りだ」
そんな声が各地で上がり始め、やがてそれは大きなうねりとなって社会を揺るがした。「ホワイト革命」に対する反動は、予想以上の速さで広がっていった。人々は再び、自分たちのアイデンティティや文化的背景を誇りに思い、それを表現し始めた。
しかし、その反動もまた、過激化していった。かつて「ホワイト革命」が行き過ぎた平等主義を求めたように、今度は「違い」を強調するあまり、排他的なナショナリズムや分断が生まれ始めた。世界は再び、混乱の渦に巻き込まれようとしていた。
「行き過ぎたホワイト革命」は、多様性の時代の末路を示す象徴的な出来事となった。少子化はもう後戻りできない所まで進んだ。人々はその反動の中で、新たなバランスを模索し始めたが、その道のりは決して平坦ではなかった。多様性と平等、違いと調和――その狭間で、人々はまだ答えを見出せずにいた。
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一方その頃、山奥の小さな村に住むドクター・ペロペロ・スケベッチは、ついに自身の長年の夢を実現させた。彼の研究室は、村の外れにある古びた納屋を改造したものだったが、その中には最新の技術が詰め込まれていた。彼は、少子化問題を解決するために、人間の欲望と愛情を完璧に再現した「スケベアンドロイド」を開発したのだ。
「これで、人類は滅びずに済む……!」
スケベッチ博士は、鏡の前で自分の禿げた頭を撫でながら、にんまりと笑った。彼の名前は、幼少期から周囲にからかわれるほど「スケベ」な響きを持っていたが、彼自身はそれを誇りに思っていた。むしろ、その名前が彼の運命を決めたと言っても過言ではなかった。
アンドロイドは、完璧なプロポーションと、誰もが魅了されるような美しい顔を持っていた。しかし、その最大の特徴は、人間と同じように感情を持ち、愛情を育むことができる点だった。博士は、これを「愛の革命」と呼び、世に送り出すことを夢見ていた。彼もまたホワイト革命の犠牲者だったのだ。「ホワイト」は白濁液だけで十分だ。これは彼の口癖だった。ホワイトがあるならピンクがあってしかるべきである。これこそが博士の夢見た「愛の革命」であった。