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底辺非モテの逆襲

 田中翔太、32歳。都内の小さなIT企業で働く独身男だ。彼の人生は、ずっと灰色のままだった。中学時代、内向的な性格と冴えない容姿が災いし、クラスの女子から「キモい」と陰で笑われたのがトラウマになった。高校では部活にも馴染めず、大学ではサークルに入る勇気すら出なかった。恋愛経験はゼロ。告白する相手すらいなかったし、誰かに好かれるなんて想像もできなかった。

 社会人になっても状況は変わらなかった。IT企業に就職したが、同僚との飲み会ではいつも隅に座り、話題に入れず黙々とビールを飲むだけ。同期が結婚し、家庭を築いていく姿をSNSで見るたび、自分との差に胸が苦しくなった。気づけば友達は一人もおらず、休日はアパートでゲームやアニメに逃げるばかり。実家に電話をかけるたび、母親から「まだ彼女いないの?」と聞かれるのが辛くて、最近はそれすら避けるようになっていた。孤独は彼の影のようについて回り、どこへ行っても消えなかった。

 そんな翔太の人生に、突然一筋の光が差し込んだのは、去年の秋のことだった。きっかけは、同僚に半ば強引に誘われた小さなライブハウス。そこで出会ったのが「コズミック・ガール」という地下アイドルグループのメンバー、桜井みゆきだった。彼女は19歳で、ショートカットの黒髪と少し幼さの残る笑顔が印象的だった。ステージ上の彼女はキラキラと輝いていて、翔太の目にはまるで別世界の住人のように映った。

 「ねえ、応援してくれたら嬉しいな。君、いい人そうだから。」

 ライブ後のチェキ会で、みゆきにそう言われた瞬間、翔太の心は完全に奪われた。彼女の笑顔と、ほんの少し触れた手の温もりが、彼の凍りついた心を溶かした。誰かに必要とされる感覚、誰かに向けられた優しい言葉。それを初めて味わった翔太にとって、みゆきは救いだった。彼女の存在が、孤独に押し潰されそうだった彼の日常に、初めて色を付けたのだ。それからというもの、翔太はみゆきに夢中になった。彼女を応援することで、自分に価値があると感じたかったのかもしれない。

 毎週末、みゆきのライブに通い、「コズミック・ガール」のCDやグッズを買い漁った。給料のほとんどを彼女につぎ込み、貯金も切り崩し始めた。SNSで彼女をフォローし、リプライを送るたびに「ありがとう、いつも応援してくれて嬉しいよ」と返事が来ると、翔太は自分が特別な存在になった気がした。孤独だった自分を、みゆきが救ってくれる。そんな幻想にしがみついていた。

ある日、みゆきからDMが届いた。

 「実は今、ちょっとお金に困ってて…。翔太くんなら信頼できるから、10万円貸してくれないかな?すぐ返すから!」

 翔太は一瞬迷ったが、彼女の「困ってる」という言葉に胸が締め付けられた。すぐにコンビニのATMで振り込み、みゆきからは「ありがとう!大好きだよ!」とハートの絵文字付きで返信が来た。その言葉に、翔太は天にも昇る気持ちだった。

 だが、それが転落の始まりだった。

 10万円が返ってくることはなく、みゆきからの要求はエスカレートした。「衣装代が足りない」「実家に仕送りしないと」「病気のお母さんの治療費が…」。毎回、涙声で訴える彼女に、翔太は断れなかった。消費者金融から借金をしてまで貢ぎ続け、気づけば借金は200万円を超えていた。

 ある日、我慢の限界に達した翔太は、ライブ後のチェキ会でみゆきに詰め寄った。

「みゆきちゃん、10万円いつ返すの?もう半年以上経ってるよ。他にも貸してるけど、生活が苦しくて…。」

 みゆきは一瞬目を逸らし、困ったような笑顔を浮かべた。

 「ごめんね、翔太くん。今ほんとにお金なくて…。もうちょっと待っててくれると嬉しいな。」

 その曖昧な答えに、翔太の声は震えた。

 「待っててって、いつまでだよ!俺、借金までして工面したんだぞ。頼むから返してくれよ!」

 周囲のファンやスタッフがざわつき始め、みゆきは慌てて手を振った。

 「わかった、わかったから!後で連絡するね!」

 そう言って彼女は逃げるように楽屋へ消えた。しかし、その「後で」は来なかった。代わりに、翔太のDMは既読スルーされ、電話も出なくなった。

 その後、みゆきが突然「コズミック・ガール」を卒業し、SNSのアカウントを削除。連絡手段が途絶えた。絶望した翔太は、彼女の新しいアカウントを探し当てた。そこには、信じられない光景が広がっていた。ブランドバッグを手に持つ写真、高級レストランでのディナー、シャンパングラスを傾ける姿。「新しい生活、最高!」とキャプションが添えられていた。彼女は豪奢な生活を満喫しているようだった。翔太が借金の取り立てに怯え、ネットカフェでカップ麺をかじる日々を送る一方で。

 その投稿を見た夜、翔太は薄暗いネットカフェの個室でスマホを握り潰さんばかりに睨んだ。バーチャル空間に映し出された画像が放つ光が、暗いネカフェの中の翔太の網膜に投影され、翔太の脳内にジワジワと狂気が広がっていった。


 「俺はみゆきちゃんのために生まれてきたんだ。彼女を幸せにするために、ここまで頑張ってきたのに。俺の人生ってなんだったんだ?あの笑顔も、『ありがとう』も、全部俺の愛を弄んでただけなのか?ねえ、みゆきちゃん、答えてよ。俺が必死に働いて、借金までして貢いでる間、お前はずっと汚いおっさんとベッドで絡み合ってたのか?そいつのちんこを咥えて、気持ちいいって喘いでたのか?俺がチェキを握り潰して泣いてる時も、お前は笑いものにしてたのか?一緒に生きてきたはずなのに、今までなんだったんだよ。本当に許せない。あんなゴージャスな生活してるなら、俺の金返せよ。・・殺す。」


 画面越しの狂気が実質的な狂気に変わる。殺意が頭をよぎり、翔太は自分の手の震えに驚いた。だが、その衝動を抑えることはできなかった。

アパートの家賃も払えず、借金の取り立てに追われる日々。翔太は仕事を辞めざるを得なくなり、ネットカフェを転々とする生活に落ちぶれた。かつての「光」は消え、残ったのは冷たい闇だけだった。

 闇の中で自分の狂気を必死に抑え込もうとしていた。「殺しはダメだ。殺しはダメだ。」しかし、翔太のそんな努力は、別アカで再フォローしたみゆきの新アカウントからの「ポン♪」という通知音で全てが無駄になった。   


 「20時から、生配信するよ!みんな見てね!」


 場所は特定されていなかったが、背景の写真から見覚えのある渋谷の雑居ビルが映り込んでいた。翔太の頭に血が上った。あの笑顔を、もう一度見たい。そして、裏切りの代償を払わせたい。もはや翔太ネットカフェを出た彼は、引き出しにしまっていた果物ナイフをポケットに忍ばせた。財布には残り僅かな千円札しかなかったが、それで電車に乗り、渋谷へ向かった。


 これは底辺非モテ(スペースカウボーイ)の逆襲だ。リアルな狂気で、君を殺しに行こう。僕、君。

 ハイにならなきゃならないのさ、今だ

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