第8話 奏の語る過去
21年前、あたしは東京都目黒区にある美容整形を営む両親の元に生を受けた。
代々医者や学者などを多く輩出してきた「道引」の一人娘として大きな期待を背負ってね。
エリートの遺伝子をあたしも受け継いでいたらしく、名門の幼稚園から名門の小学校と順調に進学していった。
このまま名門大学まで卒業し、一流企業などに入って順風満帆な人生を歩んでいくのだろうと幼いながらにあたしも信じて疑わなかった。
そう、あの2013年、小学3年生の夏休みのあの日までは。
あたしは夏休みの間も毎日与えられた量の勉強をこなし続けていた。
その日も朝から宿題などをこなし、お昼になったのでリビングに行きお母さんにお昼ご飯を頼んだんだ。
するとお母さんはすでにあたしの大好きなハンバーグを作っている最中で良い匂いがリビングに漂っていた。
少し待っている間、暇なのでテレビのスイッチをつける。
お昼の情報番組を見ながら待っているとお母さんがハンバーグを持ってきてくれた。
「はい!奏の大好きなハンバーグだよ!一緒に食べようね!」
「うん!」
こんななんの変哲もない普通の親と子供の会話をお母さんとしている時が大好きだった。それが幸せだと感じるぐらいお父さんは厳しかったからだ。
2人でいただきますと言いご飯を食べていると、突然テレビから衝撃的な音楽が流れてきた。
その音は脳を揺らし、体が自然と飛び跳ねたくなるような最高な音だった。
あたしは急いでテレビに目を向けると、そこには1人の白人の女性が歌っているライブ映像が流れていた。
彼女は女の子らしくないロックで格好良い服装、髪は金髪でピンクのメッシュが入ったりしてすごく可愛かった。
なにより思いっきり自由にギターを弾きながら歌う彼女にあたしは心を奪われた。
テレビ画面の字幕にはこう書かれている。
『アヴリル・ラヴィーン!2014年の年明けにジャパンツアー決定!!』
心此処にあらずでテレビに釘付けになっているあたしにお母さんが声を掛けてきた。
「奏はこの人が好きなの?」
「今初めて見たけど!あたしこの人大好き!格好良い!!」
「そうだね!格好良いね!」
お母さんは優しい笑顔で応えてくれる。
この日からあたしはアヴリルの虜になっていた。
そして、ゴールまで描かれたレールを歩くあたしに初めて『歌手になりたい』という小さな夢が芽生えた日にもなったんだ。
だけど厳しかったお父さんにはそんな事も言えずにあたしはそれからも毎日を勉強だけをして過ごすことになる。
そしてあたしが名門中学に合格した時、お父さんに内緒でお母さんがあたしにアヴリルのアルバムCDをプレゼントしてくれたんだ。
物凄く嬉しかった。一生の宝物にしようって思うぐらいにね。
そこから毎日毎日飽きもせずにアヴリルの曲を聞きまくった。
あたしがアヴリルの曲を歌詞カードを見なくても歌えるようになった頃、部屋に入ってきたお母さんがベッドの上のあたしにこう聞いた。
「奏は歌が好き?」
「うん…大好きだよ…。」
「何か夢はあるの?」
あたしは勇気を出して自分の夢を言ってみた。
「あたし…アヴリルみたいな歌手になりたい…。」
そう言ってみたものの、反対されたり怒られると思い、下を向いてしまった。
道引の家から芸の道を歩む人間なんて1人も居なかったし、恥とされていたからだ。
そしたらお母さんがあたしの隣に座る。そして優しくあたしの頭を撫でながらこう言ったんだ。
「じゃあお母さんは奏の夢…応援するね!」
あたしの1番欲しかった言葉をお母さんがくれた。
あたしは嬉しくて嬉しくて涙腺が壊れたのかってぐらい泣きまくった。
そんなあたしにいい子いい子しながらお母さんが続ける。
「いつかお父さんがビックリするぐらい歌が上手になるよう練習しようね。そしたら許してくれるかもしれないからね!」
「うん!」
この時から勉強の合間に歌の練習をいっぱいした。お父さんに『学校の音楽の授業のため』と嘘をついて作曲の本なんかも買ってもらった。
でもね、高校の受験を控えた中学3年の時にお母さんが倒れたんだ。
癌だった。もう末期で転移もしていて手の施しようがなかった。
あたしは毎日毎日お母さんのお見舞いに行ったよ。
絶対に病気を治してまた家に戻ってきてあたしに大好きなハンバーグを作ってくれるって願いながらね。
でもあたしの願いとは裏腹にお母さんはどんどんやせ細っていった。
そしてとうとうその日はやってきて、お母さんが危ないって連絡が病院から入ったんだよ。あたしとお父さんは急いでお母さんの元に駆けつけた。
あたし達が病室に入ると限界で動けないはずのお母さんがあたしを見て、ガリガリになった手であたしを呼ぶ。
あたしはお母さんの寝てるベッドの横に座る。
そしたらお母さんが一生懸命手を上げて、あの頃と同じ様に優しく頭を撫でてくれた。
それであたしはワンワン泣いてお母さんの胸に飛び込んだ。
するとお母さんはあたしをギュッと細くなった手で抱きしめてくれて、あたしの耳元でこう囁いた。
「奏は自由に生きなさいね。お母さんは奏の夢をずっと応援してるからね。奏の歌が聞こえてくるのを天国で楽しみに待ってるね。」
そうあたしに伝えると、力無くお母さんの手がベッドの横にずれ落ちる。
そしてピーーーーッという機械音が病室に無情に鳴り響いた。
起きたことが信じられず、泣いてお母さんから離れないあたしをお父さんが無理やり引き離した。
あたしのたった1人の味方のお母さんはいなくなった…。
お母さんが亡くなってからあたしは何も考えないように勉強をし続けた。
そして高校に入学したのだが、志望校よりも1つランクが下の高校だったのでお父さんに酷く怒られたのを覚えている。
高校ではこれといった思い出もないままずっと一人で過ごしていた。
気持ちが死んでいたんだと思う。
そのまま時が過ぎて高校3年生の春。いつも通りお母さんが買ってくれたアヴリルのアルバムを聞いていた時、ふとお母さんの言葉を思い出す。
『奏は自由に生きていいからね』
高校生活はずっと腐っていたがこんな姿じゃ天国のお母さんが悲しむ。絶対このままじゃダメだと思ってあたしは決心をする。
お父さんに歌手になる夢を伝えるためにリビングへと向かう。
「ねぇお父さん、あたし歌手になりたい。」
「何を冗談を言っている。」
「冗談じゃないよ!あたしは歌手になりたいの!」
「ダメに決まっているだろう!!お前は道引の名に恥じないように良い大学に行き、一流企業に入るか私の跡を継ぐんだ!」
「お母さんは自由に生きていいって言った!」
するとお父さんはみるみる顔を赤くして怒りを露わにした。そして立ち上がるとあたしの部屋に真っ直ぐ向かっていった。
あたしの部屋に入ると隠していたアヴリルのCDを取り上げる。
「優子がこんなものをお前に買っていたことを知っていた!だが勉強はしていたし目を瞑っていた!こんなものがあるから!!」
「やめてお父さん!!一体何をしようとしてるの!!絶対にやめて!!」
お父さんはCDを持った手を高く上げ、そしてCDを思いっきり床に叩きつける。
ガシャーン!!という音と共に、あたしのお母さんとの思い出の唯一の宝物はバラバラに砕け散ったんだ。
あたしは放心状態になった。
そんな立ち尽くしたあたしの横を無言でお父さんは通り過ぎていく。
ショックで何も考えられなくなったあたしはバラバラになった宝物を何故かゴミ箱に捨てた。
そしてあたしはまた泣いたんだ。でもいつもと違うのは、あたしを泣かせた感情が『怒り』と『悔しさ』って事だった。
そんな事があってもお母さんの事を考えると絶対に夢は諦めたくなかった。そしてあたしは1週間ほど悩んで1つの答えを出した。お父さんに突きつける条件だ。
それを伝えるためもう一度お父さんの所へと向かう。
「あたし、京都大学に行くよ。」
「…そうか。」
「そこで歌手として、お父さんを納得させるほどの結果が出せたら、あたしの夢を認めて欲しい。」
「お前はまだそんな事を!!」
「大学在学中に何も結果が出せなかったら諦めるから!お父さんの望み通りに人生を歩くから!そのために将来的に有利な京都大学を選んだんだから!許してくれないと…あたし!死ぬから!!」
鬼のような気迫であたしはお父さんに気持ちをぶつけた。
あたしがどれだけ本気なのかが伝わったのと、将来のため京都大学に行くという条件が効いたのか、
「分かった、しかし私が納得できない時は言う事を聞き、必ず夢を諦めろ。」
と、お父さんは折れて一応許可を出してくれた。
そうやってなんとかお父さんを説得して、あたしは死ぬ気で勉強を頑張って京都大学に受かり、そして家を出たんだ。
京都大学にしたのは元々家を出たかったって理由が1番だったしね。
大学に入ってからはどうやってお父さんを音楽で納得させるか悩んでいたんだ。
そんな時に飛び込んできたニュースが『ヴァルキリアフェスのオーディション』だった。
あたしが初めてテレビでアヴリルを見た時に彼女が歌っていた舞台もヴァルキリアフェスのものだったからずっと憧れていたんだよ。
まさに運命と思ったあたしはそのオーディションに向け曲を作ろうと思い、京都の山奥に行ったら遭難して、そして凛桜に出会って今現在ってわけ。
こうして奏は自分の過去を語り終えた。
語り終えた奏の顔には悲しみなどは微塵も感じられなかった。
必死の想いで過去を乗り越え、今はただ母との約束を守るために前を向いているのだろう。
全て聞き終えた凛桜は奏に飛びついて抱きしめた。
「がなで!!わだじも応援ずるがらね!!がなでの夢が絶対叶うように!!がなでのおがあざんにも届くように頑張ろうね!!」
泣きわめきながら喋るので何を言っているのかよく分からない。
が、奏には凛桜の気持ちが全て伝わっていたらしく一言照れくさそうにこう返した。
「あんがとね…。」
と。