第7話 震撼する程の悪意
奏達はミナミの道頓堀を東の方向へと歩いていた。
人も多く、人目につきやすいが木を隠すなら森の中というように、あえて人通りの少ない道を避けて通っていた。
「か…蟹!!でっかい蟹!!ねぇ!奏!でっかい蟹!!」
「あの…凛桜さん…恥ずかしいのでもう少しリアクションは控えめにお願いしたいっす…」
ワーワー大きなリアクションをしていたから目立ってしまったのか、派手な服装をした男の人が凛桜に声を掛けてきた。
「お姉さん!着物とかめちゃええやん!飲みに行こうや!全部奢ったるからええやろ?」
「えっ!?良いんですか??行きたいです!」
典型的なダメ男にホイホイついて行きそうになる凛桜を奏が慌てて止めにかかる。
「ちょっ!凛桜!何してんの!?お前も話しかけんな!」
「なんやねんブス!俺は清楚系が好きなんじゃ!」
「てめ…誰に向かってブスって言ってんだよ!」
ダメ男に暴言を吐かれ、今にも殴りかかりそうになる奏を逆に凛桜が引き離して連れて行く形になってしまった。
「も〜、奏は喧嘩っ早くて困るよ…。」
「あー!ダメだダメだ!早くあたしの家に行こう!お風呂も入りたいしゆっくり寝たい!」
周りから見れば命からがら逃げてきたようには見えない程、2人は自然と普通の女の子達みたいに道頓堀を歩いている。
それが本人達も分かっているようで、凛桜はこの普通が堪らなく嬉しかったし幸せだった。
道頓堀も終わりが見えてきて、堺筋という大きな道を渡るため信号待ちをしていると、奏達の横をタトゥーや入れ墨をいれているイカつめの男の団体が通り過ぎる。
ややこしい事に巻き込まれたくないのか、他の人達もその団体を大きく避けているみたいだった。
凛桜はなんとなくその先頭を歩いていた、黒髪を後ろで縛ったガタイの良い入れ墨だらけの男を見てしまった。
その男を見た瞬間、凛桜の全身を悪寒が襲い、今まで経験した事がないほど鳥肌が立つ。
凛桜は育った環境のせいか、神宿の手の力のせいか、人の悪意に凄く敏感になっていた。
あの雪を大きく越えるほどの悪意を感じ、全身の震えが止まらなくなり、思わず奏に寄りかかってしまう。
「え?どうした?凛桜?」
「………………。」
凛桜は心配する奏に返事ができず、顔をゆっくりと下に向ける。
これ以上その男を見ていたら頭がおかしくなりそうだった。
そんな凛桜には気付くこと無く、その団体は2人の横を少し離れて通り過ぎ、堺筋を北上していった。
この団体の先頭を歩き、凛桜にとてつもない恐怖を植え付けた男の名は、
『鬼山 貘』
ミナミでも最も恐れられている半グレ集団『アップグルント』のリーダーである。
『アップグルント』とは、解散した地下格闘技の団体に所属していた人間達を集め、警察であろうがヤクザであろうが相手がどんな人間でも揉め事を起こす最悪の集団である。
この時は当然何事もなく終わったが、鬼山と凛桜達は大きな運命の連鎖が繋がり、いずれ鬼山達に追われる身となってしまう。だがそれはまだ先の話。
奏がもう一度凛桜の顔を覗き込み話しかける。
「大丈夫?どっか痛いの?」
心底心配そうに話しかけてくる奏に凛桜は精一杯の笑顔で『大丈夫』と伝えた。
凛桜の態度に奏は少し引っかかりながらも歩を進めて自宅を目指した。
ミナミの東側に位置する松屋町の辺りに奏の借りているマンションがあった。
少し小さいが立地も良いし、一人で暮らすには十分な広さだった。
その3階に奏の部屋はあった。奏は慣れた手つきで鍵を開け、凛桜を招き入れる。
「ここがあたしの家!狭いけど遠慮は要らないからどうぞ!」
「本当だ!狭いけどすごく良い部屋!!」
また天然で毒を吐き、言わなくて良いことを言う凛桜だったが奏はそれに少し慣れたのかスルーすることができるようになっていた。
8畳程の部屋に置かれた少し大きめのベッドの上に奏は腰掛ける。
そして横に置いてあったタンスからジャージなどの着替えを出して凛桜に渡した。
「とりあえず先に風呂に入りなよ!着物は洗えないから…明日クリーニングにでも持っていこう。」
「ありがとう!じゃあお風呂借りるね!お風呂どこ?」
奏はシャワーの使い方を教えるついでに風呂場の場所へと案内する。
その扉を開けて『ここだよ』と凛桜に見せる。
扉を開けると目の前に便器があり、それを見た凛桜は、
「やだな〜、ここトイレだよ!」
「いや、ユニットバスって言ってトイレとお風呂が一緒になってるんだ…。」
「え…そうなんだ…なんかごめんね…広いお風呂しか知らなかったから…。違う!嫌味じゃなくて!」
「もう良いから早く入りな!」
奏はさっさっとシャワーの出し方やユニットバスの入り方を教えて凛桜を風呂場に押し込んで扉を閉めた。
凛桜は教えられた通りにシャワーを操作して身体を洗う。
所々擦り傷や切り傷ができていたが今まで気付かずにここまでやってきた。
その部分にお湯が触れるとズキリと痛んだが、その痛みで思い出す奏との逃走劇の思い出のおかげか、あまり嫌な気分にはならなかった。
お風呂を早々に済ませ、部屋着に着替えていると、部屋の中からギターの音と奏の歌声が聞こえてくる。
「〜〜♪〜〜〜♪♪」
その歌声は少しハスキーで、でも優しさの感じられる凄く心地の良い歌声だった。
その声を聞いていると耳から順番に全身に幸せが広がり癒され、そして心地よさの中で時間を忘れてしまいそうになる。
ガチャリとドアを開けて凛桜は部屋の中に入る。
「すっごく良い歌声だね!聞いてると何故か笑顔になっちゃってた。」
「ありがとね。この曲の歌詞を書くために京都の山に行ったんだけどね!歌詞は書けなかったけど凛桜に会えた…。」
「奏は格好良いよ。私のお母様にもあれだけの啖呵を切るんだもん。」
「いやぁ…、クソババアは言い過ぎた…。」
「2回も言ってたもんね!」
そして凛桜は奏の横に座る。
そしてずっと聞きたかった事を奏に聞いた。あの百合達に凄まじい気持ちを込めて言い返すほどの…歌手になるという夢に対する熱い気持ちの理由を。
「奏はなんでそんなに歌手になりたいの?」
奏は1度ギターをジャーンと鳴らす。
そして少し沈黙した後に、
「実はあたし…家を飛び出して東京から大阪に来たんだ。」
「だから標準語なんだね。なんで家を飛び出したかとか聞いても良い?」
「大した理由なんてないんだけどね、なんか青春を拗らせたというかなんというか…。」
「奏が言いたくないなら無理には聞かないよ。でも、教えてくれるなら聞きたい。だって奏は私の初めての友達だし…、なによりあの時お母様に言った言葉の力の根源を知りたいの。」
奏は壁に貼られた1枚のポスターを指差した。
そのポスターには『ヴァルキリアフェス 出場者オーディション開催』という文字がでかでかと書かれていた。
「ヴァルキリアフェスっていう海外の有名な野外フェスが日本で初開催されるんだ。あ、野外フェスって外でやるLIVEみたいなもんね。あたしは小さい頃からヴァルキリアフェスに憧れててね。そのオーディションを絶対受けてやるって思ったんだ。まぁそこを目指すために元々仲の悪かった家族と衝突したんだけどさ…。」
あの人一倍元気で活力に満ちていたはずの奏が少し悲しそうにポツリポツリと語り出した。
そんな奏を凛桜は真剣な目つきで何も言わず、真正面から受け止めて聞こうとする。
その純粋な凛桜の優しさに奏は全てを話そうと心に決めた。