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第32話 託された雪の思い

謙信は鬼山が吹き飛ばされた隙をついて雪の元へと駆け寄る。

倒れている雪の上半身をそっと起き上がらせて脈や呼吸を調べるとかなり弱くだがまだ雪は生きていた。

だがいつ雪の命の火が消えるやもしれないこの状況で鬼山の相手を長々とはしていられない。

落ち着いて考えればこのまま医療班の元に連れていくか、百合達の所へと連れていって神代から脱出させる事が正解だろう。

しかし、その選択をすれば必ず鬼山もついてきてしまう。なにより血まみれで腫れ上がり、鼻も折れ、歯も折れ、あの可愛かった顔が無残なものになっている雪を見るとこのまま鬼山を放置するなどできなかった。


短い時間で色々な事を瞬時に考えていた謙信だったが、後ろから鬼山の殺気を察知する。

そして振り返りもせず、雪を抱きかかえたまま鬼山の山刀の一撃を難なく躱した。

優しくゆっくりと雪を下ろした謙信は、鬼山の方へと振り返る。


「そんなにすぐ立ち上がれる程甘い蹴りではなかったはずだが…。」


「生きてきた中で1番きつい蹴りやったわ。内臓破裂したんかと思ったわ。」


あれ程綺麗に決まった謙信の蹴りを水月で受けて立てた者など今までいなかった。謙信自体も手応えを感じ、もしかしたら殺してしまったかも知れないとまで思っていたのだ。


「お前、やはり壊れ者だな。たまにいるんだよ。脳の一部が壊れていて常人では考えられない肉体を持っている人間が。」


「そうなんや。まぁどうでもええけど。その子返してくれや。おらんかったらあいつらの絶望した顔見られへんやんけ。

あ、ちゃうわ。お願いせんでもお前殺したら終いやんけ。」


鬼山は言い終わると同時に謙信へと襲いかかる。

四方八方から山刀の斬撃が飛んでくる。しかし、覚醒していた雪でさえ避けきれなかった鬼山の攻撃を謙信は掠ることなく避けていく。

鬼山はどれだけ山刀を振り下ろしても空を切る事に苛立ちを隠せない。


「ちょろちょろちょろちょろ鬱陶しいなぁ!」


「そんな殺気まみれの攻撃が俺に当たる訳ないだろう。」


「あ、そういうことなん?ほんなら…。」


鬼山は一度脱力したかと思うと、あれだけ漏れ出していた殺気がピタリと止まる。

そして顔からは何も読み取れない程の無表情で再び謙信に襲いかかる。


先程までは鬼山の殺気に反応して攻撃を避けていた謙信だったがそれを察知できない今、恐ろしく速い鬼山の山刀を躱すことができなくなってきた。

所々傷を負わされながらも、謙信は隙間を縫ってカウンターの拳を鬼山の顔面に叩き込む。


「チッ!こんな簡単にあれだけの殺気なんて消せるものじゃないぞ!どんな頭の構造をしているんだ!」


カウンターで謙信の強力な突きを食らった鬼山だったが、2、3歩 後退あとずさりしただけで倒れることすらなかった。


「お前痛みを感じていないのか?」


「脳内物質ドバドバやからな。気持ちええぐらいやで。」


「そうか、『だから』なのか…。」


「『だから』なんやねん!!」


謙信の言葉を最後まで聞くこと無く鬼山はまた攻撃へと転じる。

先程までとは違い、鬼山は興奮しているようだが殺気は押し殺しているままだった。

この鬼山の対応力や武術のセンスに謙信は驚嘆の感情を隠せなかった。


「人の話は最後まで聞くべきだぞ。」


そう言いながら謙信も鬼山へと反撃を繰り出す。しかし、謙信の相手の頭を狙った左足の蹴りを鬼山は右腕でガードする。


「く〜!なんちゅう重たい蹴りや!右手の骨折れてもうたんちゃうか!」


どう見ても骨を折られたリアクションではない楽しそうな鬼山は、右手に持っていた山刀を左手に持ち替える。


「よっしゃ!まだまだいくで!」


鬼山は左手に持ち替えた山刀を大きく振りかざし、左足を前に踏み込んで全力を込めて振り下ろそうとする。

が、踏み込んだ左足に力が入らずバランスを崩してよろけてしまう。

それどころか太ももからズキリと痛みが走った。


そんな鬼山の隙を謙信が見逃すはずもなく、鬼山の心臓部分を目掛けて渾身の正拳を繰り出す。

謙信の拳は鬼山の胸にめり込むほど強く打ち抜かれ、それを食らった鬼山は大量の血を吐血し、天を仰ぎながら後ろに倒れる。


謙信は『ゲフッゲフッ』と起き上がろうとする鬼山の上半身を足で踏みつけ地面へと仰向けに倒す。

そして鬼山を見下ろしながら謙信は言う。


「自分の身体の傷や痛みを気にせず戦えるのは驚嘆に値するが、その太ももの深い傷にも気付いてなかったようだな。

おそらく雪がナイフを突き刺して傷をつけたのだろうな。それに気が付いてなかったお前の負けだ。

右手を破壊すれば狙い通りに左手に山刀を持ち替えるだろうと思っていたよ。

左手で振り下ろそうとすれば自然と左足に重心がいく。後はよろけたお前を倒すだけだ。」


「ゆ…油断した…わ…。お…しえて…くれたら…良かっ…たやん…け…。」


「『だから』言っただろう。人の話は最後まで聞けと。」


そして謙信は鬼山の顔面を思いっきり蹴ってトドメを刺す。

それを食らって完全に気を失った鬼山に向かって謙信は一言吐き捨てた。


「俺の妹を舐めるな。ただでお前なんかに負けるわけないだろう!」


そのまま振り返り雪の元へと行き、止血などの応急処置を雪に施す。それが終わると雪をゆっくり抱きかかえる。


「鬼山か…怪物だったな…。雪が先に戦っていてくれなかったらどうなっていたか分からなかった…。

まぁ良い、どうせあいつはこのまま死ぬだろう。今は雪の命の方が大切だ。」


そして謙信は雪を託すために裏道にいるであろう百合達の所へと急ぐ事にした。

心の片隅に芽生える僅かな不安に気づかないようにしながら…。

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