第28話 破られる静寂
雪は7歳の頃から黒子衆になるために初めて色々な武術などを学び始めた。
女中としてではなく、黒子衆として育てる方針になったのは雪の類稀なる身体能力と武術の才能があったからだ。
それと同時に謙信と百合は雪に対して記憶の刷り込みと洗脳をする事に決めた。
「雪の記憶はまだ戻っていないのですね?」
「はい。今はもうこの神代で産まれ、私の妹としての記憶があの子の本当の記憶になっています。」
「それでいいでしょう…。あんな凄惨な出来事は思い出さなくても…。そのまま記憶が戻らないよう洗脳は続けて下さい。」
「分かりました。それでは…。」
その後も雪の想像を絶する修行と訓練は続き、雪が15歳になる頃には黒子衆の修了試験を受ける資格を得ていた。
ただ1つ問題があったのは、その身体能力を発揮するにはムラがあったのだ。
それを解決するために謙信は雪を呼び出す事にした。
謙信に呼び出された理由が自分の不甲斐なさと分かっている雪は恐る恐る謙信の部屋へと入ってきた。
「来たか。やはりリミッターを外す事が苦手のようだな。」
「お兄ちゃん…やっぱ雪には無理なのかな?」
「1つだけ方法がある。」
謙信はそう言うと小さな袋から白い錠剤を取り出す。
「これは『狂薬』と言い、飲めば無理やり脳のリミッターを外す事ができる秘薬だ。その代わり少々性格が荒くなってしまうがな。これを飲めば黒子衆の修了試験にも受かるだろう。」
「お兄ちゃん!それ頂戴!!雪は絶対に合格してみせるから!!」
そして修了試験当日、本殿前の広場にて百合も見守る中で試験が行われた。
大事に育ててくれた百合のためにも雪は絶対に黒子衆になり、恩返しがしたかった。
試験内容は同じく黒子衆になるため修行を共にしてきた者との対戦である。
審判として謙信が対戦する2人を呼び出す。
(お兄ちゃん達に恥はかかせられない。この試合…絶対に勝つ!)
そう心に決めた雪は、謙信から渡されていた狂薬を1錠口に含み、そのままゴクリと飲み込んだ。
すると胃から熱が広がり、血管を通して全身を巡る。それが脳に達した時、アドレナリン等が分泌され力が溢れ出す。
「キャハハハハハハ!!!雪は最高な気分になってきたよ!!お兄ちゃん!!いつでも始めて!!」
雪は目を見開き、赤く光るような鋭い眼光を相手へと向ける。
謙信の『始め!』という開始の合図と共に両者は相手へと攻撃を仕掛ける。
圧倒的だった。
相手は攻撃を仕掛ける体勢のまま雪に背後を取られ、喉元には短刀が今にも首を飛ばすかのように当てられている。
「ま…参った…。」
相手に何もさせること無く雪は勝利を掴んだのである。
その獣のような姿に恐怖を抱いたのか、周りにいた者達からの拍手はなく、ただただ声高らかに笑う雪の声が広場に響くのだった。
修了試験が終わったその夜、百合が謙信と雪について話をしている。
「あれは一体なんなのです?何か薬のような物を飲んでいたみたいですが…。」
「あれは…ただのラムネです。雪はリミッターを外す事が苦手だったので、『狂薬』と偽りあのラムネを渡していました。
しかし、私もあそこまでのプラシーボ効果があるとは予想していなく…。幼い頃から洗脳などをしていたため、思い込みで過剰に反応し、あそこまでの力を発揮したとしか…。」
「大丈夫なのですか?身体に大きな負担が掛かったりしては大変ですよ。」
「そこは安心して下さい。あれは元々の雪の実力なのです。優しい心を持っているためか、中々それを発揮できてきませんでしたが…。それに耐えるための肉体作りもしているので問題はありません。」
「それなら良いでしょう。では、これを合格祝いとして雪に渡して下さい。
先日凛桜と雪が話している時に『これ』を欲しがっていたみたいなので。」
謙信はシンプルな包装紙に包まれた物を百合から受け取る。
「中身はなんでしょうか?」
「何かフワフワした黒い服です。私には何が良いのか分かりませんが…。」
こうして雪は黒装束ではなく、女中が持っていた本で見た憧れのゴスロリ服を着て黒子衆として働いていくのである。
そこからは謙信と共に神代に仇なす者達を退けたり、時には血の雨を降らせることもあった。
こうして雪は本当の記憶を封印されたまま、神代を守るために必死で戦っていくこととなる。
知らず知らず、心を闇で侵されていきながら…。
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謙信は3本目のタバコを消すと、雪の過去について語り終えた。
それを黙って聞いていたアマネは雪の境遇を知り、胸を痛めて涙を流す。
「そんな壮絶な人生を歩んできたんですね…あの子は…。洗脳も薬も全部あなたの優しさだったと分かり安心しました。」
「優しさなんかじゃない…。俺達の勝手であの子の人生を狂わせてしまった。雪の名の由来になった待雪草の花言葉も調べたよ。『あなたの死を望む』って意味で付けられたなんてな…。」
「それは違いますよ。その花言葉は極一部の地域のみで語られるものです。私は雪ちゃんに『希望』という意味があると教えました。百合さんもそちらの意味で名付けたと思いますよ。」
謙信は少し驚いたような表情を見せたかと思うとまたタバコに火を点け、安心したかのように微笑みながらアマネに背を向ける。
「そうか…そうだったんだな…。俺は早合点のバカだったよ。
これから雪の事を頼む。この件が済んだらあいつをこの世界から足を洗わせてやりたい…。
ずっと親兄弟の愛を知らず生きてきたからか、あの歳でまだまだ内面は子供だが…お願いする…。」
「任せてください!お兄さん!一から母の愛を注いでいきますね!」
アマネはそう言いながら少し震えている謙信の背中をポンっと叩く。
そして謙信は振り向きもせず、屋敷の方へと歩いていく。その後ろ姿を見てアマネは思う。
「素直じゃないんやなぁ。泣きたいなら泣けばええのにね…。」
こうして雪の過去を知ったアマネは、より一層雪との絆を強く感じるのであった。
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そして次の日、奏のヴァルキリアフェスオーディションのFINALの日程も近付いてきた事もあり、みんなで帰り支度をしていた時であった。
何やら屋敷の外が騒がしくなってきて、巣を突かれたように黒子衆がバタバタと走り回っている。
それを見た凛桜が何かあったのかと心配になり、百合や謙信の元へと駆けつける。
百合の部屋の障子を勢い良く開けるとそこには百合と謙信、そして2人に報告をしている黒子衆がいた。
「招かれざる客が近づいて来ています。当主様達は今すぐ脱出を…!」
黒子衆の慌てる様子を横目に謙信は舌打ちをする。
「チッ!なんで奴らがこの場所を知っている!」
怒りに震える謙信の横で百合が冷静に状況を把握しようとしていた。
「たぶん羽山様でしょう…。きっとこの場所を教えたのは…。」
突然の事態に何が何やら分からない凛桜は話に割って入ることができない。
そんな緊急事態でも『奴』は待ってくれるはずもなく…。
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神代村のある山の麓。
そこには何台もの車やバイクが駐車されており、少し先には数十名のアップグルントのメンバーが様々な武器を持って待機していた。
その集団の中から鬼山が先頭へと進み、神代村の方向を見上げた。
「ほないこかぁ…。あっちから喰い甲斐のありそうな夢の匂いがプンプンしてるわ。」
久々のご馳走にありつける喜びからか、悪意に満ちた笑みを浮かべながら鬼山は神代へと歩を進める。