第2話 神宿の手(みじゅくのて)
羽山達が神代村を去ったその夜、凛桜は屋敷の離れにある自室で本を読んでいた。
部屋の中に電子機器の類は全く無く、部屋を照らすのは複数置かれた行燈のみだった。
外界から完全に隔離された場所だというのが部屋の様子で分かる。
凛桜が外界の情報を得るのは黒装束やお付きの女中さんから聞く話だけである。
そういった話を聞く度に凛桜は外の世界への憧れを膨らませていった。
しかし、未開の地の原住民というわけではなく、一般の人が学ぶ学業や一般常識などは専門の女中から学んでいるので問題はなかった。
「今日…願いを叶えたけど大丈夫だったのかな…。」
凛桜は今朝の羽山との願いの儀式の事を思い返していた。
簡単に人の願いを叶える代償、これは願いによって様々なのだが、その願いに関係した何かが失われるというのが通例になっている。
それは物であったり感情や身体的な能力など形にないものも失われる。
凛桜は今まで願いを叶えてきて1度も『ありがとう』と言われたことがなかった。
「こんな力…本当はいらない。いっその事、全て捨ててこの場所から飛び出したい…。」
凛桜は読んでいた本を閉じて自分の両手を見つめる。
『神宿の手』そう呼ばれる強大な力を秘めた手は、20歳を迎えた娘に母から継承される。それは意図的に力を移すのではなく、自然と母から娘へと力が移っていく。
拒否する間もなく、凛桜からしたら忌々しい力を受け継いでしまったのだ。
こんな事を考えていても仕方がないと凛桜が寝床につこうとしたその時、『ガタンッ!』と部屋の裏手から何かがぶつかったような音が聞こえた。
凛桜は一瞬ビクッとなったが、いつも通り山に住む動物が村まで下りて来てしまったのだろうと気にせず寝床に向かった。
「うぅぅ………」
音のした方から微かに女性のうめき声が聞こえる。
凛桜は慌てて外に出て裏手に回った。
するとそこには暗くてよく見えないが、小さなリュックを背負った女性がうつ伏せで倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
凛桜は急いで倒れた女性の元へと駆け寄る。
膝をつき、その女性を仰向けに抱きかかえた。
近くで見ると若い女性で自分と同年代ぐらいに見える。
このまま他の者に見つかると不味いと思った凛桜は女性に肩を貸すように立ち上がり、引きずりながら自分の部屋へと戻る。
必死の思いで女性を布団まで連れて行くと力を使い果たしてしまい、その上にドカッと乱暴に落とす形で女性を置いた。
その衝撃で意識が戻ったのか、女性は片手の甲をおでこに当てながら、
「痛たたた………あれ?ここはどこ?」
と片目を薄く開けながら目を覚ました。
「あ、えっと…ここは…あの…。」
凛桜があたふたと慌てながら喋っているとその女性はガバッと起き上がり、
「そうだ!あたしは歌を作るため山に籠ろうと適当な山に踏み込んだんだ!そしたら一気に迷子になっちゃってあれよあれよと食料も無くなって!山舐めてた!山!ごめん!!」
そう大きな声で喋りだす。慌てて凛桜は女性の口を塞いだ。
「だ!ダメなんです!大きな声は!ここにあなたがいるのがバレると…。」
それを聞いた女性は口を塞がれながらコクリコクリと首を縦にふる。
凛桜がゆっくりと塞いでいた手を女性の口から離す。
「ごめんごめん。気を失うとか初めてで気が動転しちゃって。山の中歩いてるとなんか薄っすら光が見えたからそれを目標に歩いてたら建物が見えてきて、それ見たら安心してフッと意識飛んじゃって…。あんたが助けてくれたんだね。ありがとう!」
その女性の見た目は、崩れかけているが少し派手な化粧をしていて、髪は黒髪をベースに青色のメッシュが入っており、ピアスは耳だけではなく、口元などにも付いていた。
少し怖そうな見た目とは裏腹に満面の笑みを浮かべながら人懐っこく喋る女性に凛桜は今までにないほど心が惹かれていた。
なぜなら、生まれて初めて他人から『ありがとう』と言われた事が嬉しかった。
「あたしの名前は道引 奏!奏って呼んでね!」
「私は…かみ…あっ!凛桜って言います…。」
相手の自己紹介に合わせて自分も苗字を名乗りそうになったがそれを寸前で止めた。
『神代』の名前は極力出さないようにしないといけない。
「凛桜かぁ、どんな字を書くの?」
「えっと、凛とするに桜って字で凛桜です…。」
「凄い綺麗な名前じゃん!顔もすんごく可愛いし!それスッピン?肌綺麗過ぎない…?というか凛桜って漢字はなんかこう…歌詞に使えそうな…」
ペラペラと喋りだしたかと思えば突然奏は腕を組みながら考え込みだした。
そんな奏を凛桜は何も言わず見つめていると、
「あっ!ごめんごめん!周りからは『お前は自由過ぎる!』ってよく怒られたりするんだよね!でも本当に助かったよ。さすがのあたしも死ぬかと思ったもん。」
「いえ!私は…なにもしていないので…。」
凛桜は褒められすぎて何故か恥ずかしくなり俯いてしまう。
本当はもっとお喋りしたいのに、外の世界の人と話す機会なんてそうそうないので緊張してしまう。
その緊張をほぐすかのように奏のお腹が『グゥ〜〜』と鳴る。
「あははは……、実は遭難してからずっと何も食べていなくてですね…。」
凛桜はクスッと笑ってしまう。
自然と笑ったのはいつぶりだろうか。
「夜食のパン、手を付けずに残しているのでそれをどうぞ。」
凛桜は立ち上がって、机の上に置いてあったパンを取り、奏に手渡した。
『ありがとう!』と奏は美味しそうにペロッと貰ったパンを食べてしまう。
気が落ち着くと奏は右の足首の違和感に気付く。
「やっぱ足首捻ってるみたいだな…。骨は大丈夫だろうけどかなり痛むや…。」
「え?大丈夫ですか!?待って下さいね。包帯で固定しますから!」
凛桜は救急箱から包帯を取り出すと慣れた手つきで奏の足首を固定する。
「凄いね!良いお嫁さんになるよ!」
「お…!お嫁さんですか!わ…!私なんてとても!」
「そんなテンパらなくても…凛桜は天然でおもしろいね!」
2人で楽しく会話をしている所に部屋の外からザッザッと足音が近付いてくる。
それを聞いた凛桜はゾクッとした。このままでは不味いと思い、
「奏さん!すぐに押し入れの中に隠れて下さい!」
「えっ!?う…うん…。」
凛桜の表情と態度の変化に戸惑いながらも奏は言われた通り押し入れの中に身を隠す。
すると扉の向こうから男性の声が聞こえる。
「凛桜様、大きな物音が聞こえたような気がしましたので何かあられたのかと様子を見に来ましたが…大丈夫でしょうか?」
「はい、何もありません。布団をひくのに少し転んで行燈などが倒れただけです。ケガなど心配はいりませんのでどうかお戻り下さい。」
扉の向こうからの返答は少し遅れて『分かりました。』と返ってきた。ザッザッと足音が遠のいていく。
奏はソ〜っと押し入れから出てきて凛桜に聞く。
「もしかして家は厳しい系?あたし凛桜の邪魔してる?」
「少し特殊な家柄でして…。」
その続きを奏に話そうか凛桜は迷う。
どちらにしろ奏の足がある程度治るまでは匿うしかない。
その間にこの家が他とは全く違うというのもすぐにバレるだろう。
なにより凛桜は奏ともっと近づきたいと思っていたし、友達になりたいとさえ思っていた。
彼女の『自由』さが自分の『夢』と交差する。
なので神代家について少しでも話そうと奏の方を向くと、よっぽど疲れていたのか奏はすでにスースーと寝息をたてていた。
凛桜はそれを見てまたクスリと笑ってしまう。
「明日でいいか…。もっと奏さんと話がしたいし…。」
凛桜は周りからバレないために奏を押し入れの中に移動させ、奏に毛布をかけて襖を閉めた。
そして凛桜も布団の中に入る。
何も変わらないと思っていた自分の人生に何か起きる予感を感じ、それに期待しながら目を閉じた。