第1話 願いを叶える力
夜中の1時頃、京都の山奥の道を1台の軽トラックが走っている。
道とも言えない草木が生い茂った獣道のようなその道を、荷台にのったスーツケースをガタガタといわせながらフラフラと慎重に前へ少しずつ進んでいる。
運転席には眼鏡をかけスーツを着た40代の男性が乗っており、助手席には同じくスーツを着た恰幅の良い60代の男性が乗っている。
運転席の男が悪路によりズレる眼鏡を直しながら助手席の男性に話しかける。
「こんな山奥に一体何があるっていうんですか!?それにわざわざこんな軽トラックじゃなくてもいつもの車で良かったんじゃないですか!?まさか…荷台に死体なんて乗せてないでしょうね!?」
「着けば全て話してやるから黙って運転しろ。それにこんな山奥をいつもの高級車だと嫌でも目立つだろうが。この訪問は絶対に誰にも知られてはならんのだ!三嶋!誰にも言ってないだろうな!」
三嶋と呼ばれた男は前のめりにハンドルを握り、ヘッドライトが微かに照らす先を必死に見ながら、
「羽山さんが絶対に他言するなと鬼の形相で言うから妻にも何も言っていませんよ!浮気だと思われていなければいいんですが…」
三嶋がそう言い終わると同時に車のヘッドライトが人影を照らし出す。
「うわっっ!!!」
三嶋は人影を避けるためハンドルを切りながら急ブレーキを踏む。
スピードはあまり出ていなかったのでなんとかどこにもぶつからずに車は止まった。
三嶋が恐る恐る伏せていた顔を上げて人影が見えた方向を見るとそこには昔ながらの提灯を持った男が立っていた。
「よし、三嶋…車を降りるぞ。」
まだ頭の中を整理できていない三嶋に向かって羽山が言う。
先に羽山が車を降りて、その後に手を震わせながら三嶋が降りる。
そして2人は提灯を持つ男に近づいていった。
「お待ちしておりました羽山様。村までご案内しますので後ろをついてきてください。」
黒い装束の様な服装で口元も黒い布で隠した怪しい男は2人にそう言うとスタスタと歩き出した。
全身真っ黒に身を包んだその男を見て、先程ギリギリまで姿が見えなかった事を三嶋は心の中で納得した。
男の背中を荷台に乗せていたスーツケースを持ちながら追いかける。そして三嶋は羽山に小さな声で話しかけた。
「は…羽山さん…なんなんですかこの忍者のコスプレをしたような男は…。まさか…私を殺そうとしてるのでは!」
「静かにしろ!お前は私の次にこの国の総理大臣になる男だろう。もっとシャキッとせんか!」
そう、この2人の正体は日本の現総理大臣の羽山勝信とその側近の政治家である三嶋春夫であった。
不慣れな山道を2人は必死になりながら黒装束の男の後を追う。
もう1時間程経っただろうか、喋る気力も無く俯きながら歩いていた三嶋が急に止まった羽山の背中にぶつかる。
「す!すいません!」
羽山は三嶋の方を向かず、正面を向いたまま答える。
「着いたぞ…神代村だ。」
その羽山が見つめる方を三嶋も見る。
するとそこには今まで見た中でも1番大きい朱色の鳥居があった。
その鳥居の奥には山の上へと続く階段が見える。
闇夜が辺りを支配するこの暗闇の中、突然現れた古びた巨大な鳥居。普通は不気味に感じるようなものだが三嶋はそれよりもとてつもない神々しさを感じていた。
ポカーンと口を開けていた三嶋をよそに黒装束の男が話し出す。
「当主様が上でお待ちです。私は此処までですのでお気をつけて…」
そう言い終わり、男は三嶋に提灯を渡すと森の闇の中へとスーッと消えていった。
考えが追いつかずに数秒フリーズしていた三嶋はハッと目を覚まし、
「羽山さん!一体何なんですかここは!?そろそろ説明をして下さい!」
「そうだな、上で粗相がないよう軽く説明しておいてやる。この上にあるのは『神代村』という村だ。村といっても大きな社と『神代家』が住む屋敷だけだがな。我々はその神代家に用があってこの場所まで来たんだ。さて、ここの階段は長いから登りながら話そうじゃないか。」
羽山はそう言うとスタスタと階段の方へと歩き出した。
三嶋は少し遅れて追いかけるように小走りで羽山の後を追いかける。
羽山は三嶋が追いついたことを確認すると階段を登りながら続きを話しだした。
「神代家というのはだな、特殊な力を持った一族なんだ。」
「特殊な力…ですか…?」
羽山はネクタイを緩めながら、
「『代償と引き換えに人の願いを叶える』という力だよ。」
それを聞いた三嶋は足を止め、半笑いになる。
「羽山さんってそんな冗談を言う人でしたっけ?冗談はいいですから本当の目的を教えてくださいよ。」
「お前もよく知っているだろう、私は冗談が嫌いな事を。」
羽山は三嶋をキッと睨んだ。
その目を見た三嶋は羽山が冗談を言っていない事を理解した。
「え…本当に言ってるんですか…?その願いが叶ううんぬんの話って…」
羽山はまた上を見上げながら階段を登り始める。
「いつの時代から神代家が存在するのかは分からん。神武天皇などの神話の時代に遡るともされている。その神代家の一世代に1人だけ特別な力を持った女が産まれる。歴史が大きく動く時にはその特別な力で神代家が関わっているのではないかと言われるほどだ。三嶋、元寇って習ったのを覚えているか?」
突然の歴史の質問に驚きつつも三嶋は答える。
「えっ…元寇ですか?あの元が日本に攻めてきたやつですよね?」
「そうだ、あの元寇の際に起きた嵐は神代家が人々の願いを聞いて起こしたとされているんだ。その他には『豊臣秀吉の大出世』や『第二次世界大戦の敗北』なんかもそうらしい。まだまだ数え切れないぐらいあるみたいだがな。」
三嶋は唖然としていた。仮にも日本のトップの人間が一体何を言っているのだろうと思った。
「いやいや…羽山さん。そんなとんでも都市伝説みたいなことあるわけないじゃないですか。それに願いを叶えるにしては世界大戦の敗北はおかしくないですか?」
「いたんだよ。敗戦を願った人物がな…とてもここでは言えない人だがな…。」
2人が神代家について話をしているととうとう階段の終わりが見えてきた。
その先は淡い光で照らされている。おそらくは提灯の灯りだろうと想像ができた。
階段を登り切るとそこには一人の美しい女性。そしてその女性の後ろに付き従うように黒装束の男が数名と着物を着た女性数名が立っていた。
先頭に居た一際美しい着物を着た40代ほどの女性が深く頭を下げながらこちらに喋りかけてきた。
「お久しぶりです。羽山様。いつもこんな遠くて不便な地まで足を運んでいただいて…。もうそんな時期でしょうか?」
「お久しぶりです。百合さん。えぇ…不甲斐ないですが…神代家の御力に頼ろうかと思いましてですね。」
三嶋から見ると、女性から漏れ出るオーラのような圧力にあの羽山が怯みながら話しているように見える。
三嶋からそう見えるのは仕方がなかった。
なぜならこの女性は
『神代 百合』。
神代家の現当主である。
艶のある結われた黒髪、妖艶な微笑み、綺麗な所作の一つ一つが三嶋の心を掴んでしまった。
先程羽山が話していた逸話も百合を見ていると信じてしまいそうになる。
「それでは今日はもう遅いので明日にでも羽山様の願いを聞きましょう。私の屋敷の客間にお食事と寝床も用意しておりますのでどうぞ…。」
「それはありがたいですな。三嶋、行くぞ!」
その後、羽山から百合へ三嶋の紹介があり。
三嶋と羽山は用意された食事を食べ、慣れない運動をしたせいかそのまま寝床で2人とも泥のように眠った。
そして翌朝。
羽山のビンタで三嶋は飛び起きた。
「何するんですか!?」
「いつまで寝てやがる!行くぞ!」
そう羽山に急かされて三嶋はすぐに着替えて羽山の後についていく。重たいスーツケースを持ちながら。
羽山が向かった先は大きな社の前だった。
「もうこの中で百合さんたちが用意をして待っている。入るぞ。」
「は、はい!!」
失礼しますと2人が社の中に入ると百合が正座をしてこちらを待っていた。
社の中は派手な装飾が施されているわけでもなくシンプルな作りになっていた。
しかし相当歴史を積んだ建物だということは古い木の香りで分かる。
「さっそくですが百合さん…私の願いを聞いてくれますか?」
羽山の問いかけに百合は片手をこちらに伸ばし静止させる動きをした。
「すいません羽山様…願いを聞く役目はもう私ではないのです。去年娘が20歳になり、力が私から娘に移ったのです。なので願いを聞き、叶えるのは娘の『凛桜』がいたします。」
そう言うと百合は『凛桜!こちらにいらっしゃい』と奥へ声を掛ける。
すると奥の引き戸が開き、そこから百合に似た美しい着物の女の子が入ってきた。
凛桜は羽山と三嶋の前まで来ると正座をし、頭を下げながら、
「神代 凛桜と申します。これから神代家への願いは私が全て引き受けますのでどうぞよろしくお願い致します。」
そう丁寧に挨拶をすると凛桜は顔を上げる。
それに羽山は答えるように、
「丁寧にありがとうございます。これからも我々『民進党』をよろしくお願い致します。」
と言いながら頭を下げた。
しばらく沈黙が続いた後に羽山が切り出す。
「実は我々民進党の内閣支持率が大きく下がってきてしまいまして…このままではまた2009年のように政権が交代してしまいます。それでどうにかまた支持率が上がり、民進党の政権が長く続くよう願いをしにきたのです。」
三嶋は昨日に続き羽山が何を言っているのか訳が分からなかった。
支持率をあげる?願いで?
昨日は百合や社周辺の雰囲気に飲まれてどこか気持ちが浮ついて信じかけていたがいざ目の前の光景を見るとバカバカしくなってきた。
そんな事を考えていると自然と顔がニヤけてしまう。
そんなニヤけ顔を凛桜に見られてしまった。
サッとバレないようにすぐ真顔に戻したが、三嶋の表情を見た凛桜はその心を見透かしたみたいに話を進める。
「分かりました。願いを叶えるための代償は…」
「またいつもの通り寄付金という形でこちらに…」
羽山はスーツケースを開けて凛桜達の方に向ける。
その中には大量の札束が入っていた。
『確かに受け取りました』と凛桜は言うと羽山の手を握る。
「では羽山様、心に強く願いを想って下さい。」
凛桜と羽山はお互い目を閉じながら集中する。
すると2人の繋がった手を白く強い光が包み込む。
そしてそれは一際大きな光を放つとスッと消えてしまった。
「これで羽山様の願いは叶うことでしょう…」
少し息を切らせながら凛桜が話す。
それを聞いた瞬間三嶋は勢いよく立ち上がる。
「羽山さん!これは詐欺なんではないのですか!!こんな粗末な儀式で『はい終わり』なんて信じれるわけないでしょう!その大金を手に入れるための虚言ですよ!目を覚まして下さい!」
三嶋は羽山の胸ぐらを掴みながら訴えるが、逆に羽山はその手を振りほどき三嶋を殴り倒した。
「バカ野郎が!なんて失礼なことを神代の方々の前で!!この金は失うはずだったモノの代わりなんだよ!これがなければ願いが叶う代わりに何かを失うんだよ!!それが願いの代償だ!!」
はぁはぁと肩で息をしながら羽山が三嶋に怒声を浴びせる。
殴られて怒鳴られて放心状態の三嶋に百合が近づく。
「三島さん、信じられないのは仕方のないことです。ですが、しばらく時が経てば分かるかと思いますので…気をお鎮めになって下さい…。」
殴られた箇所に百合の少し冷たい手が触れる。
三嶋はまた百合の不思議な魅力にやられて大人しくなってしまった。
「百合さん…とんだ失礼をしてしまいました。三嶋を連れてすぐにここを出ていきますので…。」
羽山はそう頭を下げると、三嶋の首根っこを掴んで立たせた。
百合は怪しく笑いながら、
「そうですね、長居は無用ですね。総理という立場上早く帰らなければなりませんしね。」
「ええ、これ以上姿を眩ませていると周りからいらん詮索をされますので。それではこれで失礼致します。これからも何卒……」
そう言いもう一度羽山は深く頭を下げた。
そして羽山と三嶋は黒装束の案内で慌ただしく社を出て階段を降りていく。
その2人の後ろ姿を百合と凛桜は見送りながら、
「凛桜、今回の代償はどうなりそうですか?」
「お母様、代償がどうなるか分かりませんが、あんなとてつもない願いの代償がお金でどうにかなると思えないのですが…」
百合は空を見上げながらポンと凛桜の頭に手を置く。
「形だけでも安心が欲しいのでしょう…。願いとは欲。その欲がもたらす代償から目を逸らすためにね…。凛桜、辛いですか?」
「いえ…これが役目だと分かっていますので。」
冷たい風が神代村を吹き抜ける。そしてその風が1つの花びらを巻き上げながら連れて行く。
遠く遠くへと…
その花びらが風に連れられて1人の少女の肩に落ちる。丁度神代村から歩いて半日ほどの場所だ。
その少女は木の枝を杖代わりにしてフラフラ歩きながら彷徨っている。
「ぐぅ〜〜…まさかあたしが遭難する事になるなんて…。歌の歌詞のインスピレーションを得るために京都の山奥なんか来るんじゃなかった…。」
少女の名前は『道引 奏』。
この奏が凛桜の運命を大きく変えて行く事となる。