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腹黒王子の愛は重い  作者: 小麦
3/3

後編

「改めて、今回の件は本当にすまなかった」


あれから二日後、イクセルは改めて謝罪をする為、オーストレーム侯爵家を訪れていた。

たまたま心配で様子を伺いに来ていたカミラとハンスも同席し、事件の詳細を聞く事となった。


「今回の件、ソフィア嬢に魔道具を渡しあれこれ吹き込んだのは、やはりマティアスの従兄だった。しかし彼は既に隣国に籍を移しており、この国での刑罰に掛けることは難しい。それに…彼は重い病を患っていて、もう先は長くない様なのだ」


彼は元婚約者との婚約破棄後、新たに据えられた婚約者とは結局婚姻せず、庶民に身を落とし、ひっそりと隣国で生活をしていたと言う。

そんな彼が、日頃から気にかけていた元婚約者の死を知り色々と調べ始めていた頃、たまたま出会ったのがソフィアだったと言う。


ソフィアは今の国の階級制度に強い不満を持っており、その事を周りによく語っていたと言う。

そんな中、マティアスの従兄は元婚約者の置かれた環境を知り、残された自分の命を復習に充てることを誓ったのだとか。


信仰心が薄れ、何とか盛り返したいと考えていた神殿の思いを利用し、何とかソフィアを聖女として認めさせたまでは良かったが、あまりに杜撰な計画と、ソフィアの予想以上の強欲さからすぐに計画は綻びを見せ始め、復讐は叶う事なく失敗に終わる事となった。


「それで、聖女様はどうなるのです?」


ティルダがイクセルに尋ねると、カミラとハンスも興味津々と言った様に体を前に乗り出した。


「最初に彼女は本物の聖女ではなかった。だから、もう聖女ではない」

「まあ」

「では、未来視の能力もなかったという事ですね?」


ハンスが言うと、イクセルは頷いて続けた。


「まあ、あれ程の雨が降り続いたのだ。彼女でなくても、容易に川の氾濫程度予想出来ただろうね」


それには三人が納得したように頷いた。


「神殿の罪は追々追及するとして、彼女の罪はどれも重罪に該当する。極刑は免れないだろうね」

「…そうですか」


予想通りとは言え、若い女性が処刑されるという事は考えさせられるものがある。

ティルダ達は少しだけ複雑な表情を浮かべた。


「それから、魅了にかかっていた者たちだが、後遺症の酷い者は引き続き治療を受け、後の物は各々の家の判断に任せる事になった。ただ、どの家も後継者としては認めないだろうね」


そこまで聞くと、ティルダは一番気になっていた事をイクセルに尋ねた。


「それで、マティアスだけれど…」


その言葉にイクセルは眉根を寄せ、難しい顔をした。


「彼の罪はそれほど重い物にはならなくて済みそうなんだ。彼自身反省しているし、実際に彼が手を下した物はなかったしね」


その言葉にティルダは安堵するが、続くイクセルの言葉に表情を硬くする。


「しかし、彼自身が重い処罰を望んでいてね。正直困っている」

「…」

「侯爵家は次男が継ぐ事になると思うのだが、マティアスは優秀だったからね。俺としてはこの国でその力を発揮する事が、一番の償いになると説得はしてみたのだが…」


ティルダとカミラとハンスの三人は俯き、暫く誰も言葉を発することはなかった。

四人の間に流れる沈黙を破ったのはカミラだった。


「私は何があってもマティアスの友人よ。何か困った事があれば何でも頼って欲しいと伝えて頂けますか?殿下」

「僕もです。確かに従兄の犯罪を黙認していたのは責められるべき事ですが、従兄が本気ではないとわかっていたからでしょう。魔道具を使ったのは悪手とは言え、本気ならもっと手っ取り早い方法はいくらでもあったからね」


ハンスの言葉にイクセルは無言のまま頷いた。

そしてずっと黙ったままのティルダを気遣うように、彼女の背中に手を置いた。


「ティルダ、大丈夫?」


イクセルが優しく声を掛けるとティルダはゆっくりと視線を上げた。


「…ええ」


力なく答えるティルダを見て、カミラとハンスは顔を見合わせた。


「私たち、そろそろ失礼致しますわ。ね、ハンス」

「ああ。そうだね」

「殿下、ティルダ御機嫌様」


二人はそそくさとその場を去って行った。

残された二人の間にはしばし沈黙が流れた。


イクセルは事件後から元気のないティルダを黙ってそっと見つめていた。

その表情はとても穏やかで、愛しい者を見る優しい目をしていた。


「…イクセル様。私はそんなに頼りないですか?」

「ん?」

「私、マティアスとは何でも話せる仲だと思っていました。私は何度もマティアスに助けられたのに、私は彼の力になれなかった。それがとても悔しいのです」


ティルダの手はドレスのスカートを強く握りしめ、小さく震えていた。


「イクセル様もマティアスも、私に肝心な事を黙っているのは、お二人にとって私が頼りないから」


ティルダは込み上げる涙を堪えようと、唇を噛んだ。

その唇にイクセルの親指がそっと触れると、穏やかな声で語り始めた。


「ティルダ、それは違うよ。俺はティルダが大事だから、巻き込みたくなくて話せなかった。言い訳に聞こえるかもしれないけれど、話を聞いてくれるかい?」


「…はい」


ティルダは掠れた声で何とか返事を返した。


「前にも少し話したけれど、ソフィアに初めて接した時、妙な感覚に襲われた。その感覚と彼女の周りの男性の態度から、恐らく精神作用のある何かが使われたと思い、咄嗟に魔法にかかったふりをした。その後、それが魅了の魔法だという事が分かり、捜査の為に演技を続けた」


ティルダは静かに話を聞きながら、頷いた。


「ティルダに話さなかったのは、何度か婚約者をソフィアに奪われたと言う令嬢が彼女に抗議に来た事があったのだが、その令嬢達が不審な事故に会う事が多々あってね、恐らくそれも魔道具の力だったのだろうが、万が一ティルダが危険な目に会ってはならないと思って話せなかった。本当にすまない」

「いいえ」


ティルダが首を横に振ると、イクセルは眉を下げ困った様に笑った。


「けれど結果、君を沢山傷付けてしまった。謝っても謝り切れない」

「もう十分謝って頂きましたわ」


ティルダの言葉にイクセルは少しだけ安心したような顔を浮かべた。


「あの日…公爵家で開かれた夜会で、実はソフィアの魔道具を使わせて証拠を掴む手筈だったのだが…恥ずかしい事に、俺がしくじってしまって…」

「まあ…」


恥ずかしそうに頬を掻きながら視線を流すイクセルに、ティルダは妙な物を見るかのように目を瞬かせた。


ティルドの視線にバツが悪そうに目を泳がせるイクセルはあの夜会での事を思い出していた。


あの日、姉上と公爵の協力により、テラスに魔道具の探知機と魔術師を配置しておいた。

魔道具の探知機は、いくつかの条件が揃わなければ証拠としては成り立たなくなってしまう。その為、慎重に慎重を重ね、何日もかけて準備したものだった。


しかし、その計画を実行に移す前のソフィアとのダンス中、踊りながら会場に目をやりティルダの姿を探していると、マティアスに髪を撫でられ、顔を真っ赤にして頬に手をやるティルダの姿が目に入って来た。

その姿を見たイクセルは頭が真っ白になり、すぐにティルダ達の元に駆け寄ろうとした。

しかし、ソフィアにしな垂れかかられた事でバランスを崩し、我に返ったイクセルはその後も何食わぬ顔でダンスを続けた。


そして、目的のテラスで計画通りソフィアと二人で談笑していると、視界にマティアスの後ろ姿が目に入った。

マティアスの目の前にはティルダが立っていた。

はっきりと姿は見えないが、ティルダの着ていたドレスの裾が見切れていたのですぐに分かった。


遠目から見ても二人の距離は近く、マティアスの手は何度もティルダに触れようと伸ばされた。


そんな二人の行動に気を取られていると、ソフィアはテラスから離れ、イクセルの腕を掴んでダンスホールへと向かった。

その後、ソフィアを何度かテラスへ誘ったが、条件が揃わず計画は失敗に終わってしまった。


「そう言えば、あの日私に話があると仰っていたのは…婚約を破棄すると言う話ではなかったのですか?」

「破棄?まさか。むしろその逆だよ」

「…?」


イクセルの言葉の意味が分からず首を傾げ、言葉の意味を考える。

しかし答えが分からず再び逆方向へ首を傾げた。


「はは。ティルダはしっかりしているようで、時々抜けているよね。それ、わざとかい?」


可笑しそうに笑いながらイクセルが言うが、ティルダは相変わらず意味が分からないと言った様子だった。


「ティルダ、右手を出して」


不思議に思いながらも、イクセルの言葉に素直に従った。


イクセルは差し出されたティルダの右手かの小指から指輪を外すと、今度は左手を差し出す様に言った。


ティルダは言われるがまま今度は左手を差し出す。

イクセルは自身の上着のポケットから小さな箱を取り出しその蓋を開けると、そこには大きなダイヤモンドが嵌め込まれた指輪があった。


「まあ。とても綺麗な指輪…」


ティルダが他人事の様に感想を述べていると、イクセルはその指輪を箱から取り出し、ティルダの前に片膝を立て跪き、左手の薬指にその指輪を嵌めた。


「ティルダ・オーストレーム嬢、生涯君だけを愛し、大切にすると誓う。私と結婚してください」


そう言ってイクセルは指輪に口づけを落とすと、ティルダの目をまっすぐに見据えた。

ティルダは暫く放心状態にあったが、イクセルの言葉を何度も頭の中で反芻する。


ティルダがイクセルの言葉の意味をようやく飲み込むと、ティルダは目にいっぱいの涙を溜めて「はい」と返事をすると、イクセルは嬉しそうにティルダを抱き寄せた。


暫く二人は抱きしめ合い、幸せを確かめ合った。


「そう言えばその指輪…」


ティルダは先程イクセルが外した指輪を指さした。


「内側に変わった模様が彫られていましたが、あれは何かの文字ですか?」

「ああ、あれかい?」


そう言ってイクセルは、ティルダの小指に嵌められていた指輪を掌に置いて見せた。


「これは、魔法を無効化する魔法紋だよ」

「そうなのですか?」

「うん。ソフィア嬢が魅了の力を使っていると分かって、急いで作らせた。しかし手元にこの指輪しかなくてね…」


そう言ってイクセルは小さなオパールのついた指輪を苦い顔で見つめた。


「その指輪はイクセル様の物だったのですか?」

「ああ、いや…」


イクセルは恥ずかしそうにしながらも、話し始めた。


「この指輪…実は昔ティルダの為に用意したものだったんだ。しかし姉上にオパールは地味だ、女の子はもっとかわいらしい宝石を好むのだと言われ、渡せずにずっとしまってあった」

「だからサイズが小さかったのですね」

「ああ…」


イクセルが耳を真っ赤にして恥ずかしそうに目を伏せた。


「ふふ。オパール、私は好きですわ。イクセル様はもしかして気づいていたのですか?昔、母の持つオパールのネックレスに私が憧れていた事に」


ティルダが言うと、イクセルは黙ったまま頷いてみせた。


「ふふ。ありがとうございます。私、オパールのこの複雑な輝きがとても好きなのですわ」

「ああ、そうだね」


イクセルはティルダに優しく微笑みかけた。

ティルダもまた幸せそうにイクセルに微笑み返した。


「この指輪にも、悪意の込められた魔法を跳ね返す術がかけられているから安心して」


そう言ってイクセルはティルダの左手に嵌められた指輪を撫でた。



                    ***



石壁で囲まれ窓もない薄暗い地下牢へと続く階段を、その場に不似合いな格好の男性が護衛騎士を引き連れゆっくりと下っていく。

カツン、カツンという靴音が冷え切った地下に響き渡る。


男性は一つの牢の前で足を止めた。


「イクセル様!」


牢の中にいたのは、ぼさぼさの水色の髪を振り乱し、腫れ上がったオレンジ色の目に涙を溜めたソフィアだった。


「イクセル様!もうこんな所耐えられません。助けてください」


掠れた声で縋るようにイクセルに訴えるも、イクセルは無言のまま鉄格子にしがみつくソフィアを見据えていた。


「イクセル様!イクセル様!」


ソフィアは何度もイクセルの名を呼び続けた。


「ひどい…あんまりだわ…」


ソフィアは力なく項垂れながらも、ぶつぶつと何かを呟いていた。

そんなソフィアを黙って見ていたイクセルが、口を開いた。


「取り調べの内容は全て確認させてもらった。今日は君の処罰について話に来た」


イクセルが話し始めても項垂れたままのソフィアはついに笑い出した。


「罰?あはははは!面白い。そうやってあなた達は自分に不都合な奴を排除するんだわ!」


狂ったように笑いながらも、ソフィアはイクセルをキッと睨む。


「ならすぐ殺して。今すぐ。こんな所にずっといたら気が狂いそうだわ。早く!!」


明らかに正気ではない様子のソフィアを冷めた表情のまま見つめるイクセルは、懐から小瓶を取り出した。


「犯した罪は重いが、君は利用されていた部分もあるからね。最後に情けをかけてあげようかと思ってね」


そう言って小瓶をソフィアへ手渡した。

恐る恐るそれを受け取ったソフィアは、震える手でその小瓶を握りしめた。


「…イクセル様、一つだけお聞きしても宜しいですか?」


ソフィアは小瓶を見つめたまま、ようやく聞き取れる程の小さな声で問いかけた。


「もしも、私がティルダ様より先にイクセル様に出会っていたら、もし出会い方が違っていたら…イクセル様は私を選んでくれましたか?」


ソフィアの問いかけにイクセルは首を横に振った。


「私はティルダといつ出会おうと、誰とどんな出会いをしようと、彼女以外を選ぶことはないよ」

「…けど、婚約は勝手に決められたものでしょう!あの女のどこがいいの?口うるさいし、他の男とベタベタしているじゃない」

「っはは。ベタベタねぇ。確かにあれには私も正気を失いかけた。けど…」


イクセルはこれでもかと言うほどに優しい顔をした。

いつもソフィアに向けていた優しげな顔は比ではない程に、とても穏やかで温かい笑顔を見せた。


「ティルダの魅力など、語りつくせぬ程ある。それこそ他の者には教えたくない程の魅力だ」


イクセルのその言葉を聞いても尚、納得のいかない様子のソフィアは食い下がる。


「私あの女が嫌いだった。生まれた環境にも容姿にも恵まれていて、その上王子様の婚約者で、未来の王妃様…はっ。だけどそれは全部自分の力で手に入れた物じゃない。だから、私が全部奪ってやりたかった。自分よりずっと身分の低い平民の女に全部奪われるの。けれど、それは全部他人に与えられたもの。奪われたって文句は言えないわ。ははは。どんなに悔しい顔をするか見てやりたかったわ」


ソフィアは小瓶を掴む手に力を籠める。

歯をぎりっと噛みしめて顔を醜く歪める。


「…」

「イクセル様、私は貴方の望み通り死にます。だから最後のお願いを聞いて下さいますか」

「…何だ。言ってみろ」

「この薬を貴方の目の前で飲みます。貴方は私が息を引き取るまで見ていて下さい。目を逸らさず。私と言う女を忘れさせたりしません」

「…いいだろう」


ソフィアはイクセルの目の前で死ぬ事で、自分を記憶に留めて置きたいと望んだ。

しかしソフィアは、イクセルがここへ来た本当の理由を最後に知る事となる。


ソフィアは小瓶の蓋を外すと少しだけ躊躇ったような顔をしたが、イクセルを睨みつけると一気にそれを呷った。


「さようなら。イクセル様。貴方は私を一生忘れられないわ」


ソフィアは最後にそう言うと、胸を押さえ苦しみだした。

しかしその苦しみはすぐに終わらなかった。

ソフィアはイクセルを睨みつける。その目は血走り、こめかみには血管が浮かび、顔中に脂汗が滲んでいる。


「っく、苦しい。イク、セルさ、ま…!たったすけ、て…」


ソフィアはイクセルに向かって右手を伸ばした。

だがイクセルはその様子を冷ややかな目で見下ろしていた。


「先日ティルダの指に嵌めていた指輪を解析してみたのだけどね…ああ、指輪と言うのは私がティルダに送った魔法を跳ね返す事の出来る指輪の事だけど、面白い事がわかってね」


イクセルは冷ややかな表情のまま淡々と言葉を続ける。


「指輪には何度も魔法を受けた痕跡が残っていたよ。それも、その内容は死に至る物だけではなく、彼女を生涯苦しめるようなもの、辱しめを受けるようなものまであった」

「っ!な、そんな、こと、まで…ち、ちが…」

「違う?あの指輪は急ぎで作らせた物だけど、ティルダを完璧に守るために受けた魔法が何か全てわかるようになっている」


ソフィアは苦しみながらも、イクセルの言葉の意味を必死で考えた。


「あの魔道具は精神操作の出来る道具である事は間違いないが、それは術を掛けられた者の深層にまで影響を与える非常に危険な道具だ。恐らく同じように、抗議をしてきた令嬢たちにもその魔道具で術を掛け、事故に見せかけひどい目に会わせたのだろう」


ソフィアは苦しみに顔を歪ませながら、イクセルを見た。

イクセルはソフィアをこれまでに無いほど冷たい目で見ると、低く冷たい声で言った。

その言葉にソフィアは一層顔を歪めた。


「君の一番の過ちは、ティルダに手を出したことだ」


イクセルはそう言うと、しゃがみ込みソフィアと目線を合わせる。


「ティルダを傷つけようとした君を、簡単に死なせてあげると思う?君が貶めた令嬢たちと、貶めようとしたティルダの分の苦しみを味わってゆっくり後悔するといい」


イクセルの初めて見る怒りを滲ませた表情にソフィアは全てを悟る。

自分は犯してはいけないものに手を出してしまったと…。


「もう声を出すのも辛いだろう?最後に何か言いたいことはあるかい?」

「…っ!さ…てい…くっ!」


ソフィアは絞り出す様に声を出そうとするが、思うように声が出ない。

次第に体には力が入らなくなり、体中に痛みが走るがもう声を上げる事すら出来ない。

苦しみだけが意識を占める。

ソフィアはそんな地獄の様な状況で、自身の思いを巡らせた。


自分のした事はこれ程の罰に値する程重い罪だったか。

ただ自分の置かれた環境を改善したかっただけだった。


この国でも有数の豪雪地帯に生まれ、夏は父親が公共工事の仕事、冬には出稼ぎへ出て、母親と幼いソフィアは内職をして生計を立てていた。

そんな中、父親が出稼ぎ中に事故に遭い亡くなり、母親とソフィアは仕事を求めて国中を転々とするようになった。


そんな時、辺境の地である男と出会った。

彼の顔色は悪くやつれていたものの、言葉遣いや所作は貴族のようだった。

彼はソフィアに水晶の様な綺麗な石と、半年分の収入に当たるお金を渡した。

何でも願いが叶う石だと言い、石を持って王都へ行けとソフィアに告げた。

そうすればこの国はソフィアの思い通りになると。


半信半疑だったソフィアだが、石を持ってからと言うものソフィアの願いが次々と叶った。


川の氾濫の話をすれば聖女だと言われ、王子と近付く事も出来た。

思い通りにならない事と言えば、王子の次にタイプのマティアスが中々ソフィアに靡かなかった事。

それから手名付けた男達の婚約者たちが騒ぎ立てた事。

なにより、ソフィアが一番嫌いなティルダが思い通りにならなかった事には苛立った。


他の令嬢はソフィアが望む様に行動し、破滅してくれた。

それなのにどんなに消えて欲しいと願っても、ティルダだけは思い通りになってはくれなかった。


そのお陰で中々ソフィアはイクセルの婚約者になれなった。

ソフィアがイクセルを想っていてもティルダがそれを邪魔した。

憎たらしかった。生まれた時から全て持っていて、まだ足りないと言う。

ティルダから全て奪ってやりたいと、ソフィアはそれだけを思うようになっていた。


しかし、結局ソフィアは何も手に入れる事が出来なかった。

イクセルの心も、未来も、ティルダが手にしていた物を何も奪う事も出来なかった。


「君たちは勝手だね。うまくいかない事は全て貴族や王族のせいにしていれば救われる。君たちの嫌う権力に自分たちが守られている事も知らずに…いや知ろうとしないのか」


イクセルの呟くような言葉がソフィアの耳に届く。

しかしもうその言葉に反応する事すら出来ない。


「君の求める平等の世の中は、もしかしたら幸せなのかもしれない。だけど、人間と言う者は人それぞれ考えが違う。そこから軋轢が生まれ、すぐに争いが起きる。平等なんて上辺だけの言葉は、稚拙な者の考えることだ」


イクセルはそこまで言うと、黙ってソフィアを見下ろした。


ソフィアはすでに言葉を発することが出来ないどころか身動き一つ取れず、ただ苦しみの余り身体が小刻みに痙攣していた。

口からはよだれを流し、目からは涙を流し、鼻水を垂らしたソフィアは目線だけをイクセルに向けた。


そこでソフィアはようやく気付いた。

彼は初めから自分を見ていなかったのだと。この男の心には、初めから自分は存在していないのだと―。



                     ***



レーンクヴィストの夏は短い。

雪解けと共に人々の動きは慌ただしくなる。


「マティアス、来年ではダメなの?」

「ああ。ここに俺はいるべきではないからね。それに従兄の病状も思わしくないようで、向こうで一人では心配だからね」

「そう…それは仕方ないわ。でもこの国に貴方がいるべきではないと言うのは間違いよ」


ティルダの言葉にマティアスはニコリと微笑んだ。


「ありがとう。ティルダ、身体に気を付けて。何かあったら連絡して。すぐには来られないけれど、必ず力になる」

「うん。ありがとう。マティアスも体に気を付けて。何かあれば私も必ず力になれるように頑張るわ」

「ああ」


マティアスとティルダの間にさあっと風が吹き、ティルダのはちみつ色の髪を乱した。

頬にかかったティルダの髪にマティアスの指がそっと触れ、そのままティルダの耳に髪を掛けた。

そのままマティアスはティルダの首の後ろに手を回すと、自身の顔をティルダの耳元へ近づけた。


「あの男が嫌になったらすぐに俺の元においで。俺はいつでも待っているよ」


マティアスが耳元で囁くと、ティルダの腰に腕が回されマティアスから引き離された。


「ティルダは俺の婚約者だ。むやみに近付くのはやめろ」


ティルダとマティアスの別れを、少し離れた場所から見守っていたイクセルだったが、マティアスの距離の近さに堪え切れずイクセルが二人の間に入った。


「狭量な男は嫌われるぞ」


マティアスが呆れた様に言うが、イクセルはティルダに夢中で聞いていなかった。


「はあ。最後ぐらい好きな女との別れを惜しみたかったな」


マティアスの呟きに反応したのはティルダだった。


「好きな人!?」


そう言ってティルダは周りを見渡した。

そしてハッとした顔をすると、マティアスの両手を掴んだ。


「マティアス。私全然気づかなかったわ。ごめんなさい」


その言動にイクセルの顔は青くなる。


「ティルダ、まさかマティアスを選ぶなんて言わないよね?」

「何を仰っていますの?イクセル様、今はそれどころではありませんわ」


イクセルはティルダの気迫に気圧された様に押し黙った。


「ティルダ、いいんだ。答えが聞きたいわけじゃないから」


マティアスがティルダに微笑みながら言うが、ティルダの口からは思いもよらない言葉が飛び出す。


「全然気づかず今までごめんなさい。けれどダメなの。恋人がいるの。彼は邸の見習いシェフで…すごく気遣いも出来て優しい人なの。だから…ごめんなさい」


その言葉にマティアスは口を開け呆気に取られた顔をし、イクセルは怒りの余り剣に手を掛け、すぐにその男を目の前に連れてくるよう命令を出す。


三種三様の思いの中、混沌とした空気を壊したのはティルダだった。


「確かに私の侍女は優秀でマティアスが惚れるのも分かるけれど…彼女には彼と幸せになって貰いたいの。ごめんなさいね、マティアス」


ティルダの言葉に二人は暫く呆然としていたが、顔を見合わせると同時に笑い出した。


「「ぷっ。あははははは」」


二人はお腹を抱え笑い転げた。


「はぁ。ティルダ、君は本当に最高だよ」


目に溜まった涙を拭きながらマティアスが可笑しそうに言った。


「ほんと。俺は危うく無実の人間を切り刻むところだったよ」


二人の言っている意味が分からず、ティルダはイクセルとマティアスの顔を交互に見た。


可笑しそうに笑う二人を見て、ティルダも何だか可笑しくなって笑った。



「じゃあそろそろ行くね」

「うん。気を付けてね。着いたら必ず手紙を書いてね」

「これ。従兄に」


イクセルがマティアスに袋を手渡した。

マティアスが訝しげに袋の中身を覗くと、そこにはいくつかの薬が入っていた。


「これ…」

「従兄の病気に効く物をいくつか調合させた。よかったら飲ませてやれ」

「…ありがとう」


マティアスはイクセルにお礼を言うと、ティルダに向き合った。


「ティルダ、君の幸せを願っている」


マティアスの言葉にティルダは涙を流した。


「ええ。マティアスもきっと幸せになってね」


「ああ。それじゃあ…」


最後にティルダの頭を優しく撫でたマティアスは、振り返る事無く王都を去って行った。


途中ハンス達と合流し、いくつかの町を抜け隣国へ向かう予定となっている。

マティアスは1か月の謹慎と、貴族籍の剥奪という罪で済んだが、隣国の従兄の看病の為国を出る事を決めた。


そんなマティアスの姿を見えなくなるまで見送った二人は馬車へと乗り込む。


「そう言えば聞きましたわ。ソフィアさんの事」

「ああ…」

「あんなにお元気そうだったのに…病死だなんて」

「そうだね」

「彼女とは最後まで分かり合えなかったけれど、一度ゆっくり話してみたかったわ」

「…」


イクセルはティルダの隣に移動すると、彼女の手を握った。


「あの女の事はもう忘れよう。君が彼女に心を砕く必要なんてない」


ティルダがイクセルを不思議そうに見ると、彼はいつもの様に優しく笑った。


「二人の婚姻式の準備でこれから忙しくなるからね。他の事を考えている暇なんてないよ」

「あら、その前にイクセル様の立太子が先ですわ」

「私にとっては婚姻式の方が大事だからね」


そう言ってティルダの額に口づけると、真っ赤になったティルダがイクセルを睨む。

それを見ながら楽しそうに笑うイクセルは、今度はティルダの耳元に唇を近づけ囁いた。


「愛している。ティルダ」


その言葉にティルダは顔を赤く染めながら、恥ずかしそうに答えた。


「私もです。イクセル様」


イクセルはティルダを抱きしめると、嬉しそうに笑った。


お読み頂きありがとうございました。

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