中編
ティルダとマティアスが隣り合い、向かいにはソフィアと彼女の後ろに控える男子生徒が数人。
ピリつく空気の中、初めに口を開いたのはティルダだった。
「それで私に話したい事とは何でしょうか」
落ち着き払ったティルダの様子を可笑しそうに笑いながら、ソフィアは蔑んだ様な目でティルダを見た。
「あはは。ティルダ様、貴女自分の立場が分かっていないの?案外おバカさんだったのね」
ソフィアは自身の艶やかな水色の髪を指で弄びながら話を続けた。
「ティルダ様、近いうちに貴女とイクセル様の婚約は破棄されるわ。そして新たにイクセル様の婚約者に選ばれるのは私。だから貴女はもう用無しなの」
「そうですか。私は陛下のご決断に従うまでですので」
ソフィアの挑発にも顔色一つ変えないティルダに、ソフィアは面白くなさそうな顔をする。
「そうやって澄ましていられるのも今のうちよ。貴女は殿下に捨てられた惨めな令嬢として一生暮らして行くのよ」
そう言って満足気な顔をするソフィアに対し、変わらず無表情のままのティルダが口を開いた。
「それで聖女様。失礼ですが私に話したい事とは何でしょうか」
「は?だから貴女はもうイクセル様の婚約者ではなくなるのよ!?」
「それは先程伺いましたわ。聖女様のお話とはその事ですか?でしたらもう済んだようですし、私達は失礼してもよろしいでしょうか?」
いつの間にかしゃがみ込んで蟻の行列を眺めていたマティアスが、可笑しそうにティルダを見上げて笑っていた。
「馬鹿にしているの!?これだから貴族は嫌いなの!いっつも私たち平民を馬鹿にして!貴族なんてこの世からいなくなればいいのよ!」
急に大きな声で叫び出したソフィアは、はあはあと肩で息をしながら拳を握りしめティルダを睨みつける。
「私が王妃になったらこの国から階級制度をなくして、上も下もない平等な世の名を作ってやる。そしたらあんた等みたいに国民の金に頼っている奴等はすぐに野垂れ死ぬのよ」
狂った様に叫ぶソフィアの姿に、マティアスが庇うようにティルダの一歩前に出る。
「…それで?平等になったら誰がこの国を治めるのです?」
「はっ。そんな人いらないわ。皆で協力して治めればいいじゃない」
「そう。なら誰が責任を取るの?」
「責任?そんなもの、自分の責任は自分で取るのよ。これだからお貴族様は。自分の責任を誰かに押し付けようとするのね」
何を言っても無駄な様子のソフィアを見て、マティアスはティルダにしか聞こえない声で言った。
「これ以上何を言っても無駄だ。今日は適当に胡麻化して帰ろう」
「いいえ」
マティアスの提案にもティルダは表情一つ変えずに答えた。
そんなティルダはソフィアを見据えたまま続けた。
「では聖女様、私からいくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」
ティルダの言葉にソフィアは怪訝そうな顔をしながらも黙って頷いた。
「まず、貴女はこの国から身分や階級をなくし、皆が平等であるべきだとおっしゃいましたが、その昔、今からおよそ300年前、貴女と同じように平等の世の中を作ろうと立ち上がった青年達がいた事をご存じかしら?」
ティルダの問いかけにソフィアは首を傾げて見せた。
そんなソフィアに構わずティルダは続けた。
「その青年たちは、同胞たちと共に大規模なクーデターを起こしたの。見事青年たちは王侯貴族を制し、自分たちの理想の国“自由と平等の国”を手に入れたわ」
ティルダがそこまで言えば、ソフィアは嬉しそうに拳を握りしめていた。
しかし続くティルダの言葉にその顔を一気に強張らせた。
「その国の歴史はたったの10か月で終わったわ。クーデター後とは言え、前年の倍以上の人が飢餓で亡くなり、他国からの援助も見込めない。その上、そんな統治者もいない乱れた国は他国からの格好の餌食とされ、一気に攻め入られた。為す術もなく一瞬にして国は崩壊。
その後国を統治したのが、レーンクヴィスト…そう、まさにその国こそこのレーンクヴィスト王国よ」
レーンクヴィストは大陸の北側に位置し、王都は比較的雪が少ないものの、国土のほとんどが1年の半分は雪に覆われる雪国である
その為、夏に収穫した穀物などを保存し、不足分は他国から輸入し冬を越していた。
しかしクーデター後は統治者も据えず、皆が平等を謳い、税も食料の貯蔵も兵力さえ持たず悠々自適に暮らしていた。
しかしそんな暮らしが長く続くわけもなく、綻びはすぐに出始めた。
「では、階級をなくし皆が平等になれば、税の徴収はどうなるのでしょう」
「そんなものいらないわ。働いたお金を税金に当てていたら皆生活が苦しくなるもの」
「では、災害が発生した際の損害や復旧にかかるお金はどうするおつもりですか?それ以外にもたくさんお金は必要になりますよ」
ティルダは子供を諭すように優しい口調で言うが、ソフィアはそれが気に入らないのか、またもや挑発的な態度をとる。
「ふん。そんなものは皆でお金を出し合えばいいのよ。皆で必要な時に必要な分を出せばいいのよ。あなた達貴族はいつも税だって言って私たちからお金を巻き上げる事しか考えていないのね」
「必要な時に必要なだけ…それはどうでしょう。例えば河川が氾濫し田畑が水に浸かれば、それこそ必要な時にはお金は出せないと思いますよ。それは皆同じだと思います。河川の整備、防波堤の設置等、多額の資金が必要になりますわ」
ソフィアはティルダの言葉に押し黙るも、閃いたかのように反論を始めた。
「どうせ領主がいたって大して役に立たないし。それより、そんな時は商会の人達にお金を出して貰えばいいのよ。あの人たちは貴族相手に商売して、たらふくお金を貯め込んでいるのよ」
「貴女のその主張は錯綜していますね。そもそも貴族や王族を相手に成り立っていた商売など、貴族がいなくなれば共倒れ。貴女の理想とする世界には存在しないわ。いるのは自由で平等でなければならない人々だけ」
ソフィアはティルダの言葉に今度こそ押し黙ってしまった。
「ご存じかしら?コモン伯爵は度重なる領地への災害で、税収と国からの支援だけでは立ち行かず、ついには私財を投げ売り領民の生活を守ったそうよ。一時は伯爵も夫人の二日に一度の食事で凌いでいたそうよ」
「そ、そんなの、普段庶民から搾り取った税金で贅沢三昧しているんだから当然よ」
「まあ、貴族にもいろんな方がいますので、あなた方が不満に思うのも否めませんが、少なくともコモン伯爵領の領民たちの多くは、伯爵に感謝をしていましたわ。伯爵がいなければ多くの人々が職や家、家族を失っていたでしょうからね」
ソフィアは反論の言葉を探していたが、その前にティルダが次の質問を投げかけてきた。
「では、先ほどの話しに戻りますが…貴女の理想とする平等の世界では、責任は誰が取るか…貴女の答えは先程と変わりはありませんか?」
「…」
明らかに動揺が浮かぶソフィアだったが、ティルダの後ろに見えた人影に顔を綻ばせた。
「イクセル様!来て下さったのですね」
ティルダ達の方へゆっくりと近づいて来たイクセルは、ティルダの一歩前に立つマティアスの横で足を止めた。
そんなイクセルの事をティルダはチラリと一瞥すると、すぐにソフィアに視線を戻した。
「聖女様、質問の答えをお聞かせ下さいますか?」
先ほどまでとは打って変わって勢いを取り戻した様子のソフィアは、ティルダの質問に胸を張って答えた。
「ええ。変わらないわ。責任は自らが取るものよ。そうでしょう?イクセル様。責任を誰かに押し付けるなんて卑怯な貴族のやる事よ」
ソフィアに話を振られたイクセルは口端を上げ、面白そうに笑いながら答えた。
「ああ、そうだな。自ら責任を取って罪を償って貰おうか」
そんなイクセルをティルダは睨みつけるが、イクセルはわざとらしく肩を竦め怖がっているふりをする。
ティルダはそんなイクセルに苛立ちを覚えつつも、ソフィアに向き直り話を続けた。
「聖女様が仰っている責任は、個人的なもの。私が言いたいのは…」
そこまで言うと、ティルダは横目でイクセルを見た。
その視線に気づきながらも、イクセルは不敵な笑みを浮かべたままソフィアを見ていた。
そんなイクセルの視線を浴び、ソフィアは嬉しそうに笑みを浮かべている。
しかし続くティルダの言葉にソフィアの表情は、呆気に取られたような顔に変わった。
「誰の首に価値があるかという事です。」
「…首?」
「そう、首です」
ソフィアは首を傾げ、自らの首をさすってみる。
「…首って…この首?」
「ええ。その首です」
ソフィアはティルダの言葉が理解できず、再び自分の首をさすってみるが、答えが分からずに後ろに控える男性陣に視線を送った。
しかし、ソフィアの後ろにずっと黙って控えていた男性陣は、イクセルの登場と共に皆の顔に動揺の色が浮かび、落ち着かない様子だった。
ティルダもその様子には気付いていたものの、理由はわからなかった。
「首がどうかしましたの?価値とはネックレスかなんかの事?」
「では、王族がなぜ尊び、敬われるのかご存じですか?」
「何なの?さっきから貴女。質問ばっかり。王族は偉いからでしょ?そんなの赤ちゃんだって知っているわよ」
「…まあそうですわね。色々理由はありますが、一つはその存在こそに価値があるからですわ」
ティルダの言葉に再び疑問符が浮かぶソフィアだが、考えている間にティルダが話を続ける。
「では聖女様にもわかりやすく話しましょう。聖女様の言う平等な世の中では王族などの上の立場の者は誰一人として存在しない。皆が同じ立場であり、もちろん下も存在しない。よろしいですか?」
「…ええ」
「では、そこに他国が攻め込んで来たら?」
「…そ、そんなの皆で力を合わせて戦うわ?」
「そうですか。それならその争いで決定的に不利に立たされた時、どうしますか?」
「…」
「皆で戦いますか?一人残らず殺されるまで?それとも降伏して戦争奴隷となりますか?」
「そ、そんな質問意地悪だわ。何が言いたいの?イクセル様、ティルダ様は自分が、貴族が偉いって思っているの。だから平民を見下すの。その上平民の私がイクセル様の寵愛を受け、自分が蔑ろにされているのが気に入らないんだわ。だから私にこんな意地悪な事ばかり言うの」
ソフィアはイクセルに駆け寄り涙目で訴えかけた。
しかしイクセルは眉一つ動かさずにソフィアを見据えると、低く冷たい声で言った。
「それで君ならどうするの?いつもの様に君の考えを聞かせてくれるかな」
明らかにいつもの様子と違うイクセルの様子に、ソフィアは言葉を発することが出来なくなってしまった。
そして、着ていた制服のスカートのポケットに手を入れ何やらごそごそと探し始めた。
「ティルダ続けてくれるかい?」
何も話さないソフィアを見て、イクセルはティルダに話の続きを促す。
「…はい。例えば今、他国に攻め入られこの国が降参せざるを得なくなった場合の戦争の治め方、いくつかある中で最も多いのは…王族の首を差し出すことです。その場合、私も同様に首を差し出す事になるでしょう」
イクセルはティルダの言葉に無表情のまま頷いた。
「例え貴女達全員が首を差し出したとしても王族一人分の価値もないわ。だけど、王族の首だけでこの国の人々が救われるのだとしたら、国王陛下も殿下も私も、皆素直に首を差し出すわ。それがこの国の王族の誇りですわ」
「そんな、大袈裟…」
「大袈裟ではありません」
「ふ、不敬よ!」
「それを貴女が言いますか」
わなわなと震えるソフィアに、ティルダは続ける。
「王族だけでなく、貴族もそうです。貴女は税金を巻き上げるだけの役立たずと仰いますが、貴族と言うのはその高い身分に応じた義務が生じます。その一つがあなた達国民を守る義務です。有事の際には貴族が先陣を切り国民を守ります。120年前の戦争では、多くの貴族と王族が命を落としました。コモン伯爵の様に出来る方は多くはないかも知れませんが、貴女の思うような貴族ばかりではありません」
「そもそも、戦争なんて大袈裟よ!周辺の国とは条約が結ばれているし、戦争なんてもうずっと起きていないじゃない!」
ティルダの言葉に反論しつつ、尚もポケットの中に手を入れたままのソフィアをイクセルは黙って見ていた。
徐々に焦りの色を見せるソフィアだが、ティルダへの敵意は剥き出しのままだ。
「そうですわね。条約は確かに結ばれています。それでしたら、その条約が結ばれた条件や経緯もご存じ?」
「は?」
「隣国ガシェットとは50年程前、当時12歳の王女が40歳年上のガシェットの国王の側室に。ベットラ―公国へは王子を、ランダム王国へは、当時婚約者との婚姻を数か月後に控えた王弟殿下のご息女。それ以外にも様々な条件がありますが、この国の平和が守られているのは、そう言った方々のお陰でもあります」
「そんなの生まれた時から贅沢な暮らしをしているんだから当然じゃない」
「ええ、その通りです。ですから私たち貴族は、生まれた時から国の為に生きることを叩き込まれて育ちます。責任は個人の物だけではなく、領民、国民の責任も背負って生きなければなりません。高い地位と権力に見合った責任を背負っているのです」
「そんなの綺麗事よ。結局自分は偉いって言いたいのでしょ?綺麗なドレスを着て、おいしい食事をして、ふかふかの暖かい布団で眠る貴女には、私たちの気持ちなんて一生理解できないわ。私は貴女みたいな女が大嫌いなの。少し綺麗で高い身分の家に生まれたからって偉そうに。貴女自身には何も価値がないくせに」
興奮したようにソフィアがティルダの目の前に立つ。
マティアスと後ろに立つ護衛が一気に殺気立つが、ティルダは怯む事無くソフィアと向かい合ったまま話を聞いている。
「いい気味だわ。イクセル様を奪ってやった時の貴女の顔、今思い出しても可笑しくて笑える。悔しかったでしょうね。貴族の自分が平民の私に王子様を奪われたんだもの」
ソフィアはケラケラと笑いながら今度はイクセルに近づくと、しなだれかかるようにイクセルに寄りかかって見せた。
しかし、イクセルはソフィアの身体を突き放すように押し退けた。
「もう演技をする必要はなくなったからね。これ以上君に付き合っていたら、本当にティルダに愛想を尽かされてしましそうだ」
「へ?…何を言っているんですか?」
ソフィアの間の抜けた問いかけに、イクセルは盛大にため息をついて見せた。
「君、本当に頭が悪いのだね。いや、最初から気付いてはいたのだが、これほど頭が悪いのならば演技する必要もなかったのでは…いや、まあ黒幕を炙り出すには必要だったか」
そう言ってイクセルはマティアスに視線を移した。
マティアスはニコリと笑うと口端を上げた。
「なんだ、やっぱり気付かれていたか…まあ、俺は元からこんな作戦には反対だったのだけどね」
マティアスの言葉にティルダは訝しげに眉根を寄せた。
「マティアス?」
そんなティルダにマティアスはいつもの様に楽しげにニコリと微笑んだ後、少し寂し気な表情をした。
「ごめんね。ティルダを騙す気はなかったのだけど、少しだけ欲が出ちゃった」
マティアスがティルダに向かって腕を伸ばし、彼女の髪に触れようとした時、イクセルがティルダの身体を引き寄せた。
「ティルダは俺の婚約者だ」
イクセルに抱き寄せられたティルダは訳が分からず彼を見上げた。
その顔は真剣で、余計訳が分からず混乱したティルダは、とにかくイクセルから離れようと身体を捩らせる。
しかし思いのほかイクセルの力が強くびくともしない。
困り果てたティルダに救いの手を出したのはソフィアだった。
それまで放心状態だったソフィアが、ティルダと同じく状況を理解できず、当然のように疑問を口にした。
「イクセル様は私の事が好きだったんじゃないんですか?」
その言葉にティルダもイクセルを見つめて答えを待った。
「この俺が、ティルダ以外を好きになる訳がないだろう」
言い切るイクセルにソフィアはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
ティルダは頭の整理が追い付かず、こちらも固まってしまった。
「危なかったくせに…」
ぼそりと呟くマティアスに向かってイクセルは透かさず反論した。
「あれは“魅了”の力のせいだ。一瞬だけ取り込まれただけで、すぐに意思を取り戻した」
「魅了…?」
初めて聞く言葉にティルダは首を傾げるが、ソフィアはすぐに反応した。
「そうよ!さっきから魅了の力を使っているのに、何でイクセル様に効かないの?それにマティアス様は最初から効かなかった!どうして!?」
「“魅了”とは一体何の事ですの?」
ティルダはイクセルの腕の中でこっそりとイクセルに疑問を投げかけた。
「ああ。魅了とは精神作用の魔法だよ。この国では禁忌とされている。そもそもそんな魔法は存在すら眉唾ものだったけど、どうやら彼女は何か魔道具を使用しているようだ」
イクセルは先程ソフィアが頻りに手を入れていた制服のポケットに目をやった。
「ソフィア嬢、君の質問に答えよう」
イクセル様はティルダを抱え込む腕の力を緩めることなく話し始めた。
ティルダは抜け出すことを諦めて大人しくイクセルの話しに耳を傾けた。
「端的に言えば、どんな魔法も俺には効かないという事。そもそもこの国の直系の王族は、生まれてすぐに何重にも守護魔術をかけられる。どんな魔法にも対応しているのだが、魔法によっては副作用の様なものが出ることがあってね。それが精神系の魔法と言うのも分かっている。だから、今回君が俺に掛けた魔法はすぐに察しが付いたよ。それと…」
イクセルはそこまで言うとマティアスを見た。
「彼の場合、元々君がその魔道具を持っている事を知っていたから…どこかに力を無効化できる魔道具を隠し持っているのではないかな」
イクセルがそう言うと、マティアスが自身の耳を指で指しながら笑う。
「その通り。このピアス、手に入れるの結構大変だったんだよ」
ティルダはハッとしてイクセルを見た。
するとイクセルは頷いて見せた。
ティルダは右手の小指に嵌められた指輪を、左手でそっと包み込んだ。
「でも、イクセル様は私の考えを素晴らしいと言ってくれたじゃないですか」
ソフィアがイクセルに掴みかかりそうな勢いで近づくと、護衛騎士が数名ソフィアを囲んだ。
「素晴らしいと言ったのは君の考えそのものではなく、考えを持っている事に対してだよ。どんな考えでも、自分の考えを持つことは素晴らしい事だからね。君の意見は参考になったよ。けど考えてみてよ。俺のこの立場で君のその思想に賛同してご覧?俺は幽閉され、そのうちひっそりと処刑されて終わり」
その言葉を聞き、暫く思考を停止させたソフィアだったが、やっと自分が置かれた立場に気が付いた。
顔を青ざめたソフィアは慌てふためく。
それを見てイクセルが口端を上げ、意地悪く笑う。
「やっと気が付いた?」
「そんな!私はただ、この国をもっと良くしようと…ただ理想を語っただけで…」
ソフィアは言い訳を口にしようとするが、頭が混乱しているようでうまく言葉が出てこない。
「ああ、そうだね。国を良くしようと理想を持つのも、仲間内で語らうのもそれこそ自由だ」
その言葉にソフィアは顔を上げ、表情を輝かせた。
しかし、イクセルの目はソフィアの後方に控える男性陣に向けられた。
男性陣の中には、国にとって重要なポストに就く者を親に持つ者もいた。
外務大臣、財務大臣、騎士団長―。
簡単にこの国を揺るがすことの出来る三人が共謀していたとなれば、単純な話ではなくなる。
今回イクセルが慎重になったのはこの事もあったからだ。
「しかし、君の行動は疾うにその域を超えているのだよ」
イクセルが男性陣からソフィアへと視線を移す。
その目は鋭く、酷く冷え切ったものだった。
「君は、禁忌の魔法を使い人心を惑わし、自身の思想を実現させようとした。その思想とは危険でありとても容認しがたい。国家転覆を図ったと疑われても仕方がないと思わない?その上、次期王太子の俺にまで魅了をかけようだなんて、王位簒奪でも狙っていたの?」
軽い調子で口にするイクセルだが、その目は決して笑っていなかった。
次にイクセルはマティアスに視線を向けた。
「マティアス、君はどこまで関与している?こんな杜撰な計画、君の立てた物ではない事はすぐに分かった。と言うか、だからこそ君に辿り着くまでに時間がかかってしまった」
「はは。光栄だね」
イクセルの言葉にマティアスが楽しそうに笑う。
「隣国にいる君の従兄、ランダム王国に嫁いだ王弟の娘…つまり俺の従姉の元婚約者だね」
その言葉にマティアスは黙ったまま何も答えなかった。
「よく覚えているよ。二人はとても仲が良かった。幼かった俺から見ても、二人は思い合っているように見えた」
イクセルは黙ったままのマティアスに向かって話しかけた。
「彼は二人を引き裂いたこの国を恨んでいるの?確かに仕方のない事とは言え、君の従兄にとっては納得のいかない事だったかもしれない。慰謝料を支払い、新しい婚約者をあてがい国外へ追いやった。体のいい厄介払いだ」
イクセルが言えば、マティアスは少し躊躇いながらも口を開いた。
「…他人の気持ちは俺には分からないけど…そんな事でこんな事をするような人ではないよ、あの人は…ただ、もうどうでもよくなってしまったのかもな」
「…彼女が亡くなったからか?」
「最後に、彼女の無念を晴らしたかったのかもしれない…」
マティアスの言葉にティルダが声を漏らす。
「無念…?」
王弟殿下の一人娘でイクセルの従姉がランダム王国の王族に嫁いだのが約8年前。
今から約半年程前、彼女が亡くなったと報せを受け王宮内は騒然とした。
勿論その報せはティルダの元にも届いていた。
ただティルダは、死因は病死と聞いただけで詳しい事は知らされていなかった。
そんなティルダにマティアスが答える。
「彼女は嫁いでから1年後には子供が出来ないと言う理由で、嫁ぎ先の本邸を追い出されていたそうなんだ。それから旦那さんになった人は、元々付き合っていた下級貴族の令嬢を本邸に招き入れ、その令嬢との間に3人の子供をもうけた」
その話を聞きティルダは顔を顰め、呟く。
「ひどい…」
しかし護衛に囲まれたままのソフィアは可笑しそうに笑って言った。
「はは。やっぱり王族も貴族もみんな最低な奴ばかり。みんないなくなっちゃえばいいのよ。その女も今まで贅沢三昧していた罰が当たったんだわ」
ソフィアの言葉にマティアスが苛立ちながら話を続けた。
「彼女はランダム王国では立場を失い、離れで細々と暮らしていたんだ。使用人も最低限、食事も平民と変わらない。病気になっても薬すらまともに与えられない。そしてついに彼女は不治の病に罹り、まともな治療を受けられないまま亡くなった」
「そんな…でもそれじゃ、条約違反だわ」
「うん…だけど国としても大事にして万が一にも戦争になってはと、今回は和解に応じたんだ」
「叔父上も納得している」
マティアスの言葉にイクセルが付け加えた。
「でも、それでその元婚約者がこの国を混乱させようと?マティアスに協力させたって事?」
「いや、従兄は俺を巻き込むつもりなんて、初めからなかったよ。もしもの時の為に隣国に来るように言われただけ」
「では、どうして?」
「言ったでしょう?欲が出ちゃったって」
マティアスは切なそうな顔で、未だにイクセルの腕に抱かれるティルダを見つめた。
するとイクセルの腕に力が籠められ、ティルダの顔がイクセルの腕によって隠された。
「ちょっと、イクセル様苦しいです!いい加減離して下さいませ」
ティルダがイクセルの腕をぱしぱしと叩くも、イクセルは一向に力を緩めない。
そんな様子を見てマティアスが呆れたようにため息を吐いた。
「とにかく、俺は自分の意思で協力しただけ。そもそも協力と言うか、好きな女に家庭教師の仕事を斡旋しようとしただけだけど」
「え!?マティアス貴方、好きな女性がいるの?そう言えば前に奪うとか言っていたわね…まさか貴方!そもそも家庭教師の紹介は私にしてくれるって話だったじゃない。卒業試験に受かったらちゃんと私にも紹介して頂戴ね。それから、好きな女性も後でこっそりと、おしえ…もごっ」
話しの途中でイクセルの手で口を押えられたティルダは、必死にその手を外そうと抵抗する。
「はぁ。ティルダ、さっさと話を終わらせるからそれまでいい子にしていてくれる?」
「もごもご」
抑えられたままの口で何とか返事をすると、ようやく口と体が解放されたティルダが、ぜえぜえと肩を揺らす。
キッっとイクセルを睨むが、イクセルはジャケットの襟を掴み整えると、表情を引き締めた。
「では、本題に入ろうか」
イクセルが先程のまでの軽い口調から、第一王子としての厳しい顔つきと口調に変わる。
「まずは聖女ソフィア。君のスカートのポケットに入っているその魔道具だが、入手先は?」
「な、何の事?」
先ほど自ら魅了と言う言葉を口にしたにも関わらず、ここへ来て白を切るソフィアにイクセルは呆れた顔をする。
「まあ、いい。後でゆっくりと聞こうか。きっと嫌でも話したくなるよ」
不敵な笑みを浮かべるイクセルに、ソフィアの顔は青くなる。
じわじわと額に汗が滲み、カタカタと体が小刻みに震え出した。
「わ、私は本当に何も知らないの…私は…私は騙されたの。これがあれば自分の望みが叶うって言われて。だ、だから、いつかきっと叶えたいと思っていた平等の世界を作る事…それから、一度でいいから王子様と素敵な恋がしてみたかった…私はあの男に騙されただけ…」
“あの男”と言うのがマティアスの従兄なのだろう。
どういった経緯でソフィアを選んだのかまではまだ分からないが、きっと従兄も罪に問われ、取り調べを受けるのだろう。
「聖女ソフィア、貴女を国家内乱罪で捕らえさせて貰う。これまでの事、きっちり取り調べで話して貰おう。それから未来視の力についても詳しく調べさせて貰おう」
「そ、そんな。どうして?自分たちに都合が悪い事は排除するの?そんなのズルい。そんなんじゃいつまで経ってもこの国は変わらない。貴族だけが良い思いするのは許せない!」
護衛に両腕を掴まれても尚、大声で反論するソフィア。その顔は醜く歪む。
しかし、次の言葉を口にした時のソフィアの顔は少し切なげに見えた。
「イクセル様、私は本当にイクセル様の事が好きだったのに。本当にイクセル様と結婚できると思っていたのに…酷い。ティルダ様より私の方がイクセル様の事思っているのに…」
尚も言い募るソフィアを連行しようとする護衛を、イクセルは片手を挙げ制した。
そして一歩前へ出て、ソフィアの正面に立った。
「もし本当に君が私の事を思っていたのなら、なぜ精神作用の魔法を使った?好きな人の心を魔法で操って手に入れたとして、君は本当に幸せ?本当に私の事を思うのならば、そのような手段は使わなかった。そう思わない?」
イクセルの真っ直ぐな言葉にソフィアは言葉を飲み込む。
「勿論、君の気持ちを否定する気はない。思ってくれているという事は素直に嬉しい。しかし、私の心は疾うに決まっている」
イクセルはティルダを一度見た後、ソフィアに向き直る。
「君は手段を間違った。自分なりの考えを持ち、理想を掲げる事はとても良い事だ。だが、君の考えには偏りがあり、尚且つ周りの意見を一切受け入れようとしなかった。君が意見を交わし合える相手ならば、良き友人になれたかもしれない」
そこまで言うと、イクセルは護衛騎士に合図を送りソフィアは連行されていった。
最後ソフィアは大人しく護衛に従っていた。
その後すぐにソフィアの取り巻きの男性陣も騎士に連行されて行った。
皆取り乱すことなく、素直に連行されていく表情には後悔の色が浮かんでいた。
イクセルはその姿を見送ると、マティアスの正面まで歩いて行った。
マティアスは既に全てを受け入れる覚悟が出来ているのか、顔には笑顔を浮かべていた。
「マティアス、君は従兄の行いを知っていて止めることをしなかった。それどころか、それを利用し自身の欲を叶えようとまでした。この国の貴族として、その罪の重さは理解できるね?」
イクセルの問いかけにマティアスは笑顔を崩さず頷いた。
「君の罪は下手をすれば外観誘致、国家内乱罪、国家反逆罪に問われかねない行いだ。どれも重罪。それを知りながら君はなぜこのような愚かな行いをした?」
イクセルの問いかけにマティアスは逡巡し答えた。
「…俺もどうでもよくなってしまったのかな…手に入らないのなら、もう何もいらないと思っていた。でも、もしも手に入るのなら…そんな事を夢見てしまった」
イクセルはその答えに暫く何も言えずに、黙ったままマティアスの目をまっすぐに見つめていた。
「彼女は出会ってから今までずっと、俺の道標だった」
マティアスはそこまで言うと、ティルダとの日々を思い出していた。
ティルダとマティアスは学園に入るずっと前から友人同士だった。
初めて会ったのは互いが9歳の時。
元々社交的ではなかったマティアスだが、ティルダの持ち前の明るさに助けられ、気が付けば一緒にいる事が増えていった。
そんなマティアスがティルダへの気持ちを自覚するまでにそう時間はかからなかった。
しかし、出会った頃にはすでにティルダとイクセルは婚約しており、マティアスは思いを自覚したと同時に失恋をしてしまったのだ。
しかしマティアスは、想いは叶わなくともティルダを傍で支えたいと考え、気持ちを隠しきることを誓った。
しかし、従兄の意味深な発言に全てを察したマティアスは、ティルダを救いたい気持ちと同時に、彼女を手に入れたいという気持ちが沸き上がり、今回の件に至ったのだ。
イクセルはマティアスの横に並び立つように歩を進めると、マティアスの耳元に自身の口を近づけた。
「悪いが、彼女を譲る気は全くない。もしも、彼女を奪おうとする者が現れたら、私は全力でそれを阻止する」
そのイクセルの言葉をマティアスは鼻で笑うと、イクセルにしか聞こえない声で返した。
「それなら俺は、彼女を泣かす男がいたら全力で奪いに行ってやる」
挑戦的な目でイクセルを睨みつけるマティアス。
二人の会話が聞こえず状況を掴めないティルダは、心配そうに二人の様子を伺っていた。
その後暫くの間睨み合っていた二人だが、イクセルが騎士に合図を送ると、マティアスは先程ソフィアが去って行った方へ連行されていった。
去り際にマティアスはティルダにいつもの様な笑顔を見せ、「心配ない」と唇を動かし伝えた。
残された二人の間には長い沈黙の時間が流れたが、最初にその沈黙を破ったのはイクセルだった。
「ティルダ。まずどこから話せばいいだろうか」
気まずそうに頬を搔きながら話すイクセルに対し、ティルダは眉を顰めながら答えた。
「言い訳ならば聞きたくありません。イクセル様は私がどれだけ傷付いたかご存じですか?ソフィア様との事も、その事について何も話して貰えなかった事についても。ここ数か月、どんな気持ちで私が過ごしていたか…」
ティルダの言葉にイクセルは申し訳ない気持ちと共に、何とも形容しがたい気持ちが沸き上がるのを感じ、つい頬を緩めてしまう。
「何ですの!?どうして笑っているのですか?私は怒っているのですよ」
顔を赤らめ微笑むイクセルを見て、ティルダはついに声を荒げるが、イクセルの言葉にティルダもまた顔を赤らめることになる。
「うん。ごめんね。ティルダを悲しませた事は本当に反省しているのだけれど…ティルダがそれほど俺の事を思っていてくれたなんて…」
イクセルの一人称がプライベートの時の“俺”に戻り、ティルダも普段の口調に戻る。
「ちょっと!私そんな事一言も言っていませんが!?どうしてそうなるのです?」
「だってだって、ティルダは俺とあの聖女の関係に怒っていたのだろう。それって、つまり嫉妬だろう?」
思わず頬を抑えるイクセルを、ティルダは呆れた様に目を細め見つめた。
「私はただ、事情を話して欲しかっただけです。そうすれば二人の仲にヤキモキすることも…」
ティルダはそこまで言うと自身の口を手で覆う。
その様子を見逃がさなかったイクセルは、嬉しそうにティルダに抱き着いた。
「ティルダ。本当にすまなかった。反省している。だから、もう国外へ行くとか言わないで」
必死にティルダに縋りつくイクセルの様子を見て、ティルダは観念したように一つ息を吐いた。
それからそっとイクセルの背中に腕を回し、ポンポンと優しく宥めるように背中を叩いた。
「分かりました。でも、これからは私を信じて、話せる事は話して下さいますと嬉しいです」
ティルダの言葉にイクセルは無言のまま頷いた。
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