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退屈しのぎの悪魔契約2  作者: 紺ノ
旅する悪魔
9/13

 ―― ◆ ―― ◆ ――


「あの人を生き返らせてください!」

「それはできない」


 必死に懇願する若い女性の声とにべもなく答える男性の声で響司は目を覚ました。


 暗い空間で泣き崩れた女性が顔を手で覆っている。どこにいるのか確認しようと首や目を動かそうと響司は試みる。しかし固定されている感覚はないのにまったく動かない。女性に訊ねようにも口も開かない。


 響司に許されていることは考えることと泣いている女性を見下ろすことだけだった。


(魂鳴りを聴いて不思議な光景を見てるときに近いけど何かが違う。そういえば男の人の声がしたのに男の人はどこにいるんだろう?)


 響司の意志とは関係なく首が動いた。動いた視点の先には血溜まりの中で転がる男が二人。一人は斧が肩に刺さり胸のあたりで止まっている。もう一人は後頭部から血を流していた。男たちの衣服は縫目がなく、現代日本人の響司から見れば、ほぼ布にしか見えなかった。


 今度は勝手に口が動く。


「ワタシに出来ることではないんだ。願うなら他のことにしてくれないかな」


 感情の死んだ男の声を発しているのは響司自身だった。


(魂鳴りを聴いて見せつけられていた風景は傍観者としてだったのに、今回は登場人物にされてたりする?)


 登場人物の男の声はどこかで聞き覚えがある気がした。ただ心当たりのある存在はもっと感情が豊かだった。


「願いはあの人と平和に暮らすことだけだった! なのに、なのに!」

「状況の理解だけはしているよ」


 女性の姿を再度見る。人だったものが花になった。黄色の花びらは閉じ始め、花托と呼ばれる花の裏側の少し上に小さくて白い粒があった。


(胚珠、だっけ?)


 小学生のときのことを思い出しながら白い粒を眺めていると、鼓動するよう大きくなったり小さくなったりしている。


 白い粒は確かに生きていた。


 花の姿からじわりじわりと女性へとまた変わった。


「後ろで死んでいる人間の、斧で殺された方かな。その男との間にできた子供がいることもわかっているよ。今のワタシに出来ることはこの森からお嬢さんを安全に逃がしてあげることぐらいだね」


 男二人の血は土に吸い込まれていなかった。死んで間もない証拠である。最愛の人を殺されたばかりの女性に男は事実のみを連ねる。物言いからヨルを彷彿とさせる。


「逃げた後は? 子供はどうしたらいいの? 家にも乗り込んでくるような連中よ!」

「ワタシに『守ってくれ』と願えばいいだけの話だ。違うかね?」


 泣きじゃくりながらも女性はようやく顔をあげた。泣くことを止めて笑顔を見ることが出来たのなら、愛らしい笑顔し、周りにも笑顔を与えることができる女性だろう、と響司は自然に思ってしまった。


 響司の知り合いで言えば、九条彩乃(くじょうあやの)が近い。もっとも、彩乃の笑顔を向ける対象は紀里香だけである。


「なら守って。私も、私の子供も。あの人が守れなかった分、貴方が守って」

「それが望みなら、守ろう。契約者であるお嬢さんの命潰えるそのときまでね」


 男は契約者と口にした。聞き間違えかとも思ったが言葉のイントネーションからも頭の中に浮かんでいた存在と合致してしまう。


(もしかして、エルドランドの中にいる!?)


 また始点が動き始めた。


 のそのそと歩き、斧の刺さった男に近寄る。瞳孔は開き切っていない。女性がすでに死んでいると思い込んでいるだけだった。それでも、やはり助けることは出来そうになかった。


 男の身体が花になる。もうすべてが枯れているのだ。


 人間が花となるのはエルドランドが魂の状態を確認しているのだと響司は理解した。ヨルなら音、グラムは剣といったように悪魔によって魂の捉え方が違う。エルドランドは花ということなのだろう。


「何か伝えたいことはあるかい?」


 尋ねると、枯れたはずの花が動き出した。


「異形の者よ、私は死ぬ。だが代わりに私の骨だけでも傍に置いてくれないか。どうかどうか……」

「骨だけでいいのかい? キミを生かす術は持ち合わせていないがキミの身体をお嬢さんの傍に置くことはできるよ?」

「どんな形でもいい。私は傍にいたいだけだ」

「わかった。死んでしまったキミには悪いけどその状態からでも対価はもらうよ。『闇』から出てきたばかりで力が足りないからね」


 そう言って男の死体を持ち上げた。口を大きく開けて、丸飲みにした。


 響司に魂と肉体が取り込まれる感覚は共有されなかった。それでも嗚咽感が一気にやってくる。


「なんで、どうして! あの人を食べたの!?」


 女性に背中を何度も殴りつけられる。痛くも痒くもない攻撃。 


 人間を喰った悪魔は身体を内側からいじっていく。骨をすりつぶすような音を鳴らして形を変えていく。


 響司の見ている視点が少しだけ下がった。それでも女性よりも高い。


「なんなの、その姿は……!」


 女性が目を丸くして、信じられないものを見たかのような表情をしていた。


「男の願いを叶えただけだよ。生き返ったわけじゃない。申し訳ないけどあくまで中身はワタシだ」


 響司の視点がぶれていく。そして離れ、一人称だったのが突然、三人称のカメラに切り替わった。響司の身体は相変わらず動かないが視線だけは自由になった。


 視点が離れていく途中、死んだはずの男が無傷で立っていた。背丈も肌のはりもまったく違うのに、人の姿をした悪魔のエルドランドがもし若返れば同じ姿になると響司は確信を持っていた。


 視点が切り離された後はエルドランドとお嬢さんの人生を早送りで見せられた。森を抜け、遠くの村に腰を落ち着け、翌年に女の子が生まれた。


 女の子が生まれて一カ月半経ったある日。泣いている赤ちゃんを抱いたままエルドランドはじっと眺めていた。おむつを替えたらいいのか、ミルクをあげたらいいのかと思案しているわけではない。悪魔であるエルドランドにとって未知の存在である赤ん坊を観察しているだけだ。


 エルドランドの横から母親となったお嬢さんが赤ん坊を奪い取った。身体を軽く揺らして泣いている赤ん坊をあやそうとする。


「子供が泣いているんだから対応してください!」

「ワタシの役目は外敵からキミたちの身を守ることだ。面倒を見ろと言われても困るよ」


 赤ん坊が泣き止むとお嬢さんは困り顔のエルドランドに赤ん坊をもう一度抱かせた。


「一応、父親という立場なんですから」

「契約者のキミが面倒を見ろというの見よう。しかし、何をしたらいいかわからないんだよ」

「私もわかりません。母親になったのはこの間の事なんですから。悪魔の貴方も一緒に親を学んでいきましょ」

「ワタシに子供は出来ないよ?」

「それでもその子の父親として傍にいるなら覚えてください」


 エルドランドはさらに目尻と眉を下げた。


 空間が歪み、時間が飛ぶ。子供がすくすくと成長して立っていた。


「あそぼ。ねぇパパ」


 曖昧な発音で話す子供が小さな手でエルドランドの足を掴んだ。


「ワタシでいいのかい?」


 真顔でエルドランドが質問を返すと、むすっとしたお嬢さんはエルドランドの足を踏んだ。エルドランドにとっては痛くはなかったが、言ってはいけない言葉なのだと理解して口を強く結んだ。


 何を子供に伝えたらいいかを考えてエルドランドは言葉を発した。


「パパという名前ではないんだけどね」


 今度は頭を叩かれた。子供が寝た後、エルドランドはお嬢さんから叱られた。何度も失敗しては叱られた。それがエルドランドの日常だった。


 最愛の人と同じ姿となったエルドランドをお嬢さんはお嬢さんなりに受け入れている。響司にとってどこか安心する光景だった。お嬢さんとのコミュニケーションでエルドランドの行動は変わっていき、余所者でありながらも村の中で信頼される立場へとなっていった。


 そして契約から十年半。お嬢さんは病で死んでしまった。子供は村で働くようになっていた。『守る』という契約は無事果たされた。そしてお嬢さんの魂を最後は口に入れた。大粒の涙を流して魂を体内に押し込んだ。それが契約だからと呟いてから叫びたくなる感情を飲み込んだ。


「――役目を終えたんだよ」


 響司の背後に老人のエルドランドが立っていた。風景がまた変わり、湿った空気の漂う森の中になっていた。空気が湿っているのは目の前に沼があるからだろう。


「彼女からワタシは人間を学んだ。死を悼んだ」


 お嬢さんの恋人と老人のエルドランドが響司には重なって見えていた。


「その姿はお嬢さんの恋人のものですよね」

「そうだね。といっても歳老いたらきっとこうなるだろうという予想の姿だけどね」


 エルドランドの姿が若返っていく。お嬢さんの恋人がスーツを着てお辞儀をする。エルドランドは若い姿が気に入らないのか、すぐに老人の姿に戻った。


「エルドランドさんの過去を僕に見せてどうしたいんですか?」

「どうということはないよ。ただキミの治療中、暇だろうと見てもらっていただけだよ」

「治療?」


 エルドランドは杖で遠くを指した。沼の濁った水の先に浮島が存在した。浮島の上に細くて黒い木が歪な形で生えていた。


「なんですか、あの黒いの」

「ヨルとの契約の証。そして呪いの一部でもある」


 何故そんなものが見えているのか響司は不思議でならなかった。今いる場所は結界なのか誰かの魂の中なのかわかっていなかったが、呪いとヨルと言えば自分しかいなかった。


「見てほしいものはもっと別のものだよ」


 杖の方角は同じままだった。


 響司は目を凝らしてよく見ると、黒くて細いものと風景が屈折していた。屈折したものの輪郭を追い、頭の中で整理すると透明な枯れ木が立っているのが分かる。今にも折れてしまいそうな枯れ木の周りを黒いものが絡みついている。


「あれはボウヤの魂だ。そして今、ボウヤの魂は朽ちようとしているところさ」

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