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カチン、カチンとエルドランドは黙々と黒い木を伐っていく。たまに伐るべき枝かどうか迷って枝切りバサミを上に伸ばしたまま右往左往させる。
響司はエルドランドの後ろで邪魔をしないように黙っていた。黒い木と同化しそうになっている透明な枯れ木が無理やり黒い木に揺さぶられている。
(あの黒い木がヨルで、透明で枯れそうな木は僕。ヨルに怒られてるときの僕みたいだ)
ヨルが爪先で何度も額を突いてきているように響司は見えていた。自然と額をさすってしまう。
「やはり暇だろう。またワタシの記憶でも見るかい?」
エルドランドが黒い木を見上げたまま提案をしてきたが、響司はもう一度お嬢さんとの記憶を見る意欲はなかった。響司は病気で母親を亡くしている。お嬢さんがどうしても母親と重なってしまうのだ。不必要に言語化したくない負の感情を引きずり出したくなかった。
「記憶は、いいかな。記憶を見るんじゃなくてお話してくれるなら聞きたいけど」
「どんな話がいいんだい」
悪魔のエルドランドから聞き出したい話題なんてものはないと響司は思ったが、一つだけあった。ヨルをヨル坊と呼ぶエルドランドだからこそ知っていると確信が持っていた。
「ヨルが『夜兎』と呼ばれていたときのこととか『ライゼンの悪魔』と呼ばれるようになった経緯とか」
カチンと枝切りバサミがまた一本の枝を切り落とした。エルドランドは口元を動かし、枝切りバサミを下ろす。
口元に人差し指をあててエルドランドは響司に顔を向けた。イタズラを思いついた子供のような顔をしている。
「今から話すことはヨル坊には秘密だよ」
「わかりました」
「『夜兎』という悪魔が同胞を食い散らかして暴れていると噂が流れてきてね。ワタシは『夜兎』追いかけ始めたんだ。追いかけて見つけたときアレは手負いな上に気が荒れていた。耳は大きいくせに聴く耳を持ってくれなかった。酷い兎だろう?」
おちゃらけながら話すエルドランドはどこか楽しそうだった。グラムも話す時は楽しそうにしていた。悪魔とはおしゃべりがかなり好きなようだった。
「話を聞かない兎はワタシから逃げるように何年も住処を転々とさせていた。そんなとき、とある場所でまた新しい噂がやってきた。悪魔を容易く退ける人間の子供がいるらしい、とね」
まさか、と響司はエルドランドの話に前のめりになる。
「ワタシとしては悪魔がよりよく過ごせることが大事だ。悪魔間のことよりも人間が関わってくる方が問題のように思えた。だから『夜兎』を一旦放置して人間の噂を探った。その人間は悪魔にも死者にも人間と同じ価値観で接する人間。名をライゼンと言った」
エルドランドは笑いをこらえるようにした後、また黒い木に枝切りバサミを伸ばす。
「幼いライゼンとワタシは対話した。人間でありながら悪魔のことを調べていて、話も通じたのは予想外だった。ライゼンは悪魔や死者のことをまだ知りたいと言っていたからワタシはある提案をしたんだ。『悪魔のことを知りたいなら悪魔と契約すると良い。うってつけの悪魔が一体いるから紹介しよう』とね」
「まさかと思うんですけど……」
「もちろん『夜兎』を紹介したよ。まぁ、ヨルを捕まえるのに散々こき使われたから教えてよかったのかは分からないがね。あ、この辺りはヨル坊も知らないから言わないでおくれ。言ったら嫌われるからね」
「つまり、ライゼンさんとヨルをくっつけたのって」
馬鹿笑いし始めたエルドランドを響司は冷めた目で見つめた。
「ワタシだね。まぁ、でも上手くはいかなかった。ライゼンとワタシの二人がかりでヨル坊をいくら追い詰めても頑なに契約しなくてね。条件を出すことでライゼンの傍に縛り付けることができたんだ」
「どんな条件ですか?」
「一つ。ライゼンの傍にいる限りワタシはヨル坊を追いかけない。二つ。人を食べるときはライゼンの判断を仰ぐこと。この二つだよ」
「ヨルはエルドランドさんに追いかけられたくないから条件を呑むのはなんとなくわかるんですけどエルドランドさんがヨルを追いかけた理由って何ですか?」
エルドランドは『忌み名持ちの前に現れる』とヨルが言っていた。そして『味方にならない』とも。今の話ではどちらの根幹にも触れていないのだ。
「忌み名を持った悪魔は無意味に人間を喰い荒らす。そうなると悪魔祓い師たちが出てきて悪魔狩りが始まる。悪事を働いたり害があるなら狩られるべきだ。しかし、そうではない悪魔もいる。悪魔狩りは悪魔であれば狩る対象だ。だから無差別な狩りが行われる前にこちらで芽を摘んでいたのさ」
「結果、ヨルは害がないと?」
「どうだろうね。害があるなしというよりもアレは極端に戦闘をしたがらなかった。だからワタシから逃げ続けた。わかるかい? ワタシに追いかけられるのがイヤならワタシを捻じ伏せればいいのに悪魔狩りをしているはずのヨル坊から戦闘をほぼ仕掛けてこなかった。どうしても逃げ切れないと判断したときだけ反撃する。不思議だろう?」
不可解過ぎるヨルの行動。害があるかないかの土台にすら立っていなかった。
「判断に困った。何度か追っている内にワタシにはヨル坊が怯えている子供に見えてきてね。まだ有害にも無害にもなってないように思えた。だからライゼンをあてがったところもある」
「人間を学ばせるために?」
エルドランドは大きく頷いた。
「ライゼンも力が有り余っていたからいい遊び相手になるだろうと思ってね。契約こそしなかったが、なんだかんだといいコンビだったよ」
「最後は契約したみたいですよ」
「らしいね。だからこそ心配で様子見に来たんだ。また『夜兎』と呼ばれていた頃みたいに悪魔狩りをしないか心配だった」
エルドランドの言葉がゆっくりと囁くように小さくなっていく。そしてエルドランドは響司を優し気に目尻を丸めてこう言った。
「ボウヤがいたからかな」
「僕がいたところで何も変わりませんよ」
「知らないなら教えてあげよう。悪魔は人間のように記憶を忘れるようなことは基本ない。悪魔の記憶は魂に直接を刻み、読み取るからね。記憶の封印までいけば話は別だろうけど、あまり聞かない」
響司は見えない金づちで頭を殴られたような衝撃が走った。忘れられないというのは地獄だ。母親の死がトラウマだと自覚できている響司はヨルが今どんな状況なのか想像できない。なぜなら響司のトラウマはエピソードとして残っているがモノの配置や匂い。会話の一言一句まで覚えているわけではないからだ。
すべて覚えていたのなら――。ずっと忘れられないのなら――。もし、思い出してしまったら――。
地獄の再上映である。心がいくつあっても足りない。壊れて、直してもまたどこかで思い出して、壊れる。傷は内側にある。逃げられない傷だ。
響司はライゼンのことを聞きだそうとして無意識に傷つけていたかもしれないと気づいてしまった。
「つまり、アレの中にはまだあるんだよ。ライゼンへの未練が。何も出来なかった自分への自責が。過去に囚われているのであればライゼンを殺した悪魔たちに復讐すると踏んでいたのだがね」
「……ヨルを……助けてあげられないかな」
ヨルの身に起こっていることが自分に起こっていたのならと想像した響司は唇を震わせながら声を発した。
エルドランドはただでさえ細い目をさらに細めた。そして、スコップを響司に手渡してくる。
「そういう言葉が出てくるボウヤは嫌いじゃないよ。ボウヤの欲望だ。やりたいようにやりたまえ」
スコップを受けとったはずの響司の手には木製のジョウロが握られていた。ジョウロには水が入っていない。
響司は沼の濁った水をジョウロへ入れてみた。濁ってぬめりのあった水がジョウロの中で澄んでいく。透明になった水を大量に蓄えたジョウロを持って、黒い木と透明な木の前に響司は立った。
「知らなくてごめんね」
響司は透明な木と黒い木の両方に水を与えた。両方が枯れないように願いを込めながら。




