前の道は見えないが後ろは振り返るほどではない
食事終了後の午前11時、自分の部屋に戻るとフランベルジェがいた。
普通の思春期男子ならばこんな可愛らしい少女が自分のベッドに腰かけていたらその相手が幼馴染でも心臓が♪=200ほどを奏でるだろうが、ジーニーはベッドに戻ろうとしていたのに邪魔だとしか思わなかった。
「いきなりアタシがアンタのベッドに腰かけててビックリしたかもしれないけど、これはアンタの『食事をとったらすぐに寝っ転がる』習慣を今一時中断させるためにやっているのよ」
彼女はジーニーの幼馴染なので、彼の性格を理解している。フランベルジェがいなければ、ジーニーは今の数倍ダメ人間だっただろう。「何でさ」ジーニーはフランベルジェの発言に返事をする。
「いい?アタシ達が通うことになった王立セーゲン学園は執事もメイドも連れていけないし、授業時間が決まっているの。だから、チンタラ睡眠取ってる暇なんざないから習慣は一時的にでも矯正しなきゃならないわ。」
フランベルジェはジーニーに目を合わせて―上目遣いで説いた。「寝てもいいでしょ」
「ダメよ。たとえジーニャが優秀だろうと、実技の教科で何にもしなかったり、態度が悪いと一生留年だわ」
前世も似たようなものだったと思うが、まさか貴族にも留年があるとは。しかしよく考えてみればジーニーは後を継がない身なので多少はしょうがないかもしれない。「じゃあちょっとだけ」
「アンタは社交界に呼ばれたときに堂々と人前で寝るの?」
確かに食事を摂って寝ることもあるが、そこはジーニーも頑張っていた。彼なりにだが。「トイレで」
「でも人前では寝ないのね?だったらそういうことよ。」無礼をすると立場が悪くなり、不利益が生ずるのをジーニーは当然理解している。「信用問題だし」
「トイレで寝るのもダメだし、この機会に矯正しちゃいましょうよ。アタシ協力するわ。」
こうなった彼女はすごく面倒だ。+に-を掛けると-になるように、悪い返事をすると機嫌が悪くなる。つまりこの穏やかな口調の時点でも十分にジーニー・アッシュへの脅しになる。酷いときは腹部に一撃くらわされてしまう。しかもフランベルジェ本人もやや自覚的だ。彼女がジーニーの婚約者になったのが政略結婚のおかげだとよく分かる。
蒼い瞳に射した光が、紅い睫毛のせいで、吊った目尻のせいで、干天に見えた。
寝るときには暖かい陽に包まれていたいし、起きるときには瞼が赤変した状態でありたいというジーニーのポリシーのせいでもあるが。「うん」
すると彼女はクスリと笑って、
「礼の一つも言ってくれないのね」穏やかに言った。もちろん冗談だが、ここで調子に乗って妙な答えを返してもいけない。ありがとう、と感謝の念を述べてもビンタを食らったことがあるし、ここだけは何年関わっていてもわからない。
「じゃあ今日の昼からスタートってことで。確認のためにグローリ伯爵とコンセンス君に食後すぐジーニャの仕事を入れられないか頼んでくるわ。まさか、アンタが生活するうえで世話になっている家族が、アンタの無礼でダメになるかもしれないというリスクを背負って入れてくれた仕事を、すっぽかそうなんて思いもしないわよね?」
最後の方は露骨にトーンを落としていたし、すっぽかしたら仕事に行くという面倒以上に面倒なことになりかねない。
「まあ、今日は急に仕事入れるのは無理そうだから、限定で今日だけこの部屋に寄ってくってことにするわね。いい?」「執事でもよくない?」この時は本当に許可を取っているだけだ。
「了解。言付けしとくわ。それじゃあまた昼食場でね。その時まではとりあえず庭園の花でも見に行ってるから」そう言うと彼女はジーニーの部屋から出て行ってしまった。これで休学期間中は前世のことを考える余裕もなくなった。
ちょっと違うかもしれない…