89 破滅の前兆
夜の女神のように賢慮を醸し出す公爵令嬢リリス。
暁の女神のように慈愛の笑みを浮かべる聖女アンネ。
そんな二人を従えるようにして、中央に立つ第一王子オズフリート。
姿を現した三人に、会場の視線は釘付けになる。
そんな周囲の視線を一心に浴びながら、リリスはどこかぼんやりと昔のことを思い出していた。
――そういえば、一周目の時は私もあちらにいたんだっけ……。
オズフリートがアンネと共に姿を現すのを、リリスは観衆の一人として見つめていたのだった。
それはもう、ひどく惨めな気分だったのを覚えている。
手を取り合う王子と聖女は、まるでそうあるのが当然のように、リリスの目から見てもお似合いだった。
聖女の誕生を祝福する声も、楽しそうな笑い声も、何もかもが自分を馬鹿にしているように聞こえたものだ。
――今の私は……どう思われてるのかしら。
やはり、王子と聖女の間を引き裂く邪魔者だと思われているのだろうか。
そんなことを考えながら、リリスはアンネが挨拶を述べるのを聞いていた。
リリスのレッスンではいつも失敗ばかりしていたアンネだが、今は綺麗な都言葉で、どもることなく堂々たる態度だ。
その変化を誇らしく思うのと同時に……やはり、かすかな違和感を覚えずにはいられない。
――いくら何でも変わりすぎじゃない? これも、聖女の力なの……?
まるで、アンネなのにアンネではない別の人物のように感じてしまい……どうしても胸がざわつくのだ。
◇◇◇
「やりましたね、リリス様! やはりリリス様のレッスンの成果が出たのですね……!」
多くの者たちに囲まれるアンネをちらちらと見ていると、嬉しそうな様子のレイチェルが近づいてきた。
レイチェルは今のアンネの様子に特に違和感は覚えていないようだ。
やはり、自分の考えすぎなのだろうか……。
「お三方が姿を現した時の皆のざわつきぶりといったら! これはもう、子々孫々に語り継ぐ歴史的瞬間になったこと間違いないです!」
はしゃぐレイチェルを見ていると、自分の疑惑が些細なことに思えてくる。
アンネはとちることなく無事にお披露目を果たした。
……それで、いいじゃないか。
「……リリス、少しいいかな?」
その時急に聞き覚えのある声が聞こえ、リリスはぱっと振り返る。
そこにいたのは、どこか浮かない表情のオズフリートだった。
「オズ様、どうかなさいましたか?」
「いや、さっきまでのアンネの様子なんだけど……」
その言葉に、リリスははっと息を飲む。
――もしかして、不思議に思ってるのは私だけじゃない……?
「……しばらく見ない間に、アンネは随分と頼もしくなったんだね。これも……君のレッスンのおかげかな?」
心臓が嫌な音を立てる。
ざわざわと、心に不穏の影が差す。
……何故だろう、とてつもなく嫌な予感がする。
「オズ様、その……それが……」
こっそりと胸に抱いた疑義を伝えようとした時、急にアンネの周辺から驚いたような声が上がった。
「なんと、それは誠ですかな!?」
「許されざることだ……」
「救世の聖女様になんてことを……!」
非難の声が、視線が……こちらへ突き刺さる。
いつの間にかアンネの周りに集まっていた者たちは、皆一様にリリスのことを睨んでいたのだ。
その視線には覚えがあった。一周目の世界で、何度となく向けられたのだから。
これは、嫉妬から聖女を害そうとした、哀れな公爵令嬢を糾弾する視線だ。
――そんな、なんで……。
反射的に身を竦ませると、オズフリートが彼らの視線から庇うようにリリスの前に立った。
「オズ様……?」
オズフリートはじっと彼らのことを睨んでいる。
アンネの周辺の者たちは、第一王子の視線にたじろいだようだ。
だが、その代わりに今度はアンネがするりと前方へと進み出た。
「アンネ……?」
真っすぐにリリスを見据える、アンネの視線。
それは、ぞくりとするほど冷たかった。
その視線の冷たさに、リリスは思わず怯んでしまう。
「……私は、ここに告発いたします」
鈴を転がすような美しい声で、アンネがそう口にする。
今や星夜の間は静まり返り、人々はアンネとオズフリート、そしてリリスの一挙一動を見守っているような状態だった。
アンネのしなやかな指先が、真っすぐにリリスを指さす。
そして彼女は悲し気に眉を寄せると、一息に告げた。
「フローゼス公爵令嬢が私に行った、悪魔のような所業についてを」