88 聖女のお披露目
宮殿の大広間の一つ――星夜の間に集まった人々は、いつになくざわめいていた。
何しろ本日の夜会は、あの救世の聖女が初めて公の場に姿を現す場なのだ。
「聖女様……いったい、どんな御方なのだろうか」
「神託の聖女様が初めて姿を御見せになるなんて……きっと歴史に残る日になるわ!」
聖女のお披露目の場に立ち会えたことを無邪気に喜ぶ者もいれば、ひそひそと囁き合う者もいる。
「しかし、聖女様が現れたとなると、オズフリート殿下とフローゼス公爵令嬢の婚約はどうなることやら……」
「今までの歴史上、ほとんどの場合で王は聖女と婚姻を結んでいる。今回もフローゼス公爵令嬢と婚約を解消して、聖女様と婚約しなおすんじゃないか?」
「公爵令嬢を側妃に、聖女様を正妃にするなんて噂もあるが……」
盤石と思われていた第一王子と公爵令嬢の婚約関係が、ここに来て大きく揺らごうとしている。
公爵令嬢と聖女、どちらが後の正妃となるかによって、今後の貴族間のパワーバランスは大きく変わって来るだろう。
未だに陣営を決めかねている貴族たちは、ここぞとばかりに情報交換に勤しむのだった。
「しかし王子殿下は、随分と公爵令嬢に入れ込んでるなどという話もあるが……」
「優先されるべきなのは神託の方だろう。一時の感情に流されるとは思えないな」
「だが……フローゼス公爵令嬢が素直に婚約破棄を受け入れるだろうか」
「あの親馬鹿と名高いフローゼス公爵も黙ってるとは思えない」
リリス・フローゼスは淑女の中の淑女と呼ばれるほどの才媛である。
彼女の父親であり、宮廷魔導士であるフローゼス公爵は重度の親馬鹿だ。彼によるやたらと長い娘自慢を、宮廷に出入りする者なら一度は耳にしたことがあるというほどの。
いくら救世の聖女と言えども、愛する娘が婚約破棄を突きつけられて、あの親馬鹿公爵が黙っているとは思い難い。
オズフリート王子が聖女を選べば、宮廷が荒れるのは間違いないだろう。
「それに、フローゼス公爵令嬢は若い世代に絶大な人気を誇っている。やがて国の中心となる彼らの意見を無視できるか?」
他に類を見ない独特のセンスを発揮するリリスは、今や若い世代のカリスマ的存在だ。
「リリシスト」と呼ばれるリリスの熱狂的なファンたちが、敬愛するリリスの不遇に黙っているとは思えない。
恐れを知らない若者のことだ。リリスの為に大々的な抗議活動を行うことも考えられる。
王宮の前で集団で騒ぐくらいのことはやりかねないのだ。
「それに、オズフリート殿下とフローゼス公爵令嬢は『今年のお似合いカップルランキング』で四年連続一位を獲っているんだぞ? 今更フローゼス公爵令嬢を捨てるような真似をすれば、殿下の大幅なイメージダウンは避けられないだろうな」
オズフリートとリリスは、婚約した当初から非常に仲睦まじいとの評判だ。
公的な行事にはいつも二人仲良く出席し、特に数年前の春告祭で息の合ったダンスを披露した時の光景は、多くの者の記憶に残っている。
他者の付け入る隙を許さない、そんな理想のカップルが破局――しかも王子側からの婚約破棄となれば、二人の仲を祝福していた多くの者たちの失望を買うだろう。
オズフリートだけでなく、王室全体へのダメージへとなりかねないのだ。
「これが一介の令嬢であれば、婚約を解消して終わりなんだがな……」
「あのフローゼス公爵令嬢が相手じゃ、どう転ぶか読めないんだよ」
いったいオズフリートはどんな選択をするのか、自分たちはどの勢力につくのが一番の得策か。
貴族たちは頭を悩ませるのだった。
「そういえば、フローゼス公爵令嬢の姿が見えないが――」
一人の貴族がきょろきょろとあたりを見回した時、入場を告げる声が響く。
「オズフリート王子殿下、並びにフローゼス公爵令嬢……そして、聖女アンネ様のご入場です」
その声に、会場は一気にざわめいた。
人々の視線が集中する中、ゆっくりと扉が開き……三人は姿を現した。
右手に聖女アンネ、左手にフローゼス公爵令嬢リリス。
二人の女性と共に、第一王子オズフリートは悠々たる姿でそこに立っていたのだ。
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