86 天使の思い違い
レミリエルははっきりと覚えている。
すべてがうまくいくはずだった、時間が巻き戻る前の世界のことを。
レミリエルはここセレスティア王国を守護する役割を持つ天使だ。
今の座についてから、ずっと王国の未来を思い、迷える人々を導いてきた。
王族の伴侶選びについても、レミリエルは常に目を光らせてきた。
邪悪な心を持つ者を伴侶に迎えてしまったばかりに、滅びの道を辿る王国――歴史を紐解けば、ままあることだ。
だからこそ、手が抜けないのである。
現在の国王の長子――第一王子オズフリートの伴侶選びに際しても、レミリエルはずっと彼らの様子を見守っていた。
選ばれたのは、宮廷魔術師の娘である公爵令嬢――リリス・フローゼス。
地位や身分は問題ない。リリスやフローゼス公爵の周辺に、反逆者がいる気配もない。
なので、最初のうちレミリエルはただ、オズフリートとリリスの行く末を見守ろうと思っていた。
だが、リリス・フローゼスと言う人間は……レミリエルの想像以上に、王妃たる資質を欠いていたのだ。
まず、人望がない。
王妃は国の象徴、皆に愛されるべき存在である。
なのにリリスときたら、口を開くたびに敵を増やしていく始末。お世辞にも良いとは言えない性格も相まって、多くの者に馬鹿にされ、遠巻きにされていた。
宮廷魔術師の娘だというのに、魔術の才はからっきし。勉学や詩作、奏楽においても壊滅的。
彼女のように欠点だらけの人間が王妃になったら、この国の品位は著しく低下し、邪な者に付け入る隙を与えてしまうかもしれない。
肝心のオズフリートも、リリスを扱いかねているようだった。
だから、レミリエルは「リリス・フローゼスは王妃としてふさわしくない」と裁定を下すことにした。
そんな時、レミリエルの目に留まったのが並外れた神力を持つ少女――アンネだ。
神力が高い人間は、レミリエルと同調がしやすい。まさに今の状況にうってつけの人材だ。
彼女をレミリエルの器たる「真の聖女」に育て上げ、第一王子であるオズフリートと婚姻を結び、王妃として君臨する。
聖女が子をなせば、その子もまたレミリエルの器としてふさわしい神力を兼ね備えていることだろう。
王子でも、王女でも……生まれた子を新たなる器として養育し、国を統治する。
そうして、セレスティア王国は未来永劫幸福に包まれることだろう。
その為には、まずリリス・フローゼスをオズフリートの婚約者の座から排除しなければならない。
レミリエルは手駒たる神殿の人間に働きかけ、少しずつリリスを孤立させていった。
元々皆に爪はじきにされていたリリスだ。事態は面白いほどレミリエルの読み通りに動いてくれた。
レミリエルの操り人形となったアンネを使い、リリスの嫉妬心を煽り「彼女は第一王子の婚約者にふさわしくない」と皆に印象付けていく。
何故かオズフリートはリリスとの婚約解消を渋っていたが、「このままでは過激な聖女派の人間によって、リリスが暗殺される恐れがある」と吹き込むと、彼も覚悟を決めたようだった。
オズフリートがリリスとの婚約破棄を宣言したその日、正義は必ず勝利するのだとレミリエルは微笑んだ。
聖女派の人間に害されることを恐れたのか、オズフリートはリリスを誰も手出しできないような厳重な牢の中に閉じ込めた。ほとぼりが冷めたところで、彼女をどこかに匿うつもりであったようだが……リリスが王妃にならない以上、それはレミリエルの知ったことではない。
王家の血を継ぐ、聖女の産んだ子――次の器さえ手に入れば、オズフリートが誰を側室にしようが、愛人として囲おうが、口出しするつもりは無かった。
大人しくしていれば、リリスの命まで奪うつもりは無かったのだ。
だが、リリス・フローゼスはどこまでも愚かだった。
低俗な悪魔と契約を交わし、かつての婚約者を殺そうとしたところで……王家の守護魔法が発動し、リリスはあっけなくその命を散らした。
レミリエルの読みが外れたのは、思った以上にオズフリートがリリスに入れ込んでいたことだ。
リリスを失った彼は生気を失い、まるで人が変わったように閉じこもり、人前には姿を現さなくなってしまった。
そして、彼は自ら王位継承権を放棄した。
幸いなことに彼の弟である第二王子は健在だ。
彼はオズフリートに比べれば優秀さでは劣っていたが、それでも王家の血を引く子を産ませる面では問題ない。
少なくとも、今のオズフリートよりは役に立つだろう。
そう判断したレミリエルはオズフリートの継承権の放棄を受け入れ、新たに第二王子と聖女を結ばせる道を取った。
オズフリートは継承権と引き換えに手に入れた領地に引きこもり、表舞台から姿を消した。
わざわざ表舞台を去った人間を監視するほどレミリエルも暇ではない。それからはずっと、オズフリートのことは放置して第二王子と聖女の二人を導くことに精力を注いでいたのだ。
何もかもが、レミリエルの計画通りに上手く行っていた。
……表舞台を去ったはずのオズフリートが、どんな手段を使ってか、“時戻し”を行うまでは。
時間が巻き戻り、オズフリートはリリスにそそのかされたのか、彼女を王妃にしようと足掻いているようだ。
「でも、それももう終わり」
真の聖女が生まれた今、魔女など恐れる必要はない。
少しアクシデントはあったが、すべてはレミリエルの計画通り。
……この国の正しい未来を、取り戻す時がやって来たのだ。