82 責任取ってもらいます!
翌日、リリスはいつものように聖女アンネの教育係として登城した。
王宮の者も慣れたもので、今やリリスの顔を見れば丁寧に礼をし、「何かお困りのことがございましたらすぐにお申し付けください」とVIP待遇を欠かさない。
馬鹿にされるか恐れられ遠巻きにされていた一周目の世界では、ありえなかったことだ。
あらためてその事実を実感し、リリスはいつになくそわそわしてしまう。
――ど、どうしよう……急に緊張してきちゃった……。
今までのリリスはずっと復讐に燃え、朝も夜もそのことばかりを考えていた。
オズフリートやアンネに対峙するときも、「いつか華麗に復讐してやるから見てなさい!」と心の内では思っていたのである。
だが、彼らへ復讐しなくてもいいのだと決めてしまった今……いったい、どんな顔をして二人に会えばいいのだろう。
どこか落ち着かない様子のリリスに、一緒にいたイグニスがこそりと声を掛ける。
「どうかしましたか、お嬢様。お手洗いならあっちですよ」
「違うわ! その、そうじゃなくて……どんな顔して、オズ様やアンネに会えばいいのか――」
「僕が何か?」
「ひいぃぃぃ!!?」
突然背後から聞こえてきた声に、リリスはその場でひっくり返りそうになってしまう。
イグニスに支えられながら恐る恐る振り返ると……そこにいたのは、いつものように感情の読めないロイヤルスマイルを浮かべた婚約者――オズフリートだった。
「おはよう、リリス。今日もアンネのレッスンかな? いつもありがとう。アンネもすごく喜んでいるよ」
にこにこと穏やかな笑みを浮かべたまま、オズフリートはこちらへと歩いてくる。
彼が近づけば近づくほど……何故かリリスの鼓動は破裂しそうなほどに高鳴っていく。
――何で!? 復讐はやめるって決めたのに、こんなに殺意が……!
鎮まれ、鎮まれ……と念じても、荒ぶる殺意は鎮まってはくれない。
混乱するリリスに、オズフリートはどんどん近づいてくる。
「リリス? 顔が赤いけど大丈夫?」
「あの、それは……えっと……」
訝しげな表情を浮かべたオズフリートが、そっと屈むようにしてリリスの顔を覗き込む。
その途端、全身が沸騰するように熱くなってしまう。
――なにこれ、なにこれ……!
オズフリートの顔を正視できない。
慌てて視線を逸らし、ぎゅっと目を瞑る。
すると、次の瞬間――そっと、頬に触れる感触。
「……やっぱり、熱いね。最近はアンネの為に頑張っていたし、少し休んだらどうかな? 大丈夫、アンネには僕の方から伝えて――」
まだオズフリートは何か言っていたが、もうリリスの耳には入らなかった。
熱い、ただひたすらに熱い。
彼の触れたところから、火傷してしまいそうなほどに。
次の瞬間にでも爆発しそうなほど鼓動が高鳴っている。
抑えられるはずがない。まるでマグマのように胸の奥から湧き上がってくる……殺意を。
――駄目よ、復讐はやめるって決めたのに……!
そう考えた時、リリスは気が付いた。
もしかしたら、長年の習慣の積み重ねで、オズフリートの顔を見ると条件反射的に殺意があふれ出すようにインプットされてしまったのでは?
――きっとそうよ! ぐぬぬ……オズ様、私の体をそんな風に作り替えるなんて……!
これは由々しき事態だ。元凶である彼に、きっちり精算してもらわなければならないだろう。
顔を真っ赤に染め、わずかに涙の浮かんだ瞳で、リリスは意を決して顔を上げる。
そして驚くオズフリートにびしりと指を突きつけ、一息に言い放った。
「オズ様! 私の体をこんな風にして……きちんと責任取ってもらいますからね!」
それだけ告げると、もう耐えられなかった。
ぴゃっと背を向け、リリスは一目散にその場から走り去ったのだった。
……リリスの言葉に凍り付いた、オズフリートと周囲の者を置き去りにして。
「おいこら待てって! 皆さん違うんです!! 今のは誤解ですから!!!」
周囲にぺこぺこと弁解しながら、イグニスは慌てたようにリリスを追いかけていく。
その場に置いて行かれたオズフリートは、周囲の好奇の視線にも気づかないほどに混乱していた。
「………………え?」
まったく身に覚えのない糾弾に、常に冷静沈着な王子は、珍しく狼狽したのだった。




