81 いつかの未来に
「あの王子や聖女のことも……今は、嫌いじゃないんだろ」
その問いかけに、リリスは黙りこむ。
そんなことはないと否定したかった。だが、もう……自分の心に嘘は吐けない。
ずっと、リリスのすべてを奪った聖女が大嫌いだった。
もう一度会えたら積年の恨みを込めて、復讐してやろうとたくさんの方法を考えていた。
だが実際に相まみえた聖女アンネは……リリスの記憶にあるような人物ではなかった。
――都言葉すらろくに話せない、野暮ったい田舎娘。
そんな相手に復讐する気にもなれなくて、気が付けばリリスは彼女を教育することに熱中していた。
彼女が成長するたびに、自分のことのように嬉しく思うようになった。
あの神官に頬を張られた時には、自分のことのように怒りが沸き上がった。
本当は、ずっと前から気づいていた。
リリスが復讐したかった「聖女」と、今のアンネは違う。
いや、もしかすると……一周目のリリスがアンネの本当の姿に気づいていなかったのかもしれない。
――私は、あの子を……。
もしこの手にナイフを握り、アンネを刺すことができるかと問われれば……きっと、できない。
……できないのだ。
――それに、オズ様のことも……。
オズフリートとは時間が巻き戻って再会してから、長い時間を一緒に過ごした。
魂を込めて作り上げた詩を褒めてくれた。
忙しい中、リリスの誕生日に駆け付けてくれた。
心からリリスのことを考えてくれた、素敵な贈り物をくれた。
お茶会に舞踏会に……いつも彼はリリスの隣にいてくれた。
……聖女アンネが現れてからも、ずっと。
いつか捨てられると思っていた。
いつ婚約破棄をされても、お前なんていらないと言われてもいいように、リリスはずっと覚悟を決めていた。
……もう、あの時のように傷つきたくはなかったから。
それなのに、彼はいっこうに婚約を破棄しようとは言いださない。
――『来年のこの日に、僕と君が二人そろってこうしてここに来ることが出来たら……その時は、また一緒に踊ってくれる?』
このままでは、あの時の賭けはオズフリートの勝ちに終わってしまうかもしれない。
だが……不思議と嫌な気分はしなかった。
「また、来年に……」
オズフリートやレイチェルやギデオン……今度はアンネも一緒かもしれない。
皆で、あの場に会することができるかもしれない。
――『お前の人生は無駄じゃない。お前はたくさん努力した。辛い目に遭った。だから……きっと今の時間は、そのご褒美なんだ』
イグニスの言う通り、二周目の生が一周目で悲惨な目に遭った分、幸せになれるようなご褒美なのだとしたら……もっと、自由に生きてもいいのだろうか。
オズフリートやアンネを、素直に好きになってもいいのだろうか。
そう思うと、急に気が楽になった。
「あはは、馬鹿みたい……」
ふらりと倒れそうになったリリスの体を、イグニスがそっと抱き留めてくれる。
そっと彼の胸に顔を押し付けて、リリスはぽそりと呟いた。
「私……幸せになってもいいのかな」
「いいんだ、俺が許す」
「あなたに何の権限があるのよ」
くすくすと笑いながら、リリスはどこか満ち足りた気分を覚えていた。
まるで、憑き物が落ちたかのようだ。
「……ありがと、イグニス」
「何が?」
「そのくらい自分で考えなさい」
思えばイグニスは、時間が巻き戻ってすぐにリリスのところにやって来て、それからずっと……家族よりも傍に居た。
認めるのは癪だが……リリスは彼の存在をいつの間にか頼りにするようになっていた。
彼は悪魔だ。次の瞬間にもリリスを殺して、その魂を喰らおうとするかもしれない。
――うーん、想像できない……。
悪魔を信頼するのなんておかしい。
そうわかっていても、リリスには傍らの悪魔が自分を害そうとするところなど想像ができなかった。
――いいわ、難しいことは……また今度考えれば。
ぎゅっと抱き着いてぐりぐりと頭を押し付けると、イグニスは「まだまだ子供だな」と呟いて、そっとリリスの背を撫でてくれた。
ちょっと書きためのストックが心もとなくなってきたので、今週は火、木、土の隔日更新とさせていただきます。