80 ご褒美の時間
ずっと泣きたかった。
でも、泣いたら負けだと思っていた。
母が亡くなった時、リリスは体中の水分がなくなってしまうのではないかというほど泣いた。
そして、決意した。
亡き母に恥じないように、公爵令嬢リリス・フローゼスとしてまっすぐ前を向いて生きよう、と。
俯かず、振り返らず、決して涙を見せず、自身の信念に従いリリスは生きた。
その結果が……周囲に陥れられ、罪人として裁かれ、元婚約者に殺されるという悲惨な結末だ。
それが、リリスの運命だとでも言うのだろうか。
――教えて、誰か。私は間違ってたの? 私の存在は罪なの? 私は生まれてきてはいけなかったの? 私は……いったい、どうすればよかったの……?
考え出すと止まらなくて、リリスの蜂蜜色の瞳からは、後から後から涙があふれて止まらない。
そんなリリスの背を、イグニスはまるで幼子をあやすかのようにポンポンと叩いてくれた。
「頑張った。……お前はよく頑張ったよ」
「……知らないくせに」
「だいたい想像はつく」
むぎゅっ、とリリスの頬を摘まむようにして、イグニスは笑った。
「ふぁにふんのよ!」
「ほらほら、そんなに泣くと美人が台無しだぞ」
げしげしと足を蹴ると、イグニスは苦笑しながらリリスの頬から手を離した。
「お前は頑張った。それは、誰にも否定はできないだろ」
「……でも、無駄だった。私は無様に殺されて、何もかもが無駄に終わったわ」
ぎゅっとこぶしを握り締めて、リリスはそう口にする。
――いや、無駄じゃない。
イグニスは知っている。
一周目の彼女の人生は、決して無駄ではなかった。
オズフリートはリリスを救おうと時を巻き戻し、今も過酷な運命に抗おうとしている。
それだけ彼を突き動かしているのは、元はと言えば一周目のリリスの存在なのだ。
リリスの努力は、生きざまは、今もあの王子を突き動かし続けている。
だからこそ……。
「お前の人生は無駄じゃない。お前はたくさん努力した。辛い目に遭った。だから……きっと今の時間は、そのご褒美なんだ」
優しくリリスの頭を撫でながら、イグニスはそう口にする。
すると、リリスは涙に濡れた目をぱちくりと瞬かせた。
「ご褒美……?」
「そうだ。一周目でたくさん辛い目に遭った分、今度は幸せになれるように、誰かが特別に、お前に時間をくれたんだよ」
そう告げると、リリスは驚いたように目を見開く。
「私が、幸せになれるように……?」
「そうだ。そうに決まってる。だから……もう自由に生きていいんだ」
――『可哀そうなお嬢様、復讐するつもりがあるなら手を貸すけど?』
――『復讐、してやるわ……!』
――『私は絶対に復讐を諦めないんだから! いいこと、あなたには私の願いを叶える義務があるのよ!』
――『……お嬢様の仰せのままに』
リリスはずっと復讐に囚われている。
イグニスはそんな彼女の願いを叶えようと、そして願いが叶った暁には彼女の魂を喰らおうと、ずっとリリスの傍に居た。
だが、今は……どうしても、リリスに復讐に囚われずに、自由に生きて欲しいと願ってしまうのだ。