75 復讐か友情か
アンネのことはこちらで対処する、と言った通り、リリスがオズフリートにシメオンの横暴を報告してすぐに、彼はアンネの教育係を降ろされた。
それ以降、沈みがちだったアンネの表情は明るさを取り戻している。
その様子に、リリスはらしくもなくほっとする。
「でも、また新しい教育係の人が付くんでしょう?」
「はい。来週こごさ赴任すてぐるど聞きました」
「またシメオンみたいな奴だったらちゃんと私に言うのよ? 私が腐った根性を叩きなおしてやるわ!!」
「ふふ、リリスさんは優すいね」
そう言って、アンネは嬉しそうにニコニコと笑う。
その表情を見るとどうにも調子が狂ってしまう。
「なぁにニヤニヤしてるのよ! そんなに余裕があるならお辞儀の練習100セット追加!!」
「ひょえぇぇ!!」
「ほら、もっと背筋をしゃんと伸ばして!!」
「はいっ!」
「表情が硬い! もっと笑顔を心がけるのよ!!」
ビシバシとアンネに指示を飛ばしながら、リリスはどこか充実した気分を覚えていた。
◇◇◇
「聞いたわよ、この間の剣術大会で優勝したって、一応おめでとうとでも言っておこうかしら」
「ふん、当然のことだ!」
いつものようにフローゼス公爵邸に上がり込んで、ギデオンは自慢げにふんぞり返っている。
まったく面倒くさい……と思いつつも彼の成果に対するねぎらいの言葉をかけると、彼は探りを入れるかのようにおずおずと口を開く。
「ちなみに、その情報は――」
「レイチェルが教えてくれたの」
「そうか……!」
途端に嬉しそうに頬を紅潮させるギデオンに、リリスはやれやれと肩をすくめた。
「レイチェルは他に何か言ってなかったか!?」
「何かって?」
「『ギデオン様かっこいい!』とか、『今からでもあの時の婚約の話をお受けできないかしら……』とか」
「うわ……」
頬を染めながらそんなことを口にするギデオンに、リリスは若干引いた。
しかも無駄に物まねが上手いのが腹が立つ。
「あなたもいつまでも未練がましいわね。で、そろそろレイチェルに告白はできたの?」
「まだその時じゃない!」
「その時っていつよ……」
このヘタレめ……と内心で毒づきながら、リリスは大きくため息をついた。
「そんなんじゃ、指をくわえているうちに誰かにレイチェルを取られても知らないわよ」
「あいつはお前しか見えてないからその心配はない」
「はぁ……なんか利用されてるみたいで腹立つわ」
それでも、ギデオンの努力にはリリスも一目置いている。
彼は王都でも類を見ないような立派な貴公子へと成長している。それは確かだ。
容姿、実力、身分の揃った彼は、多くの乙女たちから熱い視線を向けられている。
それでも、彼が秋波を送る乙女たちに振り向くようなことは一度もなかった。
彼の心は、ずっとレイチェル一人だけの方を向いているのだから。
「あなたが私に懸想している……なんて噂が立った時はどうしようかと思ったわ」
「あれは確か去年か。珍しくあの時はオズフリートが荒れていたな」
「えっ、そうなの? いつもと変わらなく見えたけど」
「俺一人王城に呼び出されたかと思えば、真顔で『君が僕の婚約者であるリリスに想いを寄せているなんて噂が立っているけど……本当かい?』とか問い詰められて……あの時は血が凍るかと思ったな……」
その時のことを思い出したのか、ぶるりと身震いするギデオンに、リリスは動揺を押し隠し口を開く。
「……オズ様は醜聞が広がるのを懸念されているだけよ。別に私がどうのこうのってわけじゃないわ」
「お前も難儀な奴だな。俺の体感だと、オズフリートの話題の七割がお前に関してのことなんだが」
「……うるさい! いつまでもレイチェルに振り向いてもらえないヘタレの癖に!!」
真っ赤になって言い合いを始めてしまった二人を、まぁまぁとイグニスが諫める。
ここ数年、フローゼス公爵邸では日常茶飯事になっている光景だ。
「……まぁいい、お前も俺のライバルとして日々鍛錬を怠るなよ」
「だから、いつ私があなたのライバルになったのよ!!」
一通り言い合いをして満足したのか、ギデオンは颯爽と去っていった。
その背中を見送り、リリスは大きくため息をつく。
「まったくあいつは……成長してるんだかしてないんだか」
どこか子供っぽい部分を残しつつも、ギデオンは日々成長している。
……一周目の彼とは、まったく別の方向に。
――『まったく……早くあんな地雷女とは縁を切るべきだ』
――『公の場で聖女様を罵倒しただと? 公爵令嬢たる品性の欠片も感じられないな!』
――『そもそも、見た目以外に美点がゼロじゃないか』
一周目に彼からぶつけられた、罵倒の言葉が蘇る。
今の彼ともぶつかることはしょっちゅうだが、リリスには今の彼が一周目の時のような言葉を吐く姿が想像できなくなっていた。
「……本当に、不思議ね」
復讐心と友情を天秤にかけて、友情の方が重くなりつつあることに、リリスは気づき始めていたのだ。