72 公爵令嬢VS神官
「こら! ティーカップは両手で持たない! ハンドルに指を入れない! 小指を立てない!!」
「たげ難すいね……!」
「ふふ、回数をこなすうちに慣れるものですよ。アンネ様。私も初めてリリス様のお茶会に出席した時は、酷い醜態を晒してしまったものです」
「レイチェルさんが? 信ずられね!」
今日はレイチェルも招いてのテーブルマナーのレッスンだ。
アンネのテーブルマナーは、はっきり言うと壊滅的だ。山から下りてきた猿の方がまだマシかもしれない。
こんな有様では、晩餐会やお茶会に出るたびにクスクス笑われてしまうこと間違いなし。
そんなのは、リリスの教育係としてのプライドが許さない。
なんとしてでも、この芋聖女に完璧なテーブルマナーを仕込んでやらねば……!
「さぁ、次はさっき教えたことの実践よ! イグニス!」
「はい、お嬢様」
ぱちんと指を鳴らすと、心得たようにイグニスがケーキを切り分け、リリスたちにサーブしてくれる。
たっぷりの生クリームと真っ赤なイチゴで彩られたシフォンケーキに、アンネは目を輝かせた。
「さぁアンネ、このケーキを倒さずに最後まで食べきって見せなさい!」
「ひょえぇぇ……!」
いかにケーキを美しく食べるか……。これも、淑女に求められる必須スキルの一つなのだ。
ぐちゃぐちゃに汚く食い散らかすなど言語道断。
一見簡単なように見えて、繊細な力加減が必要な高度なスキルが求められるのである。
アンネはひどく真剣な顔つきで、ぷるぷると手を震わせながらケーキと格闘している。
その様子を見て、リリスはくすりと笑ってしまう。
――まったく、私のライバルにふさわしく成長するのはいつになるのかしら……。
早くここまでいらっしゃい……と心の中で呼びかけながら、リリスは自分もケーキを口にしようとフォークを手に取る。
その時だった。
「お待ちください……!」
扉の外から慌てたような侍女の声が聞こえたかと思うと、ノックもなしに突然部屋の扉が開いた。
その向こうに現れた姿を見て、リリスはうげっと顔をしかめてしまう。
――うわ、あのムカつく神官じゃない!
アンネの聖女教育を担当する神官……確かシメオンとか言ったか。
その彼が、どこか怒気をはらんだ表情を浮かべて、扉の向こうに立っている。
真っ先に動いたのは、少女たちのお茶会を見守っていた悪魔――イグニスだ。
「神官様、今はリリスお嬢様のレッスン中です。急ぎのようでなければ後ほど――」
「レッスン? これが?」
馬鹿にしたような口調でそう呟いたシメオンは、イグニスの制止を無視してずかずかの部屋の中へと踏み込んできた。
彼はまるで汚らわしい物でも見るような目つきでテーブルの上に広がるティーカップやケーキを一瞥すると、今度はその視線をアンネへと向ける。
「……聖女様、私が申し上げたことをお忘れですか」
「で、でもシメオン様……。これも私に必要なことで――」
もごもごと弁解するアンネに、シメオンは大きくため息をつく。
またお小言か……とげんなりしたリリスは、つい対応が遅れてしまう。
気づいた時には、パァン――と、乾いた音が響き渡っていた。
シメオンは大きく手を振り上げたかと思うと、思いっきりアンネの頬を張り飛ばしたのだ。
衝撃でアンネの体は椅子から転げ落ち、床に崩れ落ちる。
「アンネさん!?」
慌てて立ち上がったレイチェルがアンネを介抱する。
その光景を、シメオンはひどく冷たい目つきで見下ろしていた。
「決められた食事以外を口にするなと、あれほど申し上げましたのに」
凍り付きそうなほど冷たい声に、アンネはびくりと身を竦ませた。
「お菓子だのケーキだの……そんなものはあなたに必要ない。ただ外界の穢れを取り込んでしまうだけだ。やはり、あなたをここに寄越すのではなかった」
アンネを張り飛ばした際に吹き飛んだ食器の欠片を、シメオンの靴底が踏みつける。
パキリと陶器の砕ける音と同時に、リリスは立ち上がった。
体の奥から、マグマのように熱い怒りが沸き上がってくる。それでも、不思議と頭はすっと冷めていた。
「失礼いたします、シメオン様」
つかつかとシメオンに近づき、声を掛ける。
そして彼がこちらへ振り向いた瞬間――リリスは渾身の力を込めて彼の横っ面を張り飛ばした。
短編投稿しました。
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「もしもシンデレラが、王子ではなく魔法使いに恋をしたら」
(https://ncode.syosetu.com/n9096gn/)
少し前に投稿した「シンデレラの姉ですが、不本意ながら王子と結婚することになりました」の妹側の話になります。(単品でも読めます)
さっくり読めるハッピーラブコメですので、是非読んでみてください!