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69 堕ちた聖女

 気に入らない。とにかく気に入らない。

 ことあるごとにあのシメオンとかいう神官のしたり顔が頭にちらつき、むかむかして夜も眠れない始末。

 このままではいかん、と一念発起したリリスは、新たな行動を起こすことにした。


「あいつは私の淑女教育に文句をつけて邪魔した。なら……あいつの聖女教育を邪魔してやるわ!」



 ◇◇◇



 王城の近くに位置する聖神殿。そこから繋がる静謐(せいひつ)な森の中に、小さな神殿がひっそりと存在する。

 聖女アンネは多くの時間を、森の小神殿の中庭の泉で、静かに祈りを捧げていることに費やしている。

 今日も、敬虔(けいけん)に祈りを捧げようと試みているのだが……。


「……あの、リリスさん」

「何かしら」


 アンネはちらりと顔を上げて、乱入者の姿を眺めた。

 フローゼス公爵令嬢リリス。アンネに淑女教育を施してくれている、美しく気高いレディ。

 そんな彼女が、何故――。


「なすてバーベキューなんてしてるんですか?」


 ジュージューと肉の焼ける小気味の良い音。

 ダイレクトに食欲をくすぐる臭い。

 何故かリリスと従者のイグニスは、敬虔な祈りを捧げるはずの神聖な森の中で、和気あいあいとバーベキューを繰り広げているのだ。


「だって、ここでバーベキューをしちゃいけないなんてどこにも書いてないじゃない」

「普通書かねでもわがるびょん!?」

「あら、あなたに『普通』を説かれるなんて驚いたわ」


 華麗に髪をなびかせるリリスの手には、肉や野菜が交互に刺された美味しそうな串焼きが握られている。

 思わず涎が垂れそうになって、アンネは慌てて視線を逸らせた。


「私はただ、大自然の中でバーベキューを楽しもうとしているだけよ。ねぇイグニス」

「はい、お嬢様。あっ、とうもろこしがいい感じに焼けてますよ」

「ふふ、いただくわ……熱っ! でもこの熱さがいいのよね~」


 公爵令嬢と従者はキャッキャッとバーベキューを楽しんでいる。

 耳から、鼻から、目から……全身でバーベキューの気配を感じ取ってしまう。まさに五感の暴力だ。

 アンネは必死に目を瞑って、祈りに集中しようとした。

 だが、鼻をくすぐる肉の香りはどんどん強くなっていって――。


「うにゃああぁぁぁぁ!!?」


 思わず目を開けると目の前に肉があった。

 驚きすぎて聖女アンネは背後にひっくり返ってしまう。


「なんだが、これは!」

「あなたにもおすそわけを、と思ってね。はい、どうぞ」


 肉の刺さった串を差し出しながら、リリスは慈母のごとき笑みを浮かべた。

 思わず受け取りそうになって……アンネは慌ててずささっと後ずさる。


「やめでけ! こぃ以上私ば誘惑すねで!!」

「あら、何で受け取らないのよ」

「決められだ食事以外、食ってはいげねど言わぃでらはんで」


 神殿の戒律は厳しい。聖女たるアンネに関するものは特に細かく、一日の行動スケジュールや食べるものまで事細かく決められているのだ。

「余計なものは決して口にしないように」と、教育係のシメオンにもきつく言い含められていた。

 だから……たとえ敬愛するリリスが笑顔で差し出してくれた物でも、口にするわけにはいかないのだ。

 だが、リリスの誘惑は止まることはない。


「ふふ……そんなの、黙ってればわからないわよ」


 まるで悪魔の囁きのように、リリスの声が心を侵食していく。


「ねぇ、とっても美味しいのよ。噛むたびに肉汁がじゅわりと染み出て……」

「うぅぅぅぅぅ……」

「アンネ様、マシュマロもご用意してありますよ」


 爽やかな笑みを浮かべたイグニスが、程よく焦げ目がつき、とろーりととろけるマシュマロを掲げて見せた。

 怒涛の肉&焼きマシュマロ攻撃に、遂にアンネは陥落した。


 清らかなる聖女は、悪魔の誘惑に堕ちたのだ。


「私もだべだい゛ぃぃ!!」

「はい、どうぞ」


 リリスが口の中に突っ込んだ串に、アンネはむしゃむしゃと食らいついた。


「お゛い゛じぃぃぃ……!!」

「ちょっと……泣かなくてもいじゃない」


 ぼろぼろと涙を流しながら、アンネは焼肉にむしゃぶりついた。

 思えば聖女に選ばれて神殿に連れてこられてから、まともに肉料理など口にしたのは初めてかもしれない。


「神殿の規律に文句を言うつもりは無いけれど、あなたがそこまで泣くほど我慢を強いられるのはおかしいと思うの。もっと柔軟にならなくちゃね」


「文句を言うつもりは無い」と言いながら文句を垂れ、リリスはそっとアンネの耳元で囁く。


「もう少ししたら、テーブルマナーについてもあなたに教えようと思うの。その時は、たっぷり美味しいお菓子を用意してお茶会をしましょう、アンネ」

「…………はいっ!」


 リリスの甘い言葉が、じんわりと心に染みわたっていく。


 いきなり「聖女」だと言われ、故郷から遠く離れた都に連れてこられ、不自由な生活を強いられ……。

 ずっと不安で仕方なかったアンネの前に現れたリリスは、まさに天使のような存在だった。

 ……一生この人についていこう。

 はふはふとマシュマロを頬張りながら、アンネは確かにそう決意した。


 慈愛の微笑みを浮かべるリリスが、慈母の仮面の裏で盛大に勝利の高笑いを上げているのも知らずに。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 聖女の青森訛りが完璧すぎる...「わがるびょん!?」が出てきた瞬間ニマニマしてしまいました...どんどんお話しに引き込まれてついつい読んじゃって時間泥棒小説です。
[一言] 飯テロ。 でも、清貧を旨とする神官達も肉を貪り食っているのだから、文句を言うなといいたいですね。
[一言] 食べ物に釣られたw 前回の聖女は洗脳状態だったのかな 破天荒に見えて、正解を叩き出す リリスの野生の感かな? 大変な日々だったみたいなのでアンネには美味しいものを堪能して欲しいです
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