68 「聖女」の教育係
公務があるとオズフリートは手を振りながら去っていき、リリスは熱い頬を隠しながらアンネへのダンスレッスンを再開する。
「ほら、そこでターン! 違う違う! そんなにダイナミックに飛び跳ねなくてもいいのよ!! パートナーが吹っ飛ばされるわ!」
先ほどの失態を取り返そうと、リリスの指導にも熱が入る。
そのせいか、つい時間が経つのを失念してしまっていた。
「フローゼス公爵令嬢、失礼いたします」
部屋の扉が開いたかと思うと、侍女に案内されてやって来たのは、神官の衣装をまとう若い青年だった。
「……お迎えに上がりました、聖女様」
彼がやって来たことに、アンネは時計を見てはっと焦ったような表情を浮かべた。
「申す訳ね、シメオンさん!」
「……誰?」
リリスはこそりとアンネに問いかけた。
アンネによると、彼は神殿に仕える神官で、「聖女」としてのアンネの教育係のような存在らしい。
記憶を探ってみたが、一周目も今も、彼について特に何か思い出せるようなことはなかった。
どうやら記憶に残るような大した人物ではないようだ。ただの雑兵といったところだろう。
――まぁ、一応挨拶しておいた方がいいかしら。いざという時に使えるかもしれないし。
そう判断したリリスは、心の中の殺意を押し隠してにっこりと微笑んで見せた。
「初めまして、シメオン神官。聖女アンネ様の教育係を拝命いたしました、リリス・フローゼスと申します」
丁寧に淑女の礼をとると、すぐ隣にいたアンネから感嘆の声が漏れる。
だが、肝心のシメオンはぴくりとも表情を動かさずに、平坦な声で告げる。
「どうも、フローゼス公爵令嬢。お噂はかねがね。……私もあなたも聖女様の教育係を務める身。聖女様は多忙ですので、時間は厳守していただかなくては」
彼が冷たく告げた言葉に、リリスの頭は一瞬フリーズした。
――なに、今の。私……文句言われたの?
じわじわと頭が先ほどの言葉の意味を理解し始める。
彼は真正面から、ダンスレッスンの時間を延長したことに文句を言ったのだ!
――……たかが平神官の分際で、私の崇高なレッスンに文句をつけるなんて……いい度胸じゃない! 確かにちょっと時間を過ぎたのはこっちが悪いけど、言い方ってものがあるでしょ普通!!
絶句するリリスに、シメオンは更に畳みかける。
「まったく……こんなちゃらちゃらしたことを聖女様に教育して何の役に立つんだか。まぁ、王子殿下の決定ですので文句は言いませんが」
――思いっきり文句言ってるじゃない! 何なのよこいつ!!
リリスは思わず爆発しそうになったが、その前に慌てたアンネが間に入ってくる。
「シメオンさん! リリスさんは悪ぐね……ないんです! 私がもっと教えで欲しいって言ったんで!!」
その言葉に、リリスは驚いた。
――アンネ……まさか、私を庇ったの……!?
レッスンが延長したのはアンネのせいではない。熱中しすぎたリリスが、時間の管理を怠っていたからだ。
それなのに、アンネはリリスを庇い、神官に嘘をついた。
「……そういうことですか。でしたら聖女様、本日の祈祷の時間を一時間延ばしましょう」
「…………はい」
「それでは神殿へ帰りましょう。フローゼス公爵令嬢、失礼いたします」
「リリスさ……フローゼス公爵令嬢。また明日、よろしくお願いいたします」
普段の能天気さが嘘のように、しおらしい態度のアンネはリリスに向かって小さく礼をする。
そして、リリスが何も言えないうちに神官に連れられるようにして去っていった。
二人の姿が見えなくなって、扉が完全に閉まっても……リリスは呆然とその場に立ちつくしていた。
「おーい、大丈夫か?」
ひらひらとイグニスが目の前で手を振って、リリスはやっと我に返る。
「はっ、私は何を……」
「もうあいつら行っちゃったぞ。本当に大丈夫か?」
イグニスの問いかけには答えずに、リリスは思案する。
リリスが王宮で淑女の教育を施しているように、あのシメオンとか言う神官も神殿で、聖女としての教育をアンネに施しているのだろう。
だが……シメオンに対する、アンネの態度は少しおかしかった。
――あの芋娘にしてはしおれたようなあの態度……まるで、一周目の聖女みたいな……。
少しずつ、繋がっていく。
一周目の世界で、リリスはアンネの教育係に就任したりはしなかった。
だから、「聖女」ではない素の彼女がどんな人間であるのかということは知らなかったのだ。
もしかしたら、あの能天気な芋娘が、元の……本当のアンネではないのだろうか。
そんな彼女が、静かに俯くだけのしおらしい聖女になったのは――。
「神殿の教育の賜物……ってことかしら」
そう呟いて、リリスは淑女らしくない舌打ちをした。




