65 リリス先生のスパルタレッスン
「おかしい、おかしいわ……!」
公爵邸に帰りつき、リリスはやっと正気を取り戻した。
もぐもぐとイグニスお手製のケーキを頬張りながら、ひたすらに自問自答を繰り返す。
「あの聖女は何なの……? 前は絶対あんな性格じゃなかったのに!!」
一周目の聖女アンネは、儚げな空気を纏う繊細な美少女……とでもいうべき人物だった。
リリスがどれだけ罵っても反論することはなく、ただ悲し気に俯くだけ。
周囲はそれを見て「なんてお可哀そうな聖女様!」と盛り上がり、リリスを悪者にしたものだ。
今思えばもっと立ち回りに気を遣うべきだった。
徐々に周りに「聖女=被害者、リリス=加害者」という図式が出来上がってしまい、元々は聖女がリリスの婚約者であるオズフリートに近づきすぎていたという事実がうやむやになってしまったのだから。
「どういうこと? あれは演技だったの……?」
あのよくわからない方言を喋る芋娘が、しおらしい聖女を演じていたとでもいうのだろうか。
駄目だ。考えれば考えるほどドツボにはまってしまう気がする。
「で、お前あの子の教育係になっちゃったけどどうするんだよ」
「教育係……」
イグニスにそう聞かれ、リリスはやっとそのことを思い出した。
そうだった。いったいオズフリートが何を考えているのかはわからないが、やや強引にアンネの教育係を押し付けられたのだった。
「……いいえ、これはチャンスかもしれないわ」
「チャンス?」
「教育係に就任したからには、合法的にあの子をしばきたおせるじゃない!! ふふ、どんなスパルタ教育を施してやろうかしら……!」
ちょうどいい。一周目の恨みも込めて、びしばしあの芋聖女をしごき倒せてやろう。
それに……。
「さすがに、もうちょっとあの芋っぷりを何とかしてやらなきゃいけないと思うの」
「え、何で?」
「だって……あんな子に負けてすべてを奪われたなんて、信じたくないのよぉぉ……!!」
リリスは力なく目の前のテーブルに突っ伏した。
相手が稀代の聖女だというのなら、まだ彼女に負けてすべてを失ったことへの格好がつく。
敵に不足なし。今度こそ宿敵を出し抜いてやろうと燃え上がるところだ。
だが……その宿敵が、あんな賢さの欠片も見当たらない芋娘だったなどとは、リリスのプライドが許さないのである。
あんなどてかぼちゃ娘を叩きのめしたとしても、爽快感などあるわけがない。
聖女アンネはリリスの宿敵だ。だからこそ、気高く、美しく、知的な倒し甲斐があるような相手でいてもらわなければ困るのだ!
「絶対に認めないわ……。あんな、土臭い田舎者に負けたなんて!! だから、私があの子を私のライバルにふさわしく、洗練された淑女に育て上げて見せるのよ!!」
高らかにそう宣言し立ち上がったリリスに、イグニスはやれやれと肩をすくめた。
イグニスの契約者様は、どうやらまた無意識に本来の目的から逸れつつあるようだ。
とりあえず見守るか……と、景気づけにケーキのおかわりを要求するリリスに従い、イグニスは慣れた手つきでケーキを切り分けた。
◇◇◇
「いーい? 私は厳しいから、バシバシ行くわよ!!」
「ハイッ!」
「まずは都言葉から! 教科書の5ページを開きなさい!」
遂に、リリスによる聖女アンネの教育が始まった。
リリスはこの日の為に、寝る間も惜しんで教育カリキュラムの作成に取り組んでいたのだ。
――何としてでも、この子をどこにだしても恥ずかしくない淑女に育て上げてやるんだから!
この芋娘を、自分の手で競うべきライバルへと変身させて見せよう。
そして彼女が一人前になった暁には……持ちうるすべての手を使って、叩きのめしてやるのだ。
そうしなければ、リリスの復讐は完遂できないのだから。
「まず、私と会った時の挨拶は?」
「おはよごす。リリスさん」
「違う! 『ご機嫌よう、フローゼス公爵令嬢』と言いなさい! 目下の者が許可もなくファーストネームを呼ぶのは、ものすごぉく失礼なことなの! 覚えておきなさい!!」
「おろ~、たげ難すいね。こったの覚えらぃるなんて、リリスさんば賢ぇんだね」
「フローゼス公爵令嬢!!!」
……これは、随分と骨が折れそうだ。
だが、壁が高ければ高いほど、道のりが険しければ険しいほど、達成した時の爽快感は桁違いだろう。
――待ってなさい。絶対に私のライバルとしてふさわしく成長したあなたを、叩きのめしてあげるから!
挑戦的に微笑むリリスに対し、アンネは嬉しそうにニコニコと笑うのだった。