62 未来の約束
――まずいまずいまずい……! このまま突き落とすの!? それとも絞め殺すつもりなの!!?
オズフリートは両腕を回すようにして、背後からリリスの体を抱きしめている。
これは間違いなく、リリスを仕留めるつもりに違いない……!
――こうなったら殺られる前に殺るしかないわ……! 正当防衛!!
ぐっと拳を握り締め、勢いよく背後に肘打ちを決めようとした瞬間――
「……ねぇ、リリス」
いきなり耳元で声がして、途端にリリスはギクリと動きを止めた。
「今日はありがとう。ずっと、君とこの日を迎えるのを楽しみにしていたんだ」
ぎゅっ……と、リリスを抱きしめる腕に力がこめられる。
だが、絞め殺されるようなことはなかった。
リリスを傷つけないように気を付けているのか……彼の腕は、どこまでも優しい。
「また来年……この日に一緒に踊って欲しいんだ」
……嘘だ。来年なんてない。
もうすぐ聖女が現れ、オズフリートはリリスを捨てる。
きっと来年のこの日に、彼は聖女の手を取って楽しそうに踊るのだろう。
反逆者として死んだ、リリスのことなど気にもせずに……。
――そんなの、絶対に許さない……!
オズフリートの腕を振り払うようにして、リリスは彼と向かい合う。
一瞬驚いたような顔をした後に……オズフリートはどこか困ったように笑った。
「……何か、気に障ったかな?」
「未来なんて不確かなもの。来年のこの日に、私とあなたのどちらかが居なくなっているかもしれないのに……そんな約束はできないわ」
オズフリートが聖女の手を取り、リリスを抹殺するか。
リリスがオズフリートと聖女の二人に復讐を遂げるか。
どちらに転んでも、二人そろってこの場に立つことはあり得ない。
挑戦的にそう告げると、オズフリートは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「……リリスは、未来を信じられない?」
「情勢も人の心も、あっさりと変わって行くものです。だから――」
「それでも、僕が君を好きな気持ちは変わらないよ」
真っすぐにそう告げられ、リリスの鼓動は大きく音を立てた。
「ぇ…………?」
「僕の想いはずっと変わらない。でも、未来は変えることができる。だから……賭けをしよう、リリス」
そっとリリスの手を取り、彼は真剣な表情で告げた。
「来年のこの日に、僕と君が二人そろってこうしてここに来ることが出来たら……その時は、また一緒に踊ってくれる?」
……ありえない話だ。
だが、だからこそ……リリスはその賭けに乗ってみたくなってしまった。
「えぇ、よろしくってよ。二人そろって、この場に来ることが出来たら……ですね」
「約束だよ、リリス」
オズフリートがそう言って微笑んだとたん、大広間の方から彼を呼ぶ声が聞こえた。
「済まない、僕は行かなきゃ。君は――」
「もう少し、ここで夜風を感じていたいんです」
「……そうか、気を付けてね。何かあったらすぐに呼んで欲しい」
そう言って、彼はリリスに背を向けてバルコニーを立ち去った。
その姿を見送って、リリスは大きくため息をつく。
――『それでも、僕が君を好きな気持ちは変わらないよ』
「…………嘘つき」
聖女が現れれば、リリスのことなんてあっさりと捨てる癖に。
そう頭でわかっているのに……どうしてこんなに、心がかき乱されてしまうんだろう。
「はぁ~、あの王子様も熱烈だな」
「うひゃあ!?」
いきなり足元から声が聞こえ、リリスはぴゃっとその場で飛び上がった。
バルコニーの下からにょきりと顔をのぞかせたのは……リリスの契約する悪魔、イグニスだった。
「ちょっと! 何でそんなところに居るのよ!!」
「一応あの王子がお前に何かしないか見張ってたんだって! 下に張り付いてたら迫真のラブシーンが始まってどうしようかと思ったわ」
よいしょ、と手すりを乗り越えるようにして、イグニスはリリスのすぐ横に降り立った。
「……ふん! どうせあんなの口からの出まかせよ!!」
ここが暗くてよかった。きっと今のリリスの顔は、赤く染まっているだろうから。
まぁ、この悪魔にはお見通しなのかもしれないが。
「……そろそろ信じてあげてもいんじゃね? あの王子様も、今はお前に夢中なんだよ」
「信じられるわけないじゃない。それに……もしそうだとしても、すぐに心変わりするに決まってるわ」
リリスははっきりと覚えている。
もう、残された時間は少ないことを。
社交界デビューのちょうど一週間後……この国を揺るがすような出来事が起こるのだ。
「一週間後……聖女降臨の神託が下るの」
そう告げると、イグニスが驚いたように目を丸くした。
「……いよいよ、復讐劇の本番がやって来るわ」
これで役者はそろう。
オズフリートとの賭けは……リリスの勝利に終わるだろう。
――……大丈夫。私はやれる。
迷う心に蓋をして、リリスは憎たらしいほど美しい夜空を眺めた。