5 油断ならない王子様
「来ていたのなら、声をかけてくれればよかったのに。今日はどうしたの、リリス?」
リリスの目の前までやって来たオズフリートは、爽やかな笑みを浮かべてそんなことを口にした。
屋外の日の光に照らされて、眩い金髪がいつも以上に輝いて見える。
彼に会うのは、婚約式の日以来数日ぶりだ。
練習用とはいえ彼の手が剣を握っているのを目にして、リリスはひっと息を飲む。
――おおお落ちついて、落ち着くのよ、私……!
ここで動揺すれば負けだ。
……思い出せ、あの屈辱の日々を。
何としてでも、目の前の裏切り者を地獄に突き落とすと誓ったではないか……!
「失礼いたしました、オズフリート王子殿下」
その時、すぐ隣にいたイグニスが丁寧に跪きそんなことを口にしたので、リリスは呆気に取られてしまった。
リリスの前では舐め腐った態度の彼だが、どうやら演技力はそれなりのようだ。
「……君は?」
「フローゼス公爵家にお仕えする、イグニスと申します。リリスお嬢様がどうしても殿下にお会いしたいとおっしゃるので、こうして馳せ参じた次第です」
「ちょっ……!」
さすがは悪魔。王子の御前でも堂々と嘘をついてみせるとは。
リリスは思わずイグニスを睨んだが、逆に「話を合わせろ」と目線で訴えられ言葉に詰まってしまう。
「えっと、その……」
リリスはなんて言っていいのかわからずに、俯いてもごもごと言葉にならない言葉を繰り返す。
それがいけなかった。
「殿下、お嬢様は婚約式の日からずっと殿下のことばかり口にされていて、今日も一目だけでもお会いしたいと、決して殿下の邪魔はしないからと健気なことをおっしゃられまして――」
――……は? 何言ってんの?? まさかこいつ、この状況を楽しんでない……!?
リリスが黙っているのをいいことに、イグニスは「婚約者に恋い焦がれながらも、恥ずかしくて声を掛けられないお嬢様」という、ありもしないストーリーを吹聴し始めたのだ。
「どうか、どうか……陰から見守っていたお嬢様のいじらしいお心をご理解ください……!」
「あらあらぁ~」
「まぁまぁ……!」
イグニスのほら話はどんどんヒートアップしていく。
状況を見守っていた城の者たちも次第にニヤニヤし始めてしまった。
リリスは怒りと羞恥から顔を真っ赤に染めたが、残念ながら周囲の者たちからは「大好きな婚約者に会えて恥じらう公爵令嬢」としか映らなかったのである。
――こっ、こんな恥辱は初めてだわ……!
「……リリス」
オズフリートに小さく名を呼ばれ、はっとしてリリスは彼の方へと視線を戻す。
その途端、仰天してしまった。
彼は今までに見たことがないくらい嬉しそうに、キラキラと目を輝かせているではないか。
「僕も、僕も君に会いたかったよ!」
「……ぇ?」
「あと少しで訓練も終わるから、一緒にお茶にしよう。先にリリスを案内してもらえるかな」
「かしこまりました。フローゼス公爵令嬢、こちらへどうぞ」
「あっはい……」
……どうしてこうなった。
まさか「もう帰ります」とも言えず、リリスはおとなしく侍従に先導されるまま城の中を進んでいく。
内心今すぐ逃げ出したくてたまらなかったが、公爵令嬢のプライドが逃亡を許さなかったのだ。
「俺のおかげで窮地を脱出できただろ。感謝しろよ?」
ニヤニヤとからかうようにイグニスがそう囁いてきたので、リリスは誰も見ていない隙に、思いっきり彼の脇腹に肘打ちをお見舞いしてやった。
◇◇◇
……何故だろう。どこか、おかしい気がする。
王子宮の応接間にて、リリスは警戒心を胸に秘めたまま、こっそり目の前のオズフリートを観察していた。
さすがは王族というべきか。優雅な仕草でティーカップを口に運ぶ様などは、それだけで絵画になりそうなほどに美しい。
「……僕の顔に何かついていたかな?」
「いえ、いつもながらに素敵なお顔ですわ」
こっそり盗み見ていたつもりだったが、オズフリートにはバレバレだったようだ。
慌てて誤魔化しながら、リリスは視線を手元のティーカップ落とす。
――嘘は、言っていないもの。
オズフリートの顔面偏差値が高いのは事実だ。
リリスも彼の顔は好きだった。何といっても、見ていると目の保養になる。
――それにしても……オズ様って、前からこんなに落ち着いてたかしら……?
今の彼は十歳の少年だ。
精神年齢十五歳のリリスから見れば、まだまだお子ちゃまなのである。
そのはずなのに……目の前の王子はどこか「大人の余裕」のような空気を醸し出していた。
――なにこれ、これが王族パワー? でも、昔のオズ様ってもっとおどおどした感じじゃなかった?
かすかな違和感に、リリスは首を傾げた。