55 春告祭の夜
夕方になると人々は王宮前の広場に繰り出して、いよいよダンスパーティーの幕開けとなる。
最初に踊るのは、天の王と花嫁役を務めるオズフリートとリリスの二人だ。
「いつもの堅苦しいダンスとは違うんだ。気楽にいこう」
「あら、私が失敗するとでも思っていらっしゃるのですか?」
「いいや、君の踊りは綺麗だから。君に見惚れてしまう僕の方が危ないかもしれないね」
そう言って嬉しそうに笑うオズフリートを見ていると、また殺意が高まってきてしまう。
――お世辞! お世辞!! 油断してるとグサッとやられちゃうわ!!
気がつけばふにゃふにゃになりそうな体を叱咤して、リリスはキリっとした顔つきを意識しながら辺りを見回した。
コンディションを確認する音楽隊に、花をあしらった衣装を身に着け楽しそうに笑う人々。
その中にキラキラと目を輝かせてこちらを見つめるレイチェルと、そんな彼女の方をちらちらと窺うギデオンの姿を見つけ、リリスはくすりと笑ってしまう。
「ふふ、あの様子だとまだギデオンはレイチェルを誘えていないようね」
「うかうかしていると他の者に先を越されてしまうかもしれないね。今日は誰を誘っても自由な日だから」
春告祭の舞踊はもともと庶民の豊穣を祝う祭りから発展したものであり、そこには貴族たちの開く舞踏会のように、厳密なルールやマナーは少ない。
この機に乗じて意中の相手に近づこうとする者も、少なくはないようだ。
「リリス。いくら婚約者の僕でも、今日の君の行動を制限することはできない。でも……」
オズフリートはそこで一度言葉を切ると、ひどく真面目な顔つきでこちらを見つめた。
「でも……できればいつも僕のことを一番に考えて、忘れないで欲しい」
夕日に照らされて、彼の瞳がいつもとは違う色合いで揺れている。
リリスの鼓動が、またとくりと音を立てた。
――忘れたりなんて、するわけないじゃない……。
リリスはいつだって、オズフリートのことを一番に考えている。
だって彼はリリスの……最大の復讐相手なのだから!!
「オズ様、私はいつだって……オズ様のことを一番に考えておりますわ」
――ちなみに二番目はあのにっくき聖女よ! いつか二人まとめて地獄を見せてやるんだから!!
そんな思いを込めてにっこり笑って見せると、オズフリートはそっとリリスの手を取った。
「……ありがとう、リリス。僕も、いつも君のことを考えてるよ」
「そ、そうなんですか……」
お世辞にしても嬉しくない情報だわ……と笑みをひきつらせるリリスを見て、オズフリートはくすりと笑う。
「それじゃあ、始めようか!」
彼の合図とともに、普段王宮で演奏されるような優雅なワルツとは違う、力強いリズムが刻まれ始める。
スカートを翻しながら踊るような、大胆な動きを交えたダンスを、リリスはオズフリートと共に舞っていく。
――あれ、オズ様ってこういうダンスは苦手だったはずなのに……。
今の彼は、一周目で見た時よりもずっと軽やかに、そして楽しそうにステップを刻んでいる。
その反応を不思議に思いながらも、徐々にリリスの気分も高揚していった。
――何でだろう……すごく、楽しい!
一周目の世界では、春告祭の舞踊でこんな風に気分が高揚することはなかった。
オズフリートは明らかに嫌そうにリリスの相手をして、一曲踊るとすぐにどこかへ行ってしまっていたのだから。
極めつけは、彼と聖女が「天の王」と「天の花嫁」に選ばれ踊る様子を、惨めな気分で見ていることしかできなかったあの瞬間だ。
あの時の屈辱を忘れることはない。
――でも今は、今だけは……少しくらいこの時間を楽しみたい。
リリスはそんなことを思い始めていた。
ひらりと跳んで、くるりと回って、手を取り合って。
憎き仇敵であるはずの相手と踊るのが……こんなに心地いいなんて!
やがて曲が終わり、見守っていた者たちも各々パートナーの手を取って広場の中央へと進み出てくる。
――私もいったん休憩して、誰かに誘われたらまた踊れば――
そんな風に考え、踵を返しかけたリリスの手を、オズフリートが強くつかんだ。
驚いてオズフリートの方を振り返るリリスに、彼はにこりと笑って告げる。
「もう一曲、一緒に踊らないかい?」
「え、でも……」
「二曲続けて同じ相手と踊ってはいけない、なんてルールはないだろう?」
――それはそうだけど……。
普通いろいろな相手と踊るものじゃないの?……と思案するリリスは、不意に強く腕を引かれオズフリートに抱き寄せられる。
いったい何なのかと顔を上げれば、彼はどこか睨むような剣呑な……それでいて挑戦的な瞳で、リリスの背後を見つめていた。
何かあったのかしら、と振り返ると、リリスたちと同じくらいの貴公子が数人、顔をひきつらせて退散していくのが見えた。
「ほら、曲が始まるよ」
「あっはい!」
いったい彼らは何だったのかしら……と考える間もなく、リリスは再びリズムに合わせて踊り始める。
曲の途中……くるりとターンし、背中を反らすように上空を見上げた時に、上空にふわふわと色とりどりの光が舞っていることに気が付いた。
「見てください、オズ様!」
「あれは……春の精霊だね」
まるで蛍の大群のように、色とりどりの光を放つ精霊は、ふわりふわりと王都の空を舞っている。
その幻想的な風景に、集まった人々から歓声が上がった。
「……僕たちの手抜きの祈りでも、通じたみたいだね」
耳元でそっとそう囁かれ、リリスは声を上げて笑ってしまった。
――今日だけは、復讐のことは心の奥に仕舞っておこうかしら。
オズフリートのしたことは決して許せない。
何としてでも、リリスは彼に復讐を遂げなくてはならない。
だけど……今、この時間だけは、素直に楽しんでも罰は当たらないだろう。
祭りの空気にあてられ、うっかりそんなことを考えてしまったリリスは、そっとオズフリートの手を握り返した。