53 次の日の朝
「おはよう、リリス」
「ギャー!!!」
翌朝、起きた途端に仇敵の顔が視界いっぱいに広がったものだから、リリスは自分でも驚くほどの大声で叫んでしまった。
だが仇敵オズフリートは、リリスの鼓膜を突き破るような絶叫にも動じずに、いつものようにニコニコと笑っていた。
「ふふ、リリスは朝から元気だね」
「あの……どうしてオズ様がここに?」
「あれ、覚えてない? 昨日のこと」
「んん?」
きょろきょろとあたりを見回せば、ここは見慣れた自分の部屋ではない。
そこでやっとリリスは、昨晩の出来事について思い出した。
――聖神殿にやって来て、魔物に襲われて、オズ様の部屋に連れてこられて……。
「私……寝ちゃってました!?」
「ぐっすりとね。可愛い寝顔だったよ」
――ひいぃぃぃぃ……!! いくら疲れてたとはいえ、あの状況で寝ちゃったの!!?
今更ながら昨夜の危機的状況を思い出し、リリスは戦慄した。
それにしても、オズフリートの傍で一晩過ごしたなどとは信じられない。
――私ちゃんと生きてる? 寝てる間に息の根止まってたりしないよね!!?
胸に手を当てると、ちゃんと心臓は動いていた。
そうしているうちに、ちょこんとソファに座っている黒いうさぎのぬいぐるみが目に入る。
「あっ、イグ――私のぬいぐるみ!!」
慌ててベッドから這い出し、リリスはぬいぐるみを抱き上げた。
昨晩と同じく傷一つない状態だ。その様子を見て、リリスはほっと安堵のため息を漏らす。
すると、コンコン、と部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「……オズフリート王子殿下、フローゼス公爵令嬢、よろしいでしょうか」
その途端、オズフリートの瞳に剣呑な光が宿ったのにリリスは気づいた。
おそらく彼の怒気が向けられる先は自分ではないが……それでも恐ろしいのだ。
「……リリスはここにいてくれるかな。僕が話をつけてくる」
「えっ……?」
有無を言わせぬ口調で、そう告げたオズフリートは扉を開いた。
扉の向こうにいたのはこの聖神殿に仕える神官のようだ。
どうやらオズフリートとリリスの二人に出てきて欲しい、というようなことを言いに来たらしいが、オズフリートは珍しく強い口調で拒否している。
「昨晩あんなことがあったのにのこのこと出て行けと? ろくに安全確保もできない場所にフローゼス公爵令嬢を向かわせるわけにはいかない。神官長に伝えろ、迎えが来るまで僕たちはここを動くつもりは無いと」
神官はオズフリートの剣幕にすっかり圧されているようだ。
結局、朝食をここに運ぶように命じられ、神官はぺこぺこと退散していった。
「……ということだから、迎えが来るまでゆっくりしようか」
こちらを振り返ったオズフリートは、先ほどまでの態度が嘘のように穏やかな空気を纏っていた。
その切り替えの早さに、リリスは舌を巻く。
ぽつぽつとぎこちない会話を交わしているうちに、先ほどの神官が朝食を運んできてくれた。
相変わらずの精進料理だが、昨晩散々走り回ってお腹は空いている。
軽く食前のお祈りを済ませ手を付けようとすると、慌てたようなオズフリートに止められた。
「待って、先に僕が食べてもいいかな?」
そう言うやいなや、オズフリートはリリスの返事も待たずに食事に手を付け始めた。
常に礼儀正しい彼が食前の祈りも省略するのは珍しい。
ぽかんとするリリスの前で、オズフリートは全ての料理に手を付け、得心がいったように頷いている。
「……大丈夫。おかしな物は入っていない」
「えっ……まさか毒見を!? こういうのは普通臣下の私がするべきじゃないですか!!?」
勿論仇敵の為に毒見などしてやるつもりはないが、あくまで一般常識としてリリスはそう口にする。
すると、オズフリートは困ったように笑った。
「……僕は昔から鍛えられてるから、多少の毒なら問題ないんだ。それよりも、君の身にもしものことが起こる方が……ずっと辛い」
「…………ソウデスカ」
朝っぱらから見事なリップサービスね……と、リリスは俯いた。
少しだけ鼓動が早まったのは、また殺意が高まってしまったのかもしれない。
食事が終わっても、オズフリートは宣言した通りに部屋から出ようとしなかった。
当初のスケジュールでは今頃はまた昨日のように祈りを捧げる時間のはずだが、どうやら行かなくてもいいようだ。
「昼前には迎えがやって来るはずだから。それまでの我慢だね」
「……でも、意外です。オズ様って、こういった国事の遂行は何よりも優先するかと思っていたのに」
「僕は優先順位はきちんとつける方なんだ。君の身が危険に晒される可能性があるなら、こんな祈りなんて……いや、春告祭だってなくなっていい」
「でも、そうなったら春イチゴのチーズケーキが食べられません」
お腹がいっぱいでうとうとしていたリリスは、思わず心のままにそう口にしてしまった。
すると、オズフリートはおかしそうに笑う。
「……そうだね。無事に春告祭が開催される運びとなったら、君の為にとびっきりの春イチゴのチーズケーキを用意しよう」
「楽しみに、してますね……」
ふあぁ……と欠伸を噛み殺したところで、部屋の外がにわかに騒がしくなった。
どうやら、やっと迎えがやって来たようだ。
「ほら、帰ろう。リリス」
「はい、オズ様」
イグニスを腕に抱いたまま、リリスは彼の手を取った。