52 愛でも殺意でも
『まぁ、くよくよすんなよ。済んだことはもうどうにもならないから仕方ないだろ』
「……軽いな、君は」
イグニスが軽く告げた言葉に、顔を上げたオズフリートは苦笑した。
やはりその表情は、数え切れない苦労を重ねてきた大人のようだった。
『……で、あんたは何とかして時空を捻じ曲げて過去にやって来て、今度はリリスを殺さないように頑張ってるってことなのか』
「端的に言えば、そうだね」
『何がどうすればそんなことができるんだよ』
「……勘違いしないでくれ。僕は君を信用したわけじゃない。僕の大切なリリスの魂を狙う悪魔に、簡単に手の内を明かすとでも?」
『じゃあなんで俺のこと放置してるんだよ』
「敵の敵は味方……ってことだよ」
前髪をかき上げたオズフリートが、小さく息を吐く。
「時間を戻す前の世界で……僕は敵の術中にはまり、誰よりも守りたかったリリスを失った。もう……同じ過ちは繰り返さない。その為なら、悪魔の手だって借りたいんだ」
『その敵っていうのは誰なんだよ。リリスみたいなことは言いたくねぇけど……未来を知ってるあんたの立場なら、先に処刑するなり投獄するなり左遷するなりできるだろ』
「敵が、人間なら……ね」
その言葉に、イグニスは思わずオズフリートを見返した。
彼は感情の読めない瞳で、じっと虚空を見つめている。
『……俺と同じ、悪魔ってことか』
「それなら、まだ良かったんだけどね。君のような奇行種はともかく、大体の悪魔の行動パターンは読みやすい。破滅させるのは容易いよ」
『んん……?』
さりげなく奇行種扱いされたことは置いておいて、オズフリートの言う「敵」とやらは人間ではなく、悪魔でもないらしい。
と、言うことは……。
『まさか、その敵って……』
「この国を守護する『天使』だ」
オズフリートの告げた言葉に、イグニスはうげっと顔をしかめたくなった。
「うわ、まじかよ……」
天使とは悪魔と対をなす存在。ある意味天敵だと言ってもいい。
さらに厄介なことに、天使は自ら姿を現すことは少ない。
預言や憑依といった方法で、遠隔的に人間に干渉してくるのだ。
「天使は多数の人々にとって、最大公約数的に幸福な世界を作り上げようとしている。だけど、それは必ずしも万人の幸せにつながるとは限らない」
『…………? ごめん、もうちょっと簡単に言ってくれ』
「1人を犠牲にして99人が幸福に生きられるのなら、ためらいなく1人を犠牲にするんだ」
『……その1人に選ばれたのが、リリスだったのか』
「リリスであり、僕でもある。それにあの子も……。とにかく、僕は天使の意向には従えない、従いたくはない。だから……今度こそは、奴を出し抜いて見せる」
そう言い放ったオズフリートの目は、今までに見たことのないくらいに鋭かった。
復讐を語るときのリリスの目とよく似ている。
案外この二人は似た者同士なのかもしれないと、イグニスは少し愉快に思った。
『……リリスには、話さないのか』
「リリスは直情的だからね。このことを知ればすぐに無謀な行動に出て、時間の戻る前の二の舞になってしまう」
『……だろうな』
「天使のせいで私があんな目に遭ったですって!? 今すぐ神殿を焼き討ちしてやるわ!」などと突っ走って、またあっけなく命を落としてしまうかもしれない。
安易に想像できてしまう未来に、イグニスは苦笑した。
『でも、リリスはあんたのこと滅茶苦茶恨んでるぞ。それこそチャンスがあれば殺そうとするくらいに。それでいいのかよ』
「僕のせいでリリスが命を落としたのは事実だ。彼女がそう思うのは当然だよ。僕も……すべての脅威が消えたうえで、その時リリスが僕に復讐を遂げたいと望むのなら……甘んじて受け入れる覚悟はある」
『……え?』
「でも、今はまだリリスに殺されるわけにはいかない。僕が死んでしまったら、リリスを守れない」
自分を殺そうとしている相手を命がけで守るなどと、まったくファンキーな奴だ。
この王子もリリスに負けず劣らずイカレているのかもしれない
「それに……リリスが一番復讐をしたい相手は僕なんだろう」
『まぁ、今のところはそうだな……』
「それが愛情であれ憎悪であれ、リリスから強い感情を向けられるのは、僕にとって何よりの幸福なんだ」
そう言って嬉しそうに笑うオズフリートに、イグニスは背筋に寒気が走ったような気がした。
駄目だこいつ。早く何とかしないと……。
「おそらく天使が動きを見せるのは数年後、聖女降臨の神託からだ。それまでに僕は、リリスの立場を盤石なものにして見せる。天使の妨害ごときで揺らがないほどに。だから、しばらくの間は手を組もうじゃないか、イグニス」
そう言い放ったオズフリートは、有無を言わせぬ圧力を放っていた。
ここで「嫌だ」などと言おうものなら、一周目の時のように即座に消滅させられそうなほどには。
『……イエス、ユアハイネス』
「君には期待しているよ。くれぐれも……僕のリリスをよろしく頼むよ」
イグニスはちらりとリリスが眠るベッドの方へ視線をやった。
すぅすぅと穏やかな寝息を立てるリリスは、最大の復讐相手がどれだけ自分に執着しているかも知らずに、穏やかな夢の中で微睡んでいるようだった。




