47 ネクロノミコン
祈りの時間が終わると、もう夕方になっていた。軽く休憩し、いよいよ夕食の時間がある。
不可侵の聖神殿では、いったいどんな食事が出るのだろう。
わくわくしながら待っていたリリスだが、出された料理を見てショックを受けた。
テーブルに並んだのは、野菜ばかりの質素な食事だったのだ。おそるおそる口にすると、味付けも極めて薄い。
もちろん、デザートもなかった。
――そんな……これだけが楽しみだったのに!!
あからさまに気落ちしたリリスを気遣ってか、途中でオズフリートがこっそりとリリスの苦手なピーマンを食べてくれた。
まったく、怨敵に借りを作ってしまうとは。リリスは自身の不甲斐なさを歯噛みした。
積もり積もったイライラは、夕食が終わりリリスが宛がわれた寝室へ入った瞬間に爆発したのである。
「はぁ、許せない。公爵令嬢たる私にあんな粗食を食べさせるなんて……私を舐めてるのよ!」
『いや、神殿の食事ってあんなもんなんじゃないか? 質素倹約な精進料理みたいな』
「でも神殿の上層部の奴らは、いつもいいお肉を食べてるのよ! もちろんデザートも! 私知ってるんだから!!」
一周目の人生で、リリスは神殿に仕える者たちが腐敗しきっているのを知っていた。
だから彼らの崇める聖女とやらも、最初から信用ならなかったのだ。
「あー、思い出したらむかむかしてきたわ……!」
ベッドの上でじたばたと暴れながら、リリスはぎゅっと枕を抱きしめる。
元々、神殿の関係者にいい印象は持っていなかった。
神殿関係者はそれすなわち、一周目でリリスと敵対した「聖女派」の中核を担う者たちなのだ。
奴らが狡猾な策を弄してくれたせいで、リリスは破滅の運命を辿ることになってしまった。
「……復讐を、しないと」
リリスの胸に宿る復讐の炎が勢いを増す。
むくりと起き上がったリリスは、傍らに転がっていたぬいぐるみ状態のイグニスを引き寄せる。
「ちょっと後ろのボタン外すわよ」
『優しくしてね……♡』
「黙りなさい。今私は機嫌が悪いの」
わざと乱雑に背中のボタンをはずすと、イグニスはもっと丁寧に扱えと喚いていた。
彼の要求を無視し、ぬいぐるみの繊細な内部に手を突っ込む。
『うぐ……内臓かき回されてるみたいで気持ち悪ぃ……』
「嫌なたとえはやめて!」
がさごそと中を探ると、指先がお目当ての物に触れたので、そのままえいやっと引っ張り出す。
果たしてリリスの手に握られていたのは……先の誕生日でレイチェルがくれた曰く付きの魔導書――ネクロノミコンと、ギデオンがくれたナックルだった。
イグニスの内部に隠して持ち込んだのが、上手くバレずに済んだのだ。
「ふふーん、持ち込み成功! これで魔獣でも召喚して、神殿をめちゃくちゃにしてやるんだから!」
『うわぁ……』
引き気味のイグニスをよそに、鼻歌を歌いながらページをめくる。
さすがはいわくつきの魔導書と言うべきか、中々他ではお目にかかれない術が記載されているようだった。
「恐怖を与える、記憶を薄れさせる……魚を呼び寄せるなんてのもあるわ」
『ふーん、よかったな。明日の朝食には魚が出るかもしれないぞ』
パラパラとページをめくっていたリリスは、やっと召喚の項にたどり着いた。
「見て! こんなにたくさん、召喚呪文が載ってるわ!」
『やるなら簡単なのにしとけよ~。収拾つかなくなったら困るからな』
「星の精の召喚……これにしようかしら」
『よしよし、それでいこう』
よじよじとリリスの膝の上によじのぼり、イグニスは安堵した。
リリスは魔力が低く、コントロールも雑だ。うっかり変なモノを召喚してしまえば、扱いきれずに大変なことにならないとも限らない。
その星の精とやらがどんなものなのかは知らないが、名前の響きからして、手のひらサイズの妖精とかそんなところだろう。
きっと召喚しても、可愛いダンスを披露してくれるとかその程度の存在なのだろう。
可愛い物に弱いリリスのことだ。星の精の可愛いダンスを見て、機嫌を直して寝てくれればそれでいい。
復讐に燃えるのは大いに結構だが、彼女の向こう見ずなところにイグニスはひやひやさせられっぱなしだった。
だが安心しかけていたイグニスの耳に、とんでもない言葉が飛び込んでくる。
「えっと……星の精は多数の触手を持ち、鋭い大きな鉤爪が生えて――」
『ちょっと待てぇぇぇ!!』
イグニスは慌てて制止しようとリリスの腕に飛びついた。
『そんな気持ち悪いの絶対呼ぶなよ!』
「何でよ! 星の精を召喚して神殿の奴らにけしかけるんだから!!」
『こういうのはだいたい最初に召喚した奴に襲い掛かって来るのがセオリーなんだって!』
「てぃび まぐぬむ いのみなんどぅ――」
『やめろぉぉ!!』
えいやっとジャンプして、イグニスはリリスの手から魔導書をはたき落した。
「ちょっと、何するのよ!」
『ほら、お子様はもう寝ろ! 子守歌うたってやるから!』
「やだ! オズ様が襲撃してくるかもしれないし、先に打って出てや――」
魔導書を拾おうと腰を上げたリリスが、窓の方を向いて固まった。
その表情は、珍しくひきつっている。
『おい、どうした』
「窓に! 窓に!!」
『はぁ? 何ふざけて――』
くるりと体ごと窓の方を向いて、イグニスはリリスの反応の意味を悟った。
寝室の窓の外に、真っ黒な影が張り付いていたのだ。




