44 うさちゃんのぬいぐるみ
あっという間に、オズフリートと共に聖神殿に籠る日がやって来てしまった。
リリスは死地に赴く戦士のような心持ちで、迎えにやって来た神殿の者たちと対峙する。
「天の花嫁という栄誉ある役目を仰せつかったこと、誠に誇らしく思います。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします」
リリスが優雅に礼をすると、集まった者たちは「さすがは公爵令嬢だ」とでも言いたげな感嘆のため息を漏らした。
それに機嫌を良くしながら、リリスは父にしばしの別れを告げ迎えの馬車に乗り込もうとする。
だが、その寸前に一人の神官に呼び止められた。
「あの、フローゼス公爵令嬢。大変申し上げにくいのですが……そちらのお荷物も、置いて行ってはいただけないでしょうか」
……やはり、目についたか。
神官の言葉に、リリスはわずかに肩を跳ねさせた。
だが動揺を表に出さないように息を吸い、堂々たる態度で顔を上げる。
「何故、でしょうか」
「聖神殿はわが国でも有数の聖域となっております。穢れを持ち込まないようにするため、外部からの荷物の持ち込みは最小限とさせていただいております。生活に必要なものは全て神殿に用意してありますので……その、ぬいぐるみも……置いていくようにお願い申し上げます」
――くっ、ここで引っかかるなんて……!
丁寧に告げられた言葉に、リリスはぎゅっと胸元に抱いたぬいぐるみを抱きしめる。
真っ黒なもふもふの毛と真っ赤な瞳がキュートな、丸々した愛らしいうさぎのぬいぐるみだ。
リリスは、どうしてもこのぬいぐるみを置いていくことはできなかった。
このぬいぐるみは、リリスがオズフリートと対峙する際の最後の命綱となるのだから。
――なんとしてでも、ぬいぐるみの持ち込みを認めさせないと……!
これは生きるか死ぬかの戦いだ。はいわかりましたと退けるわけがない……!
リリスは真っすぐに神官を見つめ、ゆっくりと口を開く。
「何故、ぬいぐるみを持ち込んではいけないのでしょうか」
「えっ?」
「神殿の規律なのでしょうか。確認したいので、その記述が載せられた条項をご教示頂けますか」
「いやあの、ですから穢れが……」
「穢れ? 穢れですって? こんなに可愛いぬいぐるみが穢れているとでも? まさかこのうさちゃんが、悪魔の化身だとでもおっしゃるつもりですか!!」
「め、滅相もない!!」
いきり立つリリスに、神官はタジタジとなっている。
よし、いける!……と手ごたえを感じたリリスは、更に畳みかけた。
「私がぬいぐるみなしでは寝られないのをご存じでしょうか!」
「いや、初耳です!!」
「うぅ、皆の前でこんなに恥ずかしい秘密を暴露しなければならないなんて……」
さめざめと泣くふりをすると、神官たちはあからさまに慌てだした。
――よし、あと一歩ね!!
「あぁん、パパ~」
「よしよし、頑張ったな、リリス」
甘えるふりをして父に泣きつくと、彼はデレデレとリリスの頭を撫でてくれた。
「神官殿。規律を守るのも結構だが、リリスはまだ11歳の子どもなのだ。早くに母を亡くしたせいか甘えたで……何も邪教の術具を持ち込もうというわけじゃない。ぬいぐるみの一体くらい、大目に見てはいただけないだろうか」
娘に激甘な父は、リリスの狙い通り権力者にあるまじき、モンペ丸出しのごり押しを始めた。
見る限り、ここにいる神官たちは下っ端ばかりなのだろう。
宮廷魔術師でもある公爵に、一神官が逆らえるはずもない。あっけなく、彼らは白旗を上げた。
「……承知いたしました。公爵令嬢、そちらのうさちゃんもご一緒にどうぞ」
「まぁ、ありがとうございます! それと……私がぬいぐるみなしでは寝られないことは、ここだけの秘密にしてはいただけないでしょうか……」
照れたふりをしてそう口にすると、父も神官たちも微笑ましげに顔をほころばせる。
「勿論です、公爵令嬢!」
「この秘密は絶対に口外いたしません!」
「ふふ、絶対にですよ? それでは、行ってまいります、お父様!」
正式にぬいぐるみの持ち込みを許可され、リリスはウキウキと神殿が手配した馬車に乗り込む。
ゆっくりと馬車が動き出し、見送る父や屋敷の使用人の姿が遠くなっていく。
「…………ふぅ」
膝の上に抱えていたぬいぐるみを撫で、リリスは安堵のため息を零した。
「危なかったぁ~」
『ほんとにな。しかし案外バレないもんだな』
「神殿の奴らの実力なんてその程度なのよ。あの泥棒猫を聖女だなんて崇めるくらいなんだもの」
ぬいぐるみのもふもふした感触を楽しみながら、リリスはにやりと笑う。
「そういうことだから、ちゃんと私を守るのよ。イグニス!」
リリスが無理を言って持ち込んだぬいぐるみ――何とか神官の目は欺けたが、その実……まごうことなき悪魔の化身なのだった。