41 やっぱりリリス様はすごい!
がたごととリズムよく、馬車は進んでいく。
窓の外の景色が徐々に王城に近づいていく様を眺めながら、リースリー侯爵令嬢レイチェルは大きく深呼吸をした。
――せっかく招待していただいたのだから、今度は粗相のないようにしないと!
つい数か月前までほとんど引きこもり状態だったレイチェルは、何と本日、我がセレスティア王国の第一王子、オズフリート主催の音楽会へと招待されていた。
今までのレイチェルだったら招待状が届いた時点で恐れおののき、蛇に睨まれたカエルのごとく怯え、ストレスと緊張で体調を崩し欠席していたことだろう。
だが、今は違う。
レイチェルには大好きなリリスを女官になって支えるという、大きな目標ができたのだから。
知見を広める機会を、無駄にするわけにはいかないのだ。
――リリス様も今日の音楽会で曲を披露されるとおっしゃっいたけど、楽器の演奏をされるのかしら。それとも、歌を披露されるのかしら……?
レイチェルは今まで、リリスがそう言ったものを披露する場に居合わせたことはなかった。
聞くところによると、リリスはかなり独特の音楽センスを持っているのだとか。
――きっと、素敵な曲を披露されるに違いないわ……!
期待に胸を膨らませながら、レイチェルは緊張気味に息を吸う。
「独特の音楽センス」が何重にもオブラートに包まれた表現であることを、この時のレイチェルは知る由もなかったのである。
◇◇◇
「お、王国の暁の君、オズフリート王子殿下。本日はお招きいただき大変光栄に存じます」
少し声が震えてしまったが、今までの自分に比べたらうまくできたと言える方だろう。
レイチェルがおっかなびっくり挨拶と感謝を述べると、本日の主催者――オズフリートは優しげな笑みを浮かべた。
「こちらこそ、君に会えて嬉しいよ、レイチェル。リリスも喜――」
「あ、レイチェル!」
言葉の途中で、バタバタと向こうからリリスが駆けてくるのが目に入る。
憧れの人の姿を目にして、レイチェルの鼓動は高鳴った。
長い間ずっと遠くから眺めているだけだった、レイチェルの憧れの気高く美しい公爵令嬢。
今はこんなに近くで声をかけてもらえるなんて、一年前の自分に話してもきっと信じてはもらえないだろう。
「ふふっ、今日の私は一味違うわよ? しっかりと見て聞いて頂戴」
「はいっ、楽しみです!!」
自信満々に胸を張るリリスに、レイチェルの期待は膨らんでいく。
強い信念を持ち、常に堂々とした態度で、自分の道を突き進むリリス。
嫉妬からやっかみを言われることがあっても、レイチェルのように卑屈になって逃げだしたりはしない。どんな状況でも凛とした態度を崩さず、時には華麗にやり込めてしまう。
いったい今日は、どんなに素敵な姿を見せてくれるのだろうか。
「あんまり調子乗りすぎると後で恥かくぞ」などと従者にたしなめられているリリスを眺めながら、レイチェルは静かに微笑んだ。
◇◇◇
――さすがは上流貴族の集まり……。皆さまレベルが高すぎるわ……!
本日のオズフリート主催の音楽会に集まった者たちは、レイチェルと同年代の、上位貴族の子どもたちが多い。
奏楽や歌唱は貴族の嗜みの一つ。更には王族主催の場ということで、皆少しでもオズフリートの目に留まろうと気合を入れているのが、痛いほど伝わってくる。
――私も、負けられません……!
レイチェルが目指している王妃付き女官は、様々な教養が求められる非常に狭き門なのだ。
きっとここに集まる他の令嬢たちの中にも、王妃付き女官の座を狙っている者は多いのだろう。
……負けられない、負けたくない。
レイチェルはぎゅっと膝の上に乗せた手を握り締めた。
「次はわたくしの番ですわね」
堂々と立ち上がり進み出たリリスに、レイチェルは自分の鼓動が早くなったのを感じた。
この国の流行だけでなく、他国の流行をも取り入れた他者とは一線を画す粋な装い。
「フローゼスの雪白姫」と名高い彼女は、その立ち姿だけで見る者を圧倒するパワーを秘めていた。
――楽器は持っていらっしゃらないから……リリス様は歌を披露されるのかしら!
レイチェルの想像通り、皆の前に立ったリリスは一礼すると、大きく息を吸い力強く歌い出す。
「ずっとこの時を~待っていたの~」
生命力に満ち溢れた、感情の籠った美しい歌声だ。
だが……。
――あれ、今音程が外れた……? いいえ、きっと私の知らない異国の歌唱技法なのよ!!
どこか調子はずれのようにも聞こえるメロディも、他国の文化に詳しいリリスのことだ。
きっと、レイチェルの知らない異国の文化を取り入れた斬新なメロディに決まっている。
「許してなんて言っても~もう遅いのよ~」
しかし周囲はリリスの先進的な歌唱法を理解できないのか、「けっこう下手じゃない……?」というような不穏な空気が漂い始めてきている。
――ど、どうしよう……。このままじゃリリス様の評判が……!
リリスの歌が下手なのではない。レベルが高すぎて、周囲がついていけていないのだ。
何とかそう説明したかったが、弱気で口下手なレイチェルが出しゃばっても事態を悪化させてしまうだけになるかもしれない。
だが、おろおろと焦っていたレイチェルの前で、すくっと立ち上がり場の空気を変えてしまう者がいた。
誰であろう。リリス・フローゼス公爵令嬢の婚約者――オズフリート王子殿下である。
「あなたに捧げる~絶望の鎮魂歌を~」
「君に贈る~情熱の小夜曲を~」
――は、ハモったー!!
立ち上がったオズフリートは、なんとそのままリリスの歌に合わせるようにして歌い始めたのだ。
リリスは一瞬驚いたような顔をしたが、それでも歌うのをやめようとはしない。
どこか調子はずれのように聞こえるメロディに、完璧に調和するメロディ。
先ほどまで「フローゼス公爵令嬢って音痴じゃない?」と囁いていた者たちも、今は王子と公爵令嬢のデュエットに聞き惚れているようだった。
「眠れぬ夜は~牙を研ぎ澄まして~」
「希望の朝を~待ち続けよう~」
リリスの口から紡がれる物騒な歌詞など吹き飛んでしまうほどの、完璧なハーモニーだった。
居合わせた者たちは、若き婚約者たちの姿に、王国の明るい未来を予感せずにはいられなかったことだろう。
「私の~」
「僕の~」
「「永遠を~」」
歌が終わっても、二人はじっと互いの姿を見つめ合ったままだった。
やがて観衆から惜しみない拍手を送られ、やっとオズフリートは微笑みながらリリスの手を取る。
二人そろって礼をする姿を見て、レイチェルの胸は感激でいっぱいになった。
――やっぱり、リリス様はすごい!!
気高く美しい公爵令嬢――の姿が、婚約者である王子と悪魔な従者のたゆまぬ努力によって取り繕われているハリボテであることも、やがて自分もリリスの失態をフォローする一員へとなることも、この時のレイチェルは知る由もなかったのだった。
次回から新章に入ります!