30 シャイニング伯爵
「そういえば、最近ギデオンがよく君の話をするんだ。随分と仲良くなったみたいだね」
にこにこと笑いながらそんなことを口にする婚約者に、リリスは盛大に顔をしかめそうになるのを何とか堪えることに成功した。
時間が巻き戻ってから、オズフリートはよくリリスをお茶会という名目で城へ呼ぶようになった。
リリスの行動を怪しんで監視しようとしているのかもしれない。
そう思うと気が気ではないが、リリスにとってもメリットがないわけではないのだ。
王宮で出されるスイーツは、まさに王族御用達の一級品。その魅力には抗いがたいのである。
今日も希少なルビーチョコレートが皿に並び、リリスは上機嫌でぱくついていたところだった。
――ギデオンと私が仲良くなった? いったいどこをどう見たらそうなるのかしら??
みっともなくレイチェルにフラれたギデオンは、いまだ彼女を諦めきれずリリスをライバル視してくる始末。
仲良くなったどころか、いまだにレイチェルと一緒にいるリリスに嫉妬してぎゃんぎゃんと吠えてくるのだ。
そのたびに格の違いを見せつけてやり、ギデオンの悔しがる顔を笑ってやっているのだが。
「躾のなってない駄犬に礼儀を教えてやっているだけですわ。オズ様も彼の主なのですから、もう少しきちんと手綱を握っていてくださいませ」
「はは、手厳しいね」
リリスの散々な言い草にも、オズフリートはたじろぐことなく笑っている。
この王子も中々黒いよな……と、リリスの背後に控えるイグニスは涼しい顔でそんなことを考えていた。
「彼は、君を見て思う所があったようだよ」
「どうせろくでもないことなのでしょう」
「いや、君の頑張る姿を見て、自分も成長しなければと奮起しているみたいだ」
「ぇ…………?」
ぱちくりと目を瞬かせるリリスを見て、オズフリートは優しく眦を下げ、満足げな表情を浮かべた。
「レイチェル嬢も、君と出会って随分変わったと聞いている。リースリー侯爵が喜んでいたよ。今まではずっと周りの言うことに従ってばかりだった彼女が、初めて自分の意思で君の女官になりたいと言ってくれたと」
なるほど、リースリー侯爵は可愛い娘の初めてのお願いに舞い上がって、ギデオンとの縁談を断ることにしたのだろう。
それにしても公爵家子息との縁談を断るとは、随分大胆なことを仕出かしたわね……とリリスはこっそりと苦笑した。
「君は、多くの人間に影響を与えているんだね」
気がつけば、オズフリートは真摯な瞳でこちらを見つめていた。
彼と目があった途端、リリスの鼓動がとくんと音を立てる。
――こ、こんな時に殺意が沸き上がって来るなんて……何とか抑えなきゃ!
リリスは何とか気を逸らそうと、この間公衆の面前でにっくき伯爵のカツラを吹っ飛ばした時の高揚感を思い出そうとした。
あぁ、あの瞬間の伯爵の絶望に満ちた表情は最高だった……。
シャンデリアの光が脂ぎった頭頂部に反射して、神々しいほどに輝いていたのをよく覚えている。
確かあれ以来、彼は陰で「シャイニング伯爵」などと呼ばれていて――。
「……ス、リリス?」
自分の名を呼ぶ声が聞こえ、リリスははっと意識を現実に戻した。
目の前のオズフリートは、心配そうにじっとリリスを見つめていた。
「大丈夫? 疲れているんじゃないかい?」
「いえ、シャイニング伯爵が……」
「えっ?」
「あああぁぁぁ何でもないんです!!!」
――私……オズ様の前でなんてことを! まさか、疑われてな――ぎゃああぁぁぁ!!
気がつけばオズフリートは訝し気に眉を顰め、じっとリリスに視線を注いでいるはないか。
かと思うと急に彼が立ち上がったので、リリスは思わずびくりと肩を跳ねさせた。
「あ、あの……オズ様……」
すぐ傍らにやって来たオズフリートは、感情の読めない瞳でびくびく身を竦ませるリリスを見下ろしていた。
そして、彼の手がゆっくりとこちらへ伸びてくる。
リリスは反射的にぎゅっと目を瞑ってしまった。
数秒の後……そっと頬に触れられる感覚があった。