2 わがまま令嬢、悪魔と再会する
「はぁ~、本当に時間が戻ってるのね……」
オズフリートとの婚約式から数日。
一時は半信半疑だったが、やはりリリスの死んだ時から五年ほど時間が巻き戻っている。
数日たってやっと、十歳の公爵令嬢の生活にも慣れ始めてきたところだ。
「誰か、紅茶とケーキを持ってきなさい!」
私室の外に向かって叫ぶと、バタバタと慌てたような足音が聞こえる。
三時のおやつの到着を待ちながら、リリスは上機嫌で手元のノートに視線を落とした。
「伯爵令嬢ウェンディ……いつかのお茶会で私の作った素晴らしい詩を馬鹿にしたわね! 復讐リスト入り決定!!」
ノートに新たな名前を書き込み、にんまりと笑う。
リリスが今作成しているのは、一周目でリリスを馬鹿にした者たちの目録――名付けて「絶許復讐リスト」だ。
「ふふ、絶対に許さないんだから……!」
一度死んだはずのリリスは、再び生を得てチャンスを与えられた。
何故か周囲の人間は時間が巻き戻ったことに気づいてはいない。どうして時間が巻き戻ったのかもわからない。
だが、そんなことリリスにとってはどうでもよかった。
一周目でリリスを馬鹿にし、裏切った者たち。その者たちに今一度復讐を果たす機会が訪れたのだから。
今度こそ、華麗なる復讐劇が幕を開けるのだ……!
「あは、あはははは!!」
横暴なお嬢様の部屋から響くひどく楽しそうな笑い声に、使用人たちはびくりと身を竦ませるのだった。
◇◇◇
リリス・フローゼスという人間を簡単に言い表すなら「残念な公爵令嬢」という言葉が最適だろう。
フローゼス公爵家は、代々魔術に優れた人間を多数輩出しているセレスティア王国きっての大貴族。名家中の名家である。
だが当代フローゼス公爵の娘として誕生したリリスは、不幸なことにまったくといっていいほど魔術の才に恵まれなかった。
魔術だけではない。勉強も詩作も奏楽も、何をやらせてもいまいちなのである。
それを哀れに思った者たちが甘やかして育てたのも悪かったのだろう。
十歳を迎える頃には、リリスはひどく横暴なわがまま娘へと成長を遂げてしまったのだ。
「見た目は天使なのに中身は悪魔だ」とリリスを知る者たちは囁き合う。
リリスの横暴さに耐えられず公爵家を去った使用人の数は数知れず。
「他の女に見下されるのは耐えられないから」というあんまりな理由で第一王子の婚約者に名乗りを上げたのは、今や公然の秘密となっているほどだ。
「それにしても遅いわね……」
ケーキと紅茶を持ってくるように命じたのに、いっこうに三時のおやつがやって来る気配はない。
公爵令嬢たるリリスがおやつを所望したのだから、一分以内に持ってくるのが当然ではないのか。
そう思うと途端にむかむかしてしまう。
――まったく、たるんでるわ! 喝を入れてやらないと!!
リリスは憤りながら立ち上がった。
せっかく公爵令嬢たる己が死地から帰還したというのに、三時のおやつが遅れるとは何事か!
これは一から使用人を教育してやらねば!
そんな傍迷惑なことを考えながら、リリスは勢いよく私室の扉を開き、廊下へ向かって叫んだ。
「ちょっと! 私のおやつはどうなってるのよ!!」
「うわっ!?」
その途端、至近距離から驚いたような声が聞こえた。
顔を上げると、目の前には執事見習いのお仕着せを身に纏った、見知らぬ青年が立っているではないか。
彼が押しているティーワゴンには、おいしそうなケーキとティーセットが乗せられている。
どうやらやっと、三時のおやつが到着したようだ。
「遅い! 何でこんなに時間がかかるのよ!!」
「それはお前のパワハラに耐えられずに、どんどん使用人が辞めてくからだろ。人手不足なんだよ」
「なっ!?」
いつもだったら、リリスの叱責を受けた使用人は「ひっ、申し訳ございません!」と小さくなって謝り倒してきた。
だが、目の前の青年は違う。
彼はどこか愉快そうに、にやにやとリリスを見下ろしているのだ。
「な、なによ……。使用人の癖に!」
一瞬怯んでしまったが、リリスは負けじと言い返した。
なにしろこちらは公爵家の人間、相手はただの使用人。立場は圧倒的にこちらが上なのである。
こいつもクビにしてやろう……とあらためて相手を見上げて、リリスは奇妙な既視感に襲われる。
――あれ、この人……。
年のころは十七、八くらいだろうか。
艶やかな黒髪に、血のように真っ赤な瞳。整った顔立ちも相まって、一度見たらきっと忘れることはないだろう。
少なくとも、リリスの記憶にこのような青年はいない。十五歳で死んだ一周目にも、ここ数日の二周目の人生にも、だ。
リリスは、目の前の彼を知らない。
それなのに……彼を見ていると、どこか奇妙な懐かしさに襲われる。
「ねぇ、あなた……どこかで私と会ったことある?」
気がつけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
青年はその言葉ににやりと笑うと、そっとリリスの耳元に顔を近づけ、囁いた。
「ナンパの手段にしては古すぎじゃねぇの? まぁ、どうしてもっていうなら相手してやってもいいけど?」
「はああぁぁぁぁぁ!!?」
言うに事欠いてナンパだと!?
この公爵令嬢たるリリス・フローゼスが、たかが少し顔がいいだけの、使用人ごときを誘惑するとでも!!?
真正面から侮辱され、リリスは一瞬で顔を真っ赤にして怒り狂った。
「無礼者! 今すぐクビにしてやるわ!!」
伝家の宝刀「クビにしてやる!」を持ち出しても、青年は動じなかった。
それどころかリリスの胴体をむんず、と掴むと、まるで小さな子供にするように高く持ち上げたのだ。
「ひゃあぁぁ!!? 放しなさい!」
足をじたばたさせて暴れたが、青年はまるで猫の子でも持ち上げるように高い高いを繰り返す。
「ははっ、ちっさ! ちっさくなっても威勢は相変わらずだな!」
青年がぐっとリリスの体を目の前まで引き寄せる。
至近距離で真っ赤な瞳と目が合って、リリスは思わず息を飲んだ。
「俺のこと忘れるなんて……酷いな、相棒」
蠱惑的な色を秘めた囁きに、リリスの頭の中に電流が走った。
この感覚は知っている。
そう、あれは……暗く冷たい牢の中で――。
「あなた、まさか……イグニス?」
おそるおそる呼びかけると、青年は嬉しそうに破顔した。
「大正解! また会えて嬉しいぜ、相棒!」
青年の正体に、リリスは驚きに大きく目を見開いた。
「イグニス」――それは……一周目でリリスが契約を交わした、悪魔の名前だったのだから。