28 お嬢様は勉強中
ギデオン・シュルツは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の公爵令嬢を除かなければならぬと決意した。
ギデオンにはレイチェルの心がわからぬ。ギデオンは、公爵家の次男である。剣を取り、己の肉体を鍛えて暮らして来た。
けれども繊細な乙女心に対しては、人一倍に無知であったのだ。
――そうだ、レイチェルはあの地雷女に騙されているに違いない……!
そう信じこんだ公爵令息は、愛しい乙女を悪の魔女から救い出すべく奮闘するのだった。
◇◇◇
今日も今日とて、ギデオンはフローゼス公爵家にやって来ていた。
もちろん、リリスの魔の手からレイチェルを救い出すためである。
今まで何度もレイチェルの救出を試み、その度にリリスに足蹴にされてきた。
そうしているうちに、不本意なことにフローゼス公爵邸の者からギデオンは「お嬢様のお友達」との認定を受けていたのである。
今もすれ違う使用人から「あぁ、うちの横暴なお嬢様にも二人目のお友達が……!」とぺこぺこされ、どうにも調子が狂ってしまう。
「まったく、何なんだあの女は……!」
聞いてもいないのに「お嬢様ならお庭ですよ」とにこやかに告げられ、ギデオンはポリポリと頭をかきつつリリスを探す。
ぶらぶらと庭園を歩いていると、ふと視線の先に見慣れた横顔が目に入る。
艶やかな銀の髪が、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
目的の人物――リリス・フローゼスは、ガーデンテーブルに向かって、手元のノートに一心不乱に何かを書き記しているようだった。
その姿があまりに真剣で、ギデオンは思わず声をかけるのを戸惑ってしまう。
「……申し訳ございません、ギデオン様。お嬢様は勉強に励んでおりますので、少しお待ちいただけますでしょうか」
気配もなくいきなり声が聞こえ、ギデオンは慌てて背後を振り返る。
そこには、リリス付きの従者の男が、食えない笑みを浮かべて立っていた。
「あいつは、あんなに真剣に勉強しているのか……?」
「えぇ、今は国の政策の勉強中ですね。リリスお嬢様は将来王妃となる御方。その地位に恥じぬようにと、常に研鑽を積んでいらっしゃるのです。ただ……本人としてはあまりその努力を他人には見せたくないようで……どうか、知らぬ振りをしてはいただけないでしょうか」
しぃ、と唇に人差し指をあて、イグニスは静かにそう告げる。
ギデオンは信じられない思いで、再びリリスに視線を移した。
「あいつは……勉強など大嫌いなわがまま女で、どうしようもない落ちこぼれだと……」
「人は、変わるものです、ギデオン様。オズフリート殿下と婚約されてから、お嬢様は変わられました。だから今は……お嬢様の努力を静かに見守ってはいただけないでしょうか」
――人は、変わるものです。
その言葉が、ギデオンの心に突き刺さる。
――『そういう慢心した態度が、今回の事態を招いたのよ』
――『今までの行いを反省して、自分を見つめなおしたらどうなの?』
レイチェルに婚約を断られた際に、リリスから投げかけられた言葉が蘇る。
リリスは変わろうとしているのかもしれない。かつての自分を反省し、真摯に自己研鑽に励んでいるのだ。
それに比べて自分は……何をやっているのだろう。
レイチェルにフラれたという現実から目を背けたくて、リリスを悪者に仕立て上げようとしていた。
自分の行いを、反省しようとはしなかった。
かつてのリリスの言葉は、いつまでも成長しないギデオンに向けられた、激励の言葉だったのかもしれない。