23 カラテスピリット
「それじゃあまたね、レイチェル!」
レイチェルの乗った馬車が走り去っていく。大きく手を振りながらその姿を見送り、リリスはふぅ、と息を吐いた。
姉妹の契りを結んで以来、リリスとレイチェルの仲はますます深まっていた。
数日おきに互いの屋敷を行き来し、その親密な様子に周囲は「やっとうちの(横暴な/引っ込み思案な)お嬢様にもお友達が……!」と涙ながらに喜んでいた。
「レイチェル嬢も最初に比べれば随分明るくなったよな。今日はお前と一緒にあの変なエクササイズまでやってたし」
ふぁ……と大きく欠伸をしたイグニスに、リリスはむっとしながら振り返る。
「変なエクササイズって……まさかカラテのこと? どこが変なのよ」
最近お気に入りの武術を馬鹿にされ、リリスはぎゅっと拳を握り締めた。
ここ最近のリリスは何とか力をつけようと、日夜カラテなる東洋の武術に励んでいた。
一周目の時のように容易くオズフリートに殺されたりしては大変だ。
彼があの時のように襲い掛かって来ても、華麗に返り討ちにしてやろうと修行を積んでいたのである。
それなのに役立たずの悪魔の分際で、カラテを馬鹿にするとは何事だ。
エクササイズにもなるし、踊れるし、何より戦える。遊んでばかりのイグニスよりもよほど役に立つというのに。
「アイヤー!!」
「ふごぉ!!」
勢いよく鳩尾に正拳突きを叩きこむと、イグニスはつぶれたカエルのような声を出してうずくまった。
コツはとにかく気合を入れて掛け声を出すこと。どうやら効果抜群だったようだ。
「どう? 私の拳を思い知ったかしら。これがカラテスピリットなのよ」
「全然わかんねぇ……」
そのままイグニスを放置し、リリスは屋敷に戻ることにした。
今日はレイチェルから新しい本を借りたのだった。早く読んで、またレイチェルと語り合いたい。
「今日は少し変わったジャンルの作品だって言ってたのよね。ルルイエとかユゴスとか……。よくわからないけど楽しみだわ!!」
レイチェルはいつも、リリスに新しい景色を見せてくれる。
彼女と出会えたのは、この血塗られた復讐の生における、数少ない僥倖だと言えるだろう。
たとえ彼女に近づいたのが、イグニスを使ってあのにっくきギデオンを悔しがらせるためだったとしても――。
「あ」
その時、リリスはやっと思い出した。
「そうだ。ギデオンへの復讐のこと、すっかり忘れてたわ……!」
◇◇◇
「むむむ……」
自室のソファに腰掛け、リリスはじっと「絶許復讐ノート」を凝視していた。
最初のページのかなり上位に、「ギデオン・シュルツ」の名前が記されている。
彼は一周目の人生で散々リリスの邪魔をしてくれた天敵だ。
復讐ランキングの中でもかなり上位に入る相手なのである。
「レイチェルとの婚約をぶち壊せば、きっとギデオンはダメージを受けるに違いないわ……」
一周目でリリスが味わった屈辱をそっくりそのままお返しできる。これ以上はない復讐方法だ。
そう、わかっているのに……。
――婚約が破談になったとして、レイチェルはどうなるの……?