21 私の憧れ
いそいそと本を取りだすリリスを、レイチェルは不安げな瞳で見つめていた。
だが本の表紙を目にした途端、彼女の目が驚いたように見開かれる。
「それって……!」
「あなたがこういうジャンルの本を好んでいると、あるお方に伺ったの」
怯えていたレイチェルの表情が、リリスの言葉を受けてみるみる紅潮していく。
興味を惹かれ、イグニスも背後からリリスの取り出した本を覗き込んだ。
そして、固まった。
「それって、『決戦!~ボルカノファミリー覇道伝~』の最新作ですよね! リリス様も任侠物の小説がお好きなのですか……!?」
「えぇ、これなんてうっかり寝るのも忘れて読破してしまったわ。裏社会を生きる者たちの姿は、なんて美しいのかしら……!」
興奮気味に言葉を交わす少女二人を見て、イグニスは呆然と呟いた。
「まじかよ……」
この時点まで、イグニスはレイチェルがどんなジャンルの本を好むかについてリリスから聞いていなかった。
ここ数日、リリスが寝食も忘れる勢いで読書に没頭しているのは知っていたが、その内容までは気にしていなかったのである。
まさに今、二人の少女が熱を持って手にしているのは、任侠物――裏社会を生きるマフィアの生きざまを描いた、ハードボイルド小説だったのだ。
どうみても、ローティーンの少女――それも蝶よ花よと育てられた貴族令嬢が、好んで読むジャンルではないだろう。
「ちょっと失礼」
リリスが積み上げた本を一冊手に取り、軽く目を通してみたが……まさしく、男気溢れるマフィアの抗争についての話だった。
「あのカチコミをかけるシーンがたまらないんです!」
「盃を交わした兄弟ですもの。侮辱されたら黙ってはいられないわよね!」
「……理解できねぇ」
イグニスは早々に二人の会話を理解しようとするのを諦めた。
ここへやって来た時の張りつめた空気はどこへやら、リリスとレイチェルは楽しそうに「あのドンパチシーンが最高だった」などと語り合っている。
話している内容を聞きさえしなければ、なんと微笑ましい光景だろうか。
――こいつ、本来の目的忘れてるよな……?
元々はリリスがレイチェルに接近し、それに乗じてイグニスがレイチェルを誘惑して、ギデオンとの婚約を滅茶苦茶にしてやるという計画だった。
だが今のリリスは、イグニスなど眼中になく熱くレイチェルと語り合っている。
さりげなくリリスに本来の目的を思い出させようかとも思ったが……やめておいた。
藪をつついて蛇を出すような真似は避けるに限るのだ。
◇◇◇
結局一日ではまったく語り足りなくて、その後もリリスとレイチェルは頻繁に互いの屋敷を行き来していた。
本日はフローゼス公爵邸で、二人で顔を突き合わせるようにして一冊の本を覗き込んでいる。
「はぁ、なんて素敵なのかしら」
「熱い生きざまに憧れますよね……。私も、こんな風に強くなれたら……」
ぽつりとレイチェルが零した呟きに、リリスはおや、と彼女に視線をやる。
するとレイチェルは、どこか言いづらそうに口を開いた。
「リリス様もご存じかとは思いますが、私……本当に引っ込み思案で、口下手で……何をやっても、うまくいかないんです。兄や姉たちは社交的なのに、どうして私だけって……ずっと悩んでいたんです」
「レイチェル……」
「任侠小説を読み始めたのも、本の中の登場人物みたいに、強くなれたらって……憧れていて」
「……そうだったのね」
「とても、強くはなれなかったけど……でも、いいこともあったんです。こうして、リリス様とお近づきになれたんですから」
「え、私?」
思わずレイチェルを見返すと、彼女は少し照れたように頬を赤く染めている。
「リリス様も、私の憧れの方なんですよ」
「そう、なの?」
「はい。リリス様はご存じないでしょうけど、私……ずっと前からリリス様に憧れてたんです。リリス様はいつも強くて、堂々として、周囲に何を言われても、決して自分を曲げずに突き進んでいて……」
夢見るようにそう語るレイチェルに、リリスは唖然としてしまった。