20 お近づきになりたい方
目の前のオズフリートは、恐ろしいほどの無表情だ。
いつも朗らかな笑みを絶やさない彼の初めて見る表情に、リリスは戦慄した。
――まずいまずいまずい……私何か変なこと言っちゃった!!?
「お近づきになりたい方……か」
だが、それも一瞬だった。
そう口にした時には、オズフリートは既に表情を取り戻していたのだから。
でも……何故だろう。無性に笑顔が怖い。
「それは、一体どこの誰なのかな?」
ずい、と更に距離を詰められ、リリスはひっと息を飲む。
これは怖い。かなり怖い。三日前に庭で蜂に追いかけられた時よりも怖い。
やはり目の前の男は、一周目でリリスを殺した油断ならない相手だったのだ!
リリスはここにイグニスを連れてこなかったことを猛烈に後悔した。
軽く……それでいて逃げられないようにリリスの肩に触れて、オズフリートはそっと囁く。
「……知らなかったな。君に、そんな風に想う男がいたなんて」
「え、男?」
「えっ……?」
……いったい何のことなのだろう。リリスには、想う男なんていないのだが。
困惑したまま、二人は顔を見合わせた。
リリスとは違い、オズフリートはすぐに勘違いに気が付いたようだ。
「その、相手って……」
「リースリー侯爵家の、レイチェル嬢です」
素直にそう告げると、オズフリートは一瞬驚いたように目を丸くして……すぐにおかしそうに笑いだした。先ほどのどこか怖い笑みとは違い、本当に笑っているようだ。
そんな彼のいきなりの変化に、情緒不安定なのかしら……と、リリス首をかしげる。
「でも、どうして急にレイチェル嬢に?」
「えっ、それは……そう、この前お茶会を開いたのですが、あまり彼女と話せなかったのです」
リリスは(ギデオンとの婚約をぶち壊したいという部分は省略して)軽く事情を説明した。
聡いオズフリートはすぐに納得したようだ。
「そうか。僕も、あまり彼女のことはよく知らないけど……きっと彼女も、君が気にかけてくれているとわかれば喜ぶよ」
「そうですよね!」
ストレートにそう言われ、リリスは一瞬で自信を取り戻した。
「彼女は少し引っ込み思案な性格だからね、大勢の人間がいる場よりも、案外少人数の方が心を開いてくれるかもしれない」
「なるほど」
「レイチェル嬢は本を読むのが好きだったはずだ。後で書庫に寄ろう。彼女の気に入りそうな本を探して、紹介してあげるのはどうかな」
オズフリートの提案した方法に、リリスは満足して頷いた。
一番の復讐相手にアドバイスされたという点は複雑だが、これなら上手くいきそうだ。
ギデオンの悔しがる顔を想像してにやつくリリスを見て、オズフリートはくすりと笑った。
「やっぱり……君は面白いね」
◇◇◇
オズフリートにアドバイスされた数日後、リリスはイグニスを伴いリースリー侯爵邸にやって来た。
応接間に通されレイチェルを待っていると、イグニスがこそりと耳打ちした。
「いいか、この前みたいに威圧してあの子を怖がらせるんじゃないぞ」
「わかってるわよ。ちゃんとお土産も用意してきたし、完璧ね!」
「間違えても目を吊り上げて怒ったりするなよ。お前もにこにこ笑ってれば、それなりに見えるんだから」
そんな風に言い合っていると、すぐにレイチェルがやって来た。
レイチェルは明らかにリリスに怯えているような、まるで震える子ウサギのようにおどおどしている。
――ちょっと、そんなに怖がらなくてもいいじゃない。私まだ何もしてないのよ!?
リリスは眉を寄せたが、「笑顔笑顔」と傍らのイグニスにつつかれ、慌ててにっこり笑顔を作ってレイチェルを迎える。
「お久しぶりね、リースリー侯爵令嬢。この前は来てくれて嬉しかったわ」
そう声をかけると、レイチェルは真っ赤になった。
「あのっ、私……せっかく招待していただいたのに、とんでもない粗相を――」
「別にあのくらい気にしないわ。それより、この前はゆっくり話せなかったから、今日は気が済むまで私の相手をしてもらうわ」
「はっ、はいっ……!?」
実は、リリスはギデオンの婚約を滅茶苦茶にするという目的以外にも、今日の訪問を楽しみにしていた。
オズフリートに紹介してもらった、レイチェルが気に入っているという本――もちろん、レイチェルに接近するために、リリスも読破した。
そして、猛烈にはまってしまったのである。
内容について語りたくて語りたくて、ここ数日はむずむずしっぱなしだったのだ。
――だって、思ってた以上に面白かったんだもの! あれで知名度が全然ないなんて……世間の目は節穴なのかしら? それに比べてレイチェルの見る目は確かのようね!!
らんらんと目を輝かせるリリスを見て、レイチェルは困惑したように首をかしげている。
そんなレイチェルの手を掴んで、リリスはにっこりと笑った。
「さぁ、今日は思う存分語りあかすわよ!!」
「ひゃい!」
どうやら当初の目的を忘れかけているリリスを見て、イグニスはやれやれと肩をすくめるのだった。