18 闇堕ち令嬢、ターゲットに泣かれる
「はっ、はいっ!!」
名指しした途端、レイチェルはひっくり返ったような声を出し、慌てた様子で顔を上げた。
そんな彼女ににっこりと微笑み、リリスはゆったりと問いかける。
「あなた、詩作は得意かしら?」
「あ、あの……その……」
「是非あなたの詩を聞いてみたいわ。披露していただけないかしら、今、ここで」
にっこり笑ってそう口にすると、何故かレイチェルは真っ青になってガタガタと震え出した。
思ってもみない反応に、リリスはわずかに首をかしげる。
「そ、そのっ、私……きゃっ!」
あまりに震えすぎていたのか、言葉の途中でレイチェルの腕がティーカップに当たり倒れてしまった。
零れた紅茶がテーブルクロスと彼女のドレスを汚していく。
「きゃあ!」
周囲の令嬢たちは慌てたように退避した。
当の本人であるレイチェルは呆然としていたが、やがて事態を悟ったのか目に涙をためて嗚咽を上げ始めてしまった。
「……なさい、ごめんなさい……!」
「ち、ちょっと……そんなに泣かなくても大丈夫よ!!」
彼女が泣いているという事実に動揺したリリスは、何をしていいのかわからずにおたおたと彼女の背中をさすっておいた。
そうこうしているうちに、タオルを手にしたメイドが駆けよってくる。
「お嬢様、後は我々にお任せください」
「え、えぇ……頼むわよ」
「リースリー侯爵令嬢、こちらへどうぞ」
メイドたちに付き添われるようにして、レイチェルの背中が遠ざかっていく。
リリスは混乱しながらも、じっとその背中を見つめていた。
そんな中、周囲の少女たちの嘲るような囁きが耳に入る。
「見た? お茶会の場であんな失態を犯すなんて……私だったら恥ずかしくてもう外を歩けませんわ!」
「シュルツ家の方と婚約予定だって聞きましたけど、相手の方が可哀そうよ」
「いつもおどおどして、みっともないったらないわ!」
「ずっと屋敷に引きこもってればよかったのに」
――……あー、鬱陶しいわね!!
漏れ聞こえる会話に、リリスは内心で舌打ちした。
まったく、ピーチクパーチクやかましいことこの上ない。
今すぐ口にパッサパサのスコーンを詰め込んで黙らせてやりたいくらいだ。
「……失礼。私も気分がすぐれないので戻らせていただきます。皆さま、どうぞごゆっくりなさってくださいませ」
「え? リリス様!!?」
レイチェルがいなくなった以上、これ以上不快な気分に耐えてここに居続ける理由もない。
リリスに取り入ることが目的の少女たちは慌てていたが、リリスは気にせずに颯爽とその場を後にした。
その後を慌てたようにイグニスが追いかけてくる。
「おいおい、主催者が中座なんてとんだマナー違反だな」
「だから何? 私は私のしたいようにするだけよ」
挑戦的にそう言い放つと、イグニスはおかしそうに笑った。
何がおかしいのよ……とムッとしながらも、リリスは顎に手を当てて思案した。
「あの子、何で私に近づいてこないのかしら」
「そりゃあ、お前が怖いからだろ」
「怖い? 何で??」
「お前と違って見るからに繊細そうな子だもんな~。あんな風に威圧すれば、怖がって当然だっての」
「むむむ……」
リリスは少し困ってしまった。
一周目の人生では、特に何もしなくてもリリスの周りには人が絶えなかった。
なので、自分に近づいてこない相手へ接近する方法がわからないのである。
そんなリリスを見て、イグニスはやれやれ、と肩をすくめる。
「そんなの余裕すぎて欠伸が出るくらいね……なんて言ってたくせにダメダメだな」
「そ、そんなことないわ! 今日は軽く様子を見ただけよ! すぐにリースリー侯爵令嬢へ近づいて見せるんだから!!」
――くっ……役立たずの悪魔に馬鹿にされるなんて、絶対に耐えられないわ……! こうなったら、何としてでもリースリー侯爵令嬢に近づいて、私が有能なところを見せてやらないと!
リリスは改めてそう決意したのだった。